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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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色づくまでもうしばらく

色づくまでもうしばらく photo 宮本章光

熟すまで、まだしばらく。
それまではカラスも突つきにはやって来ません。

然るべき時期がくれば、然るべき成熟を果たすもの。
それは、彼らの本能的なスケジュールに刻まれていることを再認識します。

今年は暑いから...、今年は寒いから...。
人間が勝手に決めたそんな感覚に揺らぐことなく。
まして、オールドメディアに揺さぶられ、故意に負のエネルギーを生み出すなどもっての外。

自分で自分の道を切り拓く。
見習うべきお手本は、身の回りいたるるところに・あらゆる対象に満ちています。



言葉に色を感じられるように

花に色があるように photo 宮本章光

花に色があるように。
「言葉にも色がある」ように感じることが増えつつあります。


まだ、文字の状態ではそこまでの感覚を持てないように思われますが、空間に放たれた「声」からは、明快に色を受け取ることがあります。

きっかけは、ドス黒いグレイ系の重たい色を強烈に感じた瞬間のことでした。

その昔、アルミ製の鍋を焦げつかせ、スチールたわしやクレンザーでごしごし擦ると、鍋本体のアルミが削れてしまい洗剤成分と混ざり、何とも言い難い奇妙な色と臭いを目の当たりにしたものです。(ご経験のある方も多いでしょう)
このときのドス黒い灰色の泡のような色、まさにそのものズバリでした。

意味もなく迷惑な大きすぎる声で周りにアピールする。
その響きに、ドス黒さが滲み出るのを感じたのでした。
あるいは、
同じように単に大きいだけの声でも、精神的未熟と幼稚性が滲み出るエネルギーが乗っている場合には、オレンジ色が色褪せ傷んだ果実にカビが生えたような色でした。

残念ながら、美しく咲き誇る花のように心地よく感動的な声としての言葉にはまだ出会っていません。


発言は、言靈のエネルギーを「乗せて」空間に放たれているのため、そこにエネルギー存在として織り込まれているキャラクターが明確に表出するのではないでしょうか。

裏を返せば、
自らの心にある波動が、そこに放たれている声と同期しているからそのように感じるわけであり、その根源は自分の心の奥底で振動している周波数であることを氣づかせてくれる瞬間でもあります。

人によって、これらを「どのように認識するのか」は違いがあるでしょう。
ストレートに音響的にその違いを受け取る人もあるでしょう。
あるいは、匂いの差異かもしれませんし、同じく色によってかもしれません。


味の向こう側にあるエネルギーが見えるようになったのと同じように、
そして、
人が醸し出すエネルギーをオーラとして感じる感覚が戻りつつあるのと同じように。

言葉がエネルギー存在である以上、そこに固有の波長を示す色があって当然だと理解できる時期を迎えたように感じています。




言葉は周波数・周波数はエネルギーそのもの

語る伝える受け取る photo 宮本章光

話し、語り、伝える。
聞き、理解し、受け取る。

これらの媒体として利用される「言葉」は、
そのものが特定周波数の振動として存在しています。


存在固有の振動数を認識し、存在そのものがエネルギーであることを思い出す期を迎えています。

この国には言靈という表現により、それら見えない波動を共通認識とし共有してきました。
すべてのモノ・コトは、固有の波長を維持したエネルギー存在であることを理解したならば、その力を「使いこなす」ことは容易であるはずです。

然るに、望むエネルギーを表現する周波数を選択し、その固有の波長を言葉に託し、自らの意志表示として描き出す。
心の手綱(たずな)を握るのは自分しかいないことを知ればこそ、その言靈を使いこなすのも自分だけであること。

すでに世界は多極化し道は決定したのですから、自ら決定を下した選択肢に合致した周波数に共鳴しながら、その波動を拡大すること。

自分の存在は何なのか。自分探しに...。
などといった隷属化仕様のまやかしに囚われる必要性は消滅したのです。


行動する、とは、言靈によってこの世に振動を生み出し伝えることでもあります。
望ましい言葉には、望ましい生命が宿ります。
望ましい言葉により、望ましい未来が創造されてゆきます。

言葉は周波数であり、周波数そのものがエネルギーであるからです。




この地を心地よい波動で満たす

御神木から受け取る photo 宮本章光

この地を望ましい波動で溢れさせること。
この地を心地よい周波数で満たすこと。

御神木は、いつもこの地に根ざし、この地この世で啓示を伝え続けます。
ありがとうございます。




夏の思い出:4

ここに来るここに居る photo 宮本章光

この夏の思い出。
目一杯。

思えばこの夏から、
色の「向こう側」を感じるようになったこと。
味の「向こう側」が感じられるようになったこと。
陽の色が違って見えるようになったこと。

その昔、周囲の人たちが身に纏う繭のように独特の色を持ったオーラフィールドを発していたこと。
知らぬ間にそうした感覚を忘れ去り、60年もの年月を越え、嘗てその感覚を「感じていた」ことを思い出します。

色も味も、その向こう側という曖昧な表現でしか例えられないところにもどかしさがあるのは否めませんが、何か、なんとなくそういう感覚。
ええ、はっきりと表現できなくてもよいのだと、それさえもなんとなく。


人を変えるのではなく。
人が変わるのを待つのでもなく。

いまここで感じる感覚が変われば、周囲の風景が変わること。
この場に来れば思い出すこと。
大きな波を天から授かりながら。




共鳴とは共同創造

花とアリと共同創造 photo 宮本章光

同じ周波数がともに振動すると共振します。
異なる周波数がともに振動すると、共振・共鳴する整数倍のような関係にある場合、美しくハーモニーを奏でます。


これを心の中の意識の状態に置き換えたらどうなるでしょうか。

ともに共鳴し美しく響き合う現象が、新しいエネルギーの束となり拡大してゆきます。
これこそが「共同創造」ではないでしょうか。

わたしたちの役目は、
この地を、心地よく望ましい共鳴の場として創造することだと確信できるフェーズに入りました。
この作業・実践の積み重ねによって、目の前の風景は時差を経て顕現化してゆきます。

崩壊する旧いエネルギーから脱し、望ましい周波数を選択・維持拡大することによってのみ、それは実現します。

創り上げるのは、一人ひとりの心の波動によって。
生み出すのは、一人ひとりの望ましい意識によって。

心に描くものが現実となってゆきます。
それが仕組みだからです。



夏の思い出:3

夏の日の記憶 photo 宮本章光

この夏の思い出。
目一杯。

強力な日差しに、強力なエネルギー。
受け取るか、受け取らないか。
それは自分で決めたこと。

人を変えるのではなく。
人が変わるのを待つのでもなく。

言葉に託した言靈が、時差を経て顕現化してゆきます。




「奇を衒う」必要のない世へ

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「奇を衒う」
わざと普通と違う行動をして、他人の注意を引こうとすること。

こうした奇を衒う行動・行為に対しては、違和感が特に激しくなってきました。
違和感に対する感度が極端に高まった感覚でしょうか。

これまでにも違和感を感じる場面は数多くありました。けれども、その感覚に対する感じ方はあまり激しくなかったように思われます。
これは良いことなのかそうでないのか。

ひとつだけはっきりしているのは、
大きすぎる違和感に接点を持ち続けると、そのエネルギーが巨大化し手に負えなくなること。
自分でなんとかしよう、だとか、それを乗り越えよう。などとやってしまうと泥沼に落ち込んで抜け出せなくなります。


答えは、離れるのみでしょう。
それは、過去の世では敵前逃亡だとか。そういった感覚だったかもしれません。
しかし、
そもそも敵を生み出して戦う必要がなかったこと。
それは、その体験をしたかったからそこに身を置いていただけだったこと。


必要なくなったものから離れます。
「奇を衒う」必要のない世へ。そのままあるがまま。
これが意志表示。
これが選択。
これが顕現化の元の元。
思考は現実化してゆきます。





舞台はいつもそこにある

舞台はいつもそこにある photo 宮本章光

舞台はいつもそこにある。
けれども、
そこに行かなければ目にすることは叶わない。
そして、
その役者にフォーカスしない限りは絶対に会うことはできない。


これを論理的な観点から語れば科学になるのかもしれません。
そして、物理実体ありきの意識にとどまっている限りは、行動することこそが世を変える秘訣である!と繋がって行きます。

もちろんこの論法の中に間違いは何もありません。
しかし、
観点を変えてみますと、別の語り口になることがわかります。

そこにある舞台の中から、特定波長に合致した意識により観測をすることで、量子重ね合わせとして存在していたあらゆるシーンの中のひとつの選択肢が選ばれ顕現化するのだと。
二つめの観点による語りです。

またもうひとつ違った語り口にしてみましょうか。
三つめとなる観点です。
そこにある存在に心の波長が合った瞬間に、その美しさと存在感・一期一会の出会いを齎すのは、心の周波数であり意識したものが具現化する実体験そのものだ。と。


どれもどこにも間違いがないと思われます。
切り口が異なっているだけで、これほどまでに感触の違ったものになる実例でしょうか。


ここしばらく何度も繰り返し記しています。
人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。
この延長線上に、意識と思考が顕現化する世が生み出されてゆきます。と。

まさに自分が信仰する宗教を「押し付ける」かのごとく、これが唯一無二の真実だ。
と、やっていることそのものが、二元化多極化・分離のエネルギーであることに氣がつきます。
もちろん、
それを体験するためにこの地にやってきたのですから存分に味わえばよいのですが、すでに味わい尽くしたのなら「卒業します」と意志表示する必要があります。


ここが抜け落ちていないでしょうか。
正しい宗教はこれだ。だとか、真実はひとつしかない。科学的思考からはこれが絶対であり間違いはありえない。(自分もこれらの落とし穴に見事にハマりました)
などと、いつまでも続けないことです。
それを続けること=まだまだ味わい足りないため分離と二元化・二極化の体験を続け、苦しみと怒りと恐怖のエネルギーを自分も生み出してハマり続けます。それがわたしの楽しみであり趣味ですから。
とやってしまいます。

重ねて書きますが、それを希望されるのであればどうぞどうぞ。納得がゆくまで続けていただければ。


しかし、わたしはもう味わい尽くしました。
よって、この先に望むエネルギーだけを選択したく感じています。

---選んだらそれを実践・実行する。
ひとつめの観点からの語りです。

---観測によって選択されたものが顕現化する。
これは二つめの観点でしょうか。

---心地よく望ましいエネルギーを抱くからその周波数にシンクロするものが目の前の風景になる。
これが三つめの観点による語りでしょう。


どれも正しく、どれも間違いではないように思われます。
旧来のレイヤーから卒業の意志表示をする限り、この先には、その先のエネルギーにシンクロしたものが現実として顕現化してゆきます。

すでにこの地のロードマップには「旧来のエネルギーはこの地で存在できない」と明確に記されている以上、自分自身も意識・精神性の拡大を果たし、新たな地に相応しい周波数にチューニングしてゆきたいと思うわけです。


そこにフォーカスする・シンクロできるかどうか。
それは、自分自身で自分の心を「然るべき波長」に合わせる必要があります。

人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。

舞台はいつでもそこにあるのですから。




夏の思い出:2

目まぐるしく過ぎゆく2025の夏 photo 宮本章光

この夏の思い出。
目一杯。

素晴らしい存在と素晴らしい出会いと。
奥にあるもの・コトが見えるようになった夏。

この調子で感覚を取り戻してゆきます。
人を変えるのではなく。
人が変わるのを待つのでもなく。




お花畑という言葉で蔑んだ過去を撤回したい

サンゴジュへ photo 宮本章光

仕組まれた分断。
高いところから見下す感覚。

もっと頭を使え。
もっと意識せよ。

すべて何もかも負のエネルギーを増幅するように故意に仕組まれていた世の中でした。
自分は、これだけよい子ちゃんだぞ。そのようにアピールし優越感に浸る。

終わりました。
そんな世の中。
崩壊することが確定している牢屋からさっさと飛び出ることです。
いえ、居残って共に滅亡したいとの意志表示は本人次第・尊重されるべきものですが。


お花畑思考。
そんな言葉。最たるものでしょう。
まさに、自分は「そうではなくもっと賢い」「そんなレベルでなくもっと意識高い」。

この感覚そのものが仕組まれた洗脳教育が生み出した分離意識。
しかしながら、
みんなお手て繋いで一等賞、ってな対極にある感覚も同時セットで用意されてきましたから、反対側に正解があるわけではありません。
どちらも対になった巧妙な仕組みでした。
分離はよくない。と、そうやって、結果として「どちら側についても」結局は支配者層の思惑とおりになるオチでした。


このレイヤーから綺麗さっぱり脱出してください。
わたしも同じ過ちを繰り返してきました。
そんな浮ついたことに心を持ってゆくのではなく、世界情勢も経済社会の不合理も、もっともっと探求しろよ!
などと。

ええ、失敗をしたから今があります。
ですので、いつまでもお花畑ではダメだ、などと叫ぶ人もその人自身が学ばない限り永遠に続くことでしょう。


数日前に書き記しました。
人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。
この延長線上に、意識と思考が顕現化する世が生み出されてゆきます。と。

まずは、お花畑思考ということばを通して見下した意識を生み出したこと。その過去を詫びるところから。
そして、
本当は美しい植物たちに感謝を捧げてください。

そうすれば、彼らとともに歩む道が創り出されてゆきます。
意識するものが現実となります。
思考は顕現化してゆきます。
それが仕組みだからです。




僅かに遠出するだけで異なる生態系に

異なる生態系に photo 宮本章光

徒歩で僅かに遠出するだけで異なる生態系に触れることができます。

見慣れない昆虫、獣道。
樹々の輝き、土の色。
水の響きに、その匂いまで。


新しい道に入れば、新しい波長に触れることができます。
同じように、
望ましく新しい世は、新しい波動によって心から創り出すことができます。

大自然は、いつも新たな発見と体験を生み出し続けます。
そこに身を置けばこそ。




夏の思い出

クマゼミが羽を休め photo 宮本章光

セミの姿・豪快な合唱が一氣に減りました。
アリに運ばれる様子があちらこちらに。

この夏も終盤を迎えています。
夏の思い出。

ひとつの体験、ひとつの記録。
そして、
さらに、もうひとつ成長へと続きます。




そこに舞台が用意されているから

山で巡り会う舞台 photo 宮本章光

一切手を触れることなく。
何ら仕込みすることなく。

そこに舞台が用意されています。
---狙ってやろう。
---アピールしてやろう。
---どや、これを見ろや。
そんなチープな感覚・感情を一切生み出すことなく。


「受け取り側」に読解力が必要なものがアートでしょうか。
「見る人」に過剰な想像力を強いるものが芸術作品でしょうか。
それもひとつの手法に違いありません。否定はいたしません。

けれどわたしは、その道を選びません。
そのかわり、
あらゆるところ、身近な自然環境に存在する生命の波動と響き合う。その体験そのものを求めたい。
そのわたし自身の体験を通し・記録し、そこに取り込まれた同じ周波数で共鳴できる方々へそのシンクロ体験を味わっていただきたい。

この先の世は、このように同じ周波数で響き合う素晴らしさを楽しむ時代が待っています。
その役割を全うしたいと思っています。
そこに美しい舞台が用意されているからです。




水が放つ響きと存在感

Nunobiki Fall photo 宮本章光

先日来、川を流れる水音に変化を感じています。
きめ細かさが増していることを。

さらに大きな流れではどうでしょうか。

顕著に変化があるように思われるのは、棘(トゲ)のある荒さが消えていること。
一聴して感じる部分では、大きく押し出してくる感覚に変化はないようですが、それぞれの粒が整ったように感じるところに統一感といった感覚の美しさがあります。

イヤイヤ水撒きをする人の庭が発する、無造作に放水した先に土を堀り返し砂を撒き散らす、そのような種類の「棘」はどこにもないように思われます。
そして、
大きく強く押し出し放たれる感覚は圧倒的で、その場に巨大なエネルギーが満ちていることがしっかりと伝わります。

居合わせた海外からの観光客に「この場の雰囲気」について尋ねてみました。
"beautiful"と即座に返ったのは、洋を問わず共有できるエネルギーである証でしょう。


精細感と存在感。
ともに披露する水のエネルギー。やはりここにも生命が宿ることを感じます。
この国の先人が大切にしてきた森羅万象への畏敬の念。

この先の世を創り直すために、真っ先に取り戻すべき感覚に違いありません。




人が変わるのを待つことなく

自分らしく生きる photo 宮本章光

人を変えようとせず。
人が変わるのを待つことなく。


人にアピールすることばかり意識し、
人に認められることだけを意識し、
数を追い、数を拡大するだけの世を生きてきました。


いまを生きる。
とは、
いまここで、このまま生きること。

至極当然のことに氣づかぬまま。
氣の遠くなるような長い年月、幾度となく繰り返す転生を通してこの世に生きてきました。

この先には、もうそのような世界はありません。
自分らしく生きる。
とは、
いまここで、自分そのものを表現すること。
同じ周波数で響き合う表現をすること。


人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。
この延長線上に、意識と思考が顕現化する世が生み出されてゆきます。




旧いレイヤーに取り残されたかもしれない

ひっそりとマリーゴールド photo 宮本章光

旧いレイヤーに取り残されたかもしれない。
そのように感じることがあります。

もし仮にそうであるならば、腹を括るだけ。
7年半の大患難期を迎え入れ、踏み絵の結果で炎に放り込まれ焼かれようとも。
映画レフトビハインドのラストに語られる名句。
「まるでこの世の終わりのようだ。」と語る父に、娘:クローイは「まだ始まったばかりよ」と。

いえ、ここで宗教の話をする意図は一切ありません。
それに、もはやその意識レベルは卒業済みのはずです。


「一人は取られ、一人は残される。」
有名すぎる一文ではあります。
実際のところ「取り残されたかも...」と肌で感じる瞬間には、背筋が凍りつき絶望感がすべての視界を遮ります。
しかし、
後世の支配者が隷属化のために手を加え捏造したものにどれだけの価値があるのかをよく考える必要があります。

今日までに、思考が現実を創造することを学んだ限りは、
現実創造の能力を使うまでだ、と一歩下がって俯瞰するのみです。


はて。ここで「ホンモノの現実創造のスキルが身に付いているかどうか」。
それを試験されているんだな、と理解が届きます。

この世もあの世も、そしてすべての宇宙も。
何もかもが実験場だと氣がつきます。
実験により結果を得て、その選択が生み出した結果を検証する。
そして、
蓄積されたものをこの先に生かしてゆく。それが進化に結びついてゆくのだと。

選択とは壮大な実験のための仮説のひとつだったことに氣がつきます。


意志がある限り、その周波数のエネルギーは必ず花開きます。
意志がない以上は、決して花咲くことはありません。




水は心を転写する

川に共鳴する心 photo 宮本章光

水に大きな変化を感じられるようになってきました。

単に思い過ごしだ。
そういった意見もあってよいでしょう。自由です。人それぞれ。
個々人の維持する周波数はひとそれぞれ、その人の波長とは決定的に異なるからです。

ともに同じ地で生きることができない人は、いずれ消滅します。
ごちゃ混ぜの実験は終了しました。
振り分け。篩にかけられるという本質そのものですから。


水の存在が、もっとも早く的確に「心の波動を転写」しているように感じます。
先般より、川の流れや際立つ泡に「きめ細かさを感じる」という変化が現れています。
それは、こちら側の周波数に変化が起きたことを示しているのでしょう。

イヤイヤ水撒きをする人の庭からは、荒く汚く・よくない印象の音が響きます。
嫌々やっている心の波動は、放たれた水が砂や土を削り・巻き上げ、周囲へ無造作に飛び散らせている激しい音として伝わってきます。
他方、
植物へ丁寧に水を与え、暑さを避け温度を下げるべく作業する庭からは、落ち着いた細かく柔らかい音が響きわたります。


至って普通の河川。
こどもは魚を探しているのか、あるいは別の生きものを探しているのでしょうか。
そこにある流れに心地よさを感じるからこそ、その中に身を置いているのだとよく判ります。

確かに。
川面に自分の姿が反射するのと同じく、そこに意識の波動・周波数が転写されていたことに氣がつきます。
水は、最も的確に心を映し出すことを。




大空へ向かう・大空から受け取る

夏の終わりへ向け photo 宮本章光

セミの合唱はピークの時期を終え、クマゼミもひぐらしもアリたちに運ばれ大地へ還ります。

まだまだ暑い周囲の空氣は、ふと吹き抜ける風にその感触を書き換えられ、
人の居ない月曜日の山は、鳥のさえずりと夏を惜しむ遅鳴きのセミ達の声に満ちています。

意識を大空へ向けてみます。
大空から大きな力が注がれる感覚を楽しみます。

コミュニケーションとはエネルギーの共鳴と交換であり、そこに言葉は必ずしも必要がなかったことを思い出します。
シンクロ体験が、この先の世を生み出し、
合致した周波数が、この先の道を切り拓いてゆきます。
ありがとうございます。




望みは高く大きく

風に揺れる photo 宮本章光

色も周波数です。
可視光線帯域で、人間には視覚としてその波長の違いを認識できる領域に存在するエネルギー。

特定波長を維持しているという観点では、色そのものがエネルギー存在であるとも考えられ、色という生命であると表現することも無理がないのだと。そんな時代に突入しています。
そのエネルギー存在と植物との共同作業。
ともに、いまこの時を謳歌している姿だと受け取るのも美しい表現に違いありません。


崩壊が決定している、この先に必要ない・消滅するだけのレイヤーに居続けるのは終わりにしてはどうでしょうか。
もちろん、
その位置にあっても、良いことよくないこと、共にあるでしょう。
そこで「良いモノ・コト」を選択するのは正しい選択でしょう。
ですが、そもそもそのレイヤーに居続けることをやめてみては?というレベルで考えてみるのです。

そこまで極端に飛躍した思考から、望ましい風景を生み出してゆきます。
思考が元の元なのですから、より大きくさらに心地よい周波数を生み出してみてはどうでしょう。

さまざまな要因によって、欲求水準から落として落ちまくって、望んだものに遥かに届かぬ形でしか具現化しないかもしれないわけですから。

望みは高く、大きく。
過去、大きすぎてはならぬ、という教えもありましたが、それは欲望にまみれ本筋を見誤ることを戒めたわけであり、高く・大きく描くことで、より望ましい世を創り上げてゆきたいものです。





陰と陽・陰陽の感触の違い

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陰と陽。

この街は東西方向に長いため、幼少期から「方角と太陽の位置関係」そして「陰と陽」の関係を無意識に感じ取る経験を積んできました。

南側は太陽が照り、北側は影になる。
南側は明るく暖かく、北側は暗く冷たく。
その昔は、鉄道路線を走る車両の内装でさえも、南側の車内壁は色濃く(直射日光がほぼ当たらない)、北側は色褪せて(直射日光に晒される)いたものです。

そして、
この地に息づく樹々も、南側と北側で見せる姿には微妙な違いを感じることが少なくありません。
方角と太陽の向きと同様に。

どちらが良いかよくないか。ではなく、
それぞれの側で、エネルギー波動が異なることを肌で感じられます。
また、
その瞬間瞬間に自分自身が維持する周波数に、より近くよりシンクロしやすい「側」で同期した感覚のほうが心地よく感じます。

磁石のように考えるのなら、それは対極にある波動がニュートラルになるよう打ち消しあった印、とも考えられますし、あるいはストレートに同じ波動域にあるから共振・共鳴している状態、だとも解釈できます。
いずれにしましても、太陽の当たる側で感じる波動と、影になる側で感じる波動と。
その時々によって、どちらが心地よいのか。その差は歴然としています。


この時には、北側の波動が心地よく、また安心感を感じられる感触を得た瞬間でした。
違い、というものは存在して当然だと理解できます。
御神木の見せる「顔」以外に、その生命存在の本質である「周波数」が南北で異なることを体感します。

ここでも「陰と陽」の両極がセットで存在する意味をしっかりと感じとります。
そして、その違いを・その感覚を受ける時間を体験し感性として蓄積してゆきます。
これら体験も、精神性を磨くための貴重なひとつの手段であることを知ります。




水の「きめ細かさ」に変化あり

2025年8月 水の神 photo 宮本章光

川の流れを眺め。
定点観測で氣がつくこと。

それは、
音に「きめ細かさ」を感じるようになり、細やかで繊細な響きに変化していること。
見た目にも、泡が細やかになり穏やかな印象になっていること。

水は生きていることを感じます。
エネルギーとして特定周波数を持っている時点で、そこに生命があると理解できる時代に入りました。
生命。それは、有機物の合成・ペプチド結合やタンパク質結合ではなくとも。
波動そのものがエネルギーを保持している時点で、エネルギー存在=生きていることだと認識する観点があってもよいはずです。


新しい時代は、みるみる先に進んで行きます。
旧いレイヤー上に残された、過去の遺物・過去の想念が作った「この先に不要な結晶物」にフォーカスし続ける間に。
置いてきぼりを食らうのも、自分自身の選択と意志表示。

自らの手(心)で、新しい地に相応しい周波数を生み出してゆきます。
それ以外に目の前の風景を造り替える方法がないからです。
自分の心が生み出す波動以外に信ずるものがないからです。




立派なincubation cellを目の前に

ここから巣立った仲間たち photo 宮本章光

ここから巣立った生命がひとつ。
ここに芽吹く世代交代の姿がひとつ。


この地で何を経験し、何を理解し、何を得たでしょう。
いつまでも自分からワナにハマり騙され続けることにも意味があるのかもしれません。
少なくともその当人にとっては。

すべてのモノ・コトには意味があり存在理由がある。
その言葉の本質を理解します。
立派なincubation cellを目の前にして。

生命は、学び体得し成長することで進化する。
その本質を垣間見た氣がします。

望ましい道を切り拓く仲間とともに。




飛んでくる念を受け取る・払い除ける

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「念」の文字からは、負のエネルギーを感じるケースが多いように思われますが、本来は、
---善念: 他者のためを思う心や、ポジティブな思考。
---悪念: ネガティブな思考や、他者に対する悪意。
といったように、両方がセットとなっているものです。

やはりここでも、両極ともにペアで存在するこの地のお約束です。


念が飛んでくる。
そういう感覚がはっきりと判るようになった人たちが増えているはずです。
心のセンサーが戻りつつある証でしょう。

でも、そんなものは思い過ごしだ。勝手な妄想に過ぎない。
なぁ〜にもそんなもの感じたことなどない。
こういった声が、いまだに多いのも確かです。

何度も記したので、もう重ねて詳細は書きません。
自分自身が、その周波数に「自分から合わせにゆく」そのアクションがない限り、いつまでも何も感じません。
それだけです。エネルギーは波動でありそういう仕組みだから。
自分からラジオの放送局を選ばない限り絶対にその局の番組を聞くことはできません。
自分からURLを打つ、あるいは検索結果のリンクをクリックしない限り望むサイトへは行けません。

これをやらずして、
何でもかんでも頭ごなしに、そんなものあり得ない、そんなもの感じたことなど一回もない。
と、やり続けていますと、
「この先に必須となるスキル」を自分は拒否します。これからも使う氣はありません。と意志表示し選択していることになります。
必須というレベルを超えて、もはや無ければ生きて行けなくなります。
まさに、呼吸などする氣はありません。と意志表示するような例えと同様に生命を維持できないレベルかと。

よって、この先この地では生きてゆけず、崩壊するタイムラインとともに肉体を返却する機会をもって消滅です。
ま、それも自分の選択と意志表示なので。


念は四方八方に溢れかえっていることが判ります。
もちろん両極ともに。

見た目が廃墟的だから、ここには負の念があるかもしれません。
でも仮にそうであったとしても、その周波数に合わせに行かなければその念に取り憑かれることがありません。
ところが、
自分から合わせて「いない」にも関わらず、一方的強制的に憑依してくるエネルギーがあります。
これらは、ほぼすべてが負の方向に偏っているように感じます。
後ろ側から狙ってくる感覚、というのが個人的な感触です。

こうした場合は受け取りを拒否するしかありません。触れていない・合わせていないにも関わらず襲ってくるためです。
これまでの世でも実際にあったはずです。
なんとなく苦しい。なんとなくイヤな雰囲気。そんな感覚を感じた場合が該当するように思われます。
多くの場合、否定的な「人」の念でしょうか。ピンポイントで狙ってきている念。
相手は見えません、誰なのかも不明です。
(いえ、大体、思い当たるフシがあったりしますが。)

これらの念は、払い除けるしかありません。
あるいは、対極にあるプラスの念を受け取ることで中和・消滅させるしかないでしょう。
周波数を合わせていないのにも関わらず、強制的にやってきます。
例えるなら、webブラウザが該当サイトを強制表示し続けるようなイメージ、まさに昔あったブラウザクラッシャー的な感じでしょうか。あるいはフィッシングサイトが強制表示し続け、一切のキーボードアクションがフリーズした感覚でしょうか。あとは電源落とすしかないような。


ブラウザの場合は、何か・どこかを「踏んだ」ために結果が発生します。
では、負の念は何がトリガーになるのでしょう?
判りません。
ただ、その場合には拒否する。立ち去れと強力に命ずる。プラスのエネルギーを強制注入する。
これらしかないように思います。


いつもいつも、わたし自身が「能動的にその波長に合わせに行かなければ」と、自分で書いておきながら、合わせていないにも関わらず襲ってくるエネルギーもあることを知ります。
意表をついて、背後からドカンと襲われるのでその瞬間に恐怖の周波数が生まれ、瞬時にシンクロしてしまうのではないかと予想します。
同じように、
プラス方向の念は、正反対に、送りたい人に送ることができるのだと思います。
こうしたエネルギーの法則を知り、使いこなせるようになりたいものです。

受け取る・払い除ける。
いずれの選択肢も、やはりここで自分の意志表示と選択にかかっている、と理解に及びます。
すべては、固有の周波数・波長に合うのか、あるいは合わないのか。
すべてが選択だと。




セミの樹を切り倒さないで

セミの樹を切らないでphoto 宮本章光

セミの樹を切り倒さないで。

こう書きますと、
じゃあその敷地管理者へ依頼すればいい、だとか、管理自治体に連絡し要望を伝えるのが筋だろ。
などと声が聞こえたものです。
ごもっとも。
けれども、わたしが伝えたいのは、その一本(あるいは数本)の木を温存することが目的ではないこと。
ようやくこの部分を理解いただけるようになってきたと感じています。


以前、財務省デモだとか一部界隈が騒がしかった時期、何もせずに黙っているのではなく行動することに意義がある。と仰った方がありました。
何もせず。
という言葉に激しく大きな違和感を感じ、この人はまったく異なる世界線を生きている人だな、と改めて理解したのでした。

彼にとっては、行動とは物理実体たる体を現地へ運び、多勢の同志とともに声高に叫ぶことでした。
「何もしない」よりは一つでも動くことが大切。この行動が世の中を変える大きな一歩になったと信じる。
という発言が、まるで衣服に落としたペンキのように、脳裏に刻まれた記憶から剥がし取ることができずのままです。

わたしの考える行動とは、
目の前の現実が「過去に生み出した思考と意識の結果物」である以上、その元の元である「意識が生み出される時点で」望ましい結果が得られるように、それに相応しい周波数を生み出し・維持することでした。
何もしていないわけがありません。物理次元的意識と精神性の観点と、相容れないものがありました。
もちろん、その考えは現在も一切変わっていません。

この延長線上にある意識が、セミの樹を切り倒さないで。なのです。
それは、
こうした貴重な生命存在を無下にしないこと。
この先にはともに歩む必要がある立派な生命を人間の勝手で消滅させないこと。
この意識を、より多くの人たちに伝えることです。

昨今、今度はソーラーパネル云々で再び騒がしい様子が見えます。
ものの見事に落とし穴にハマっています。
環境破壊だぞ、こんなに酷いんだぞ。というその声自体も、彼らの側からセットで流してきていること。
まだこのやり方に氣がつきませんか?何度繰り返せばよいのでしょう。
彼らは、そうやって負のスパイラルに閉じ込めるのです。まんまと仕組まれたワナに自分から飛び込んで踊る。
その負の方向だけに偏ったエネルギーに、あなた自身がいつまでもいつまでも燃料を注ぎ続けます。
よって、その「けしからん!」現実を、いつまでもいつまでも、自分自身が生み出し続けます。


この画像の木ではありませんが、幹線道路沿いの桜の木に、通し番号のような数字が記入された白いテープが一本一本にすべて貼り付けられていることに氣がつきました。
以前からその道路では、植えられている桜の木が知らぬ間に「切り株だけ」になっている...という状況を目の当たりにすることが続いてきました。
役所の発表では、犯罪防止のための監視カメラを増設すること、その障害になるであろうものは整備する(=邪魔な樹木は遠慮なく切り倒す)といった主旨のコメントを目にしています。
あろうことか市民の大半がそれに賛同しているという数字まで添えて。
わたしはそんなことに賛同した覚えはありませんしアンケートを受けたこともありません。

まさしく、これがお決まりの隷属化方策、その負のスパイラルに閉じ込めるための仕組みなので、ワナにハマらないようここで終止符を打ち、さっと離れます。
いつもいつも同じ手口で氣づかせてくれてありがとう、と。


ということで、その樹木を温存させるという目の前だけの現象にフォーカスするのではなく、
こうしたともに歩む存在、ともに生きる生命に対して意識の周波数を合わせ、それぞれの役目を果たしてくれていることに感謝を伝える。
これが行動だと。
これが、この国の先人が遺してくれた宝であることに深く頭を下げて。

望ましい周波数に合わせれば、必ず望ましいモノ・コトが顕現化してゆきます。
それが仕組みだから。
思考は現実化することを。




静かに・穏やかに過ごしてみてはいかが

静かに穏やかに photo 宮本章光

自分の心を変えてゆく。
それができない人は、そこまでの人。
それができない限りは、その人のタイムラインはそこで終了。

残酷ですがこれが現実です。


心が生み出します。
心から生み出してゆきます。
思考は現実となってゆきます。タイムラグを伴いながら。

心に描くエネルギー周波数と同じものを、現実というこの世に生み出してゆきます。
これまで(=過去)に生み出した自分の波動が、
ここに来て(=時差を経て)自分の目の前の現実になっているだけです。


---こんなに酷いことになっている。
---こんな悪しきことが行われている。
それにフォーカスするな、という意味ではありません。
ですが、
意識した途端にその波動に合致してしまう、その仕組みを知り得ましたでしょう?
合致したのなら、そのエネルギーを自分が増幅し拡大することを学びましたでしょう?

自分「だけは」見ても読んでも触れても、そのエネルギーに絶対シンクロしない、とでもいうのでしょうか。
数年前、テレビを見ても自分は絶対にブレない。だとか豪語する人がありました。
でも、もうその人は探しても見当たりません。探す必要すらありませんし、ものの見事に消えてゆきました。

絶対無理なのです。不可能です。
エネルギーは、同じ周波数である限り必ずシンクロし共振・共鳴します。それが法則ですから。
もし万に一つでも例外があれば、スマホは通信できずネットもつながらなくなります。どこにも事故も故障・不具合もないにもかかわらず。
ですから、見ない・聞かない・言葉にしない。
そういった意識や行為は「いかにもダメな行動だ」と思う感覚そのものが、洗脳教育から解けていない証ではないでしょうか。
お花畑だと呼ばれたのは、
そうした心地よい・穏やかな現実を作られては困る支配者層が仕組んだ洗脳に過ぎなかったことを学びましたでしょう。陰謀論だと呼び見下し蔑んだのと同じでしょう。


目の前の現実は、自分が創り上げたもの。結果物・成果物。
災禍に遭う。どうして自分だけひどい目に遭うのか。
そう思うのは、その現実を作るだけの原因を過去に作り出したから。そういう仕組みだからです。


残念ながら、まだこの国の人々全員の心を束ねることができずにいます。
くだらない情報という名のノイズ、ニュースという名の落とし穴にハマって「喜ぶ」限り。そのよろしくない「趣味を楽しむ」人がいる限り。
それがご自身の選択である以上、他者は触れず離れるしかありません。
この先に、ともに手を取り合って歩む存在ではない証明でもあります。
わざわざ自分に災いが降りかかるように仕向けたのは自分だと目が覚めるまで。因果の仕組みを体得するまで永遠に。
そして、
時差を経て結果として結晶化・現実化した負のエネルギーを取り上げていかにも評論家っぽく語るのも同類項。
それ、ご自身でそのエネルギーを焚き続けてしまうことにお氣づきでない印。ええ、リトマス試験紙が真っ赤に...。


自分の心を自分で変え、自分で望ましい周波数を生み出してゆきます。
静かに・穏やかに過ごしてみます。
それだけで目の前の現実は変わってゆきます。
それが仕組み・不変の法則だからです。

これができない以上、その人のタイムラインはここで終了。
できない限りは、それがご自身の選択であり、望んだタイムラインだということです。崩壊と滅亡のタイムラインを。




「怖がらせ案件」に怯むな!

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何度もこの場に記してきました。
ガスコンロに火花を飛ばすのが彼らのやり方。
でも、
火花だけでは「燃えない」のです。

その瞬間に大量のガスを注ぎ込んで盛大に燃やすのは、「ガスを注ぎ続ける」わたしたちの心の集合体のしわざ。
単に火花が飛んだだけ。
だから、その火花にエネルギーを注がなければ火花はすぐに消滅します。


「怖がらせ案件」にわざわざフォーカスし、そこに燃料を注がないことです。
これをこの国の人々すべてが実践すれば、カチッと火花が飛んだだけで瞬間的に消えてゆきます。

だから、恐怖と怒りを「わざと煽る」オールドメディアから離れました。
だから、他者と比較して「負の波動」を生み出すように仕向けるSNSから距離を置きました。
この次に必要なことは、
負の周波数に合わせないだけではなく、その次に望む「心地よい」周波数を生み出してゆくこと。

これを実践せずに、いつまでもガスを注ぎ込まないこと。
いますぐに行動すること。
行動とは、走り回ることではありません。
心から望ましいエネルギーを生み出すこと。

怯まず、増幅せず。
そして、
心地よく穏やかで、暖かく望ましいエネルギーを生み出して。

実践してください。
エネルギーの仕組みは偉大であり、その仕組みこそが神なのですから。
この国に生まれ育った者ならば、先人から受け継いだ和の心を、いますぐに束ねて再び心地よい風景を生み出すこと忘れず。

くだらない「情報という名のノイズ」から離れ、そして望ましい感触・感覚を大きく描き・生み出してください。
その隠され騙されてきた過去を、一切合切、完全に覆す瞬間、実践し体感してください。

思考は現実化する。
これがわたしたちの果たす役目です。




伝えるから「伝わる」

伝えるから伝わる photo 宮本章光

伝えるから伝わる。
伝えようとしなければ、伝わらない。

当たり前のことを忘れ去った地球人。
至極当然のことを忘れ去った日本人。
氣がついたのなら、
それを取り戻し、再度活性化することに注力すればよいだけ。


数を追い、数を最大化することだけに意識と思考がバグってしまったこの国の人間は、
眠り続ける者へも、目覚めよと大音響のアラームを鳴らし続け、覚醒者の数を増やすことだけが正解だと間違いを冒し続ける。

数を増やすことで世の中を変えるのではないと、自分そのものが目を覚ましていない。
世を変えるのは、自分の意識から生み出した望ましいエネルギーがスタート地点であることを。
この先の風景を変えるのは、自分の心から生み出す望ましい周波数によって顕現化させる仕組みを使いこなすことを。


ここに到達した人たちが飛躍的に増大していると肌で感じられるようになりました。
ここまで、ようやく手が届きました。やっとここまで来ました。
すでに自らの心を「どこにシンクロすればよいか」をしっかりと理解しているでしょう。
そして、能動的に行動するとは、
「どのような周波数に合わせてゆけばよいか」を実践することだと理解できているでしょう。


心から「伝えるから伝わる」。
美しいと伝えるから伝わる。
この伝播と拡散によって、この地を望ましく心地よいエネルギーで満たしてゆきます。
その閾値となる臨界点をもうすぐ超えるはずです。

伝えようとする。
それが行動。
それが実践。
伝えようとするから伝わります。




選択は二つだけしかない

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--何かを言うと、意図的にその反対意見を申し立てる。
--何かを書くと、意識的にそれを否定する。

そんな人たち。
でも、もう消えてゆきつつあります。

これらの人たちとの接点から学んだこと。
それは、
自分の選択は「たった二つだけ」だということ。


賛同するか否定するか。
もちろん、細分化すれば一部分だけは賛同、一部分は否定、といったような形・状況はあるかもしれません。
それをどちらでもない、と言うのでしょう。
しかしそれとて、もはやどうでもよいこと。すでに関係ない古い過去の周波数になりました。

宗教など最たるものだったと判ります。
従うのか・そうでないのか。
教義が定められている以上は、一部分だけ従うなんて形は存在しないわけで。
いかにも、隷属化を目論む支配者たちが捏造し、それを利用した意味がここにあることが理解できます。

それらを全て超越したところにあるのが「悟り」だと語られます。
「差」を「取り除いて」一律同質化する境地にまで至るから、「差を取って」さとりなのだと。
正しい解説に違いありません。ええ賛同します。

しかし究極の境地に至ってさえ、それらに賛同するかそうでないか。その選択は存在し続けるはずです。
ここで真っ先に反論が届きます。だがそれは悟りではない、その境地に至っていない未熟者だ、と言い訳されます。
ですが、選択が存在するかどうか、それは究極の境地に至ったかどうか、とは直接の因果関係はないと感じます。


この地・この世・この物理物質次元に、物理実体として存在している限りは、選択は消滅しないのです。
両極のエネルギーがセットでなければ存在し得ないのと同じでしょう。
何をどう突き詰めてみたところで、ここ物理次元では、選択はあらゆる場面において不可避だと知り得ます。

もちろん、量子重ね合わせで示されるように、すべての選択肢が同時に存在している限り、あらゆる選択が無数にあることが判ります。「選択肢そのもの」は二つだけではありません。
ただ、
上記のように、あらゆる選択肢があるかないか、と、どれを「選ぶか選ばないか」とは論点が異なっていると感じます。
数が無数にあることを論点にするのと、選ぶ・選ばない、に焦点を合わせていることと。
ここにも関連性はありません。
そして、突き詰めたからこそ、究極は賛同するか否定するか。その二択になることを体得してゆきます。


この地では、選択は二つしかありません。
ならば、選ぶのか選ばないのか。どちらに向いて道を創り上げるのか・やらないのか。




エネルギーの本質は「向こう側」にある

まだこれからの果実 photo 宮本章光

目に見えないものを蔑ろにする人たちからは離れて。
ともに未来を創り上げる仲間ではないのですから。

それを悪平等のもと、だれでもみんな一緒に仲良く。
と、間違って教育段階から刷り込まれてしまったために誤った解釈がこびり付いて取れないようです。


仮に、何らかの料理が目の前にあるとします。
そこに、砂糖も塩も、醤油もソースもラー油もタバスコも、すべてを注ぎかけたらどうなりますか。
ええ、みんな大切な調味料ですから、みんな仲良く。それぞれを尊重して大切にしましょう。きっと美味しくなりますよ。ですか?

まず口に含むことさえできないはず。
この感覚と同じでしょう。

それぞれれ役目があり、それぞれが「活躍する場所とタイミング」は決まっています。
これを、
美しくない言葉ですが、味噌もクソも同じに語ってはなりません。山の生き物と海の生き物は一緒には生きて行けませんよ。
と、説明・語られているわけでして。


この地は、生きる多様な自然観察園として実験されてきたとも伝えられています。
ですが、そもそも周波数が異なりすぎる存在はともに成長することは叶わず、最終的に破壊と滅亡に至ること、何度も繰り返し証明されてきました。
まして、途中で激しく紆余曲折、他星系からの侵略や略奪、支配を目論む存在の流入により、それはさらに激化したといいます。

すでに多くの論議が尽くされ、数多くの痕跡による歴史的証明もなされている昨今、地球に住む人間だけが大宇宙で唯一無二の存在であり、最も優れた存在である。などと思い込んでいる人たち。
そして、目に見えないものなどあるわけがない。と蔑む姿は哀れでさえあります。

然るに、そうした周波数の違いすぎる存在と仲良く、という論法そのものが破綻していることを知ったなら、そして学びを得るためにその接点が与えられていたことを知るならば、ただ単に「多くの体験・学習のために出現してくれてありがとう」と感謝を手向け、離れ、それで終わりです。


ここに、目を覚めせよ悪事を知れよ!と、叫び続ける愚を重ねないことです。
起床後、極めて慌ただしい朝に、いつまでも繰り返し目覚まし時計やスマホアラームが鳴り止まない、そんな状況は要りません。やかましいだけ。もう多くのひとたちは起きているのですから。
止めても止めても、スヌーズが止まらない。
故障していますその時計。電池を抜くしかありません。

同じでしょう。目を覚ませと叫ぶ人そのものが「故障」している証でもあります。
故障具合によっては修理もできましょう。けれど致命的に、彼ら自身の周波数も「違いすぎる」わけですから、同様に離れるだけ。


ここでさらに学びを得ます。
エネルギーは、表出している接点となる「表の部分だけ」を観察するのではなく、そのエネルギーを発する根源を見極める必要があるのだと。
壊れた目覚まし時計のように、叫び続けるひとたち。
彼らは、本当はもっと深い想いがあるのかもしれない。もっと違うところに心の叫びがあるのかもしれない。

ここを知ろうと努力してみるのは、一度は必要だと感じます。
そして、そのエネルギーは表には出て来ず、彼らの心の底にあるはず。それを捉えてみたいと。

そのためには、その周波数に「一度だけ」合わせてみるのです。
ですが、
深い想いや心に秘めた思いなど「皆無」な人たちは、やはり著しく波動が落ちるだけで、そこには何もなかったことが判ります。
ただ単に、救世主気取りで声のデカい自己顕示欲の塊だったのかな、と。
ここまでの作業をした上で、
やはりこの先には不要であり仲間ではない存在は離れるのみ、となります。

この国の言靈に置き換えるなら、
「悪縁を断ち良(善)縁を育む」そのものだと理解できます。
差別するという意味ではなく、本質を見極めるということ。
ここを洗脳によって誤って認識させられてきたのです。


この作業で得ることは、
エネルギー波動さえ、表面だけではなく向こう側にあること。
まさに、味の「向こう側」にそのエネルギーの本質があることを学びます。

食べ物のエネルギーは、味として表出するだけでなく向こう側にあり、まして目に見ない、その存在が持つエネルギーがあります。
すべて、こうした仕様・構造であるかどうかは不明です。けれど、その「向こう側」を知ろうとしてみることに価値があることを知ります。

このようにして、目に見えない向こう側にある力を「なんとなく感じる」練習を重ね、その本質を受け取ることができるようになります。
次は、こちらからも感謝のエネルギーをお返しするワークですよ、と、ロードマップはすでに見えています。




弱音を吐いても現実は変わりません

いつもそこに photo 宮本章光

限界です。
もうボロボロです。
ひたすら耐えています...。
早く救世主を...。
そう仰るのなら、言葉を発するだけの力がまだ残っている証明でもあります。

その力を、新しい道を創るために使ってみてはどうでしょう。


道は大きな重機がないと造れないから自分の仕事ではない?
土木の許認可が必要だとか、土地所有権が何だ、巨額の費用がどうだとか。
それはフォーカスする対象が完全に間違っているのです。
この論議をしている時点で、学習教材の「残り・学び残し」を大量に放置していることに氣づきましょう、ということです。

物理実体として道を造るには、当然重機が必要です。
しかし、そうではなくてその前に「思考ありき」であること。
この極めて重要な仕組みに早く氣づけよ、ということです。

くるくる詐欺然り。
わくわく詐欺然り。
自らが放つエネルギーの「仕組み」を理解すればそれが現実になります。
だから、
彼らは正しいのかもしれません。ええ正しいでしょう。いずれそうなります。
思考はエネルギーだから。意識こそがすべての根源だから。
生み出されたエネルギーが時差を経て顕現化する。揺るがない法則そのものだからです。

ですが、
もう耐えられません...と宣うのなら、そのエネルギーを新しい風景を創り上げるために使ってみる。
言葉が話せ、あろうことかSNS無限スクロール泥沼に嵌って喜んでいる限り、まだまだエネルギーは十分に有り余っているはず。
本当に物理実体の限界を見たのなら、
眠っているか起きているかさえ不覚の状態(立っているだけで居眠り運転状態)になり、食べ物を口にする力さえもなくなります。鳴り止まぬケイタイに手を伸ばすことさえできません。腕を動かす力と気力が底を尽きます。

思考は負の波長で溢れ、負の念に取り憑かれ、抜け出せない惰性の行動が続きます。
最後は、体の最も弱い部分が病み破裂し冷たい床に寝かされ点滴が打たれます。
これで終わりかも、と漠然と感じる瞬間・黒と白で描かれたモノクロ映像のような目の前の風景を見ます。

わたしはこの段階で天からの啓示が降りてきたので、いまここに生かせていただくことが叶っています。
誰もこの極みまで味わう必要などありません。
けれど、
力を注ぐ対象・フォーカス先を間違っているために、この地・この世はいつまでも目に見えた変化が起きません。

それを起こし具現化するのは、
「わたしたちの意識の集合体」が望ましい道を創る、と、ひとつに束ねられたその瞬間に可能になるものです。
それは仕組みだから。


日付を指定したwebのくるくる詐欺は、ある意味では「その期待と前向きな」意識を保持し醸成する目的では意味があると思います。
でも、それを待つ限りは、待ち続ける現実が繰り返されるだけ。
地下の闇がどうだ、誰が処刑された、だとか。そんなことにフォーカスするから、いつまでもその現実が続きます。
それは、あなたが作っているだけ。
そして、それを見る人たちがさらにそこに油を注ぎ続け、その現実をいつまでも固定し継続します。
見えないところで白帽子が活躍してくれている...、わくわくして待ちましょう。などと。

ええそれは実際に、その通りなのかもしれません。
ですが、
それはどうでもよいことと氣づきましょう。です。
それはわたしたちがフォーカスする対象ではありません。
先ほどの、道を造るには重機が必要で土木許認可がどうだ、というその例えと同じです。
実地の作業はその事業者に任せればいい。


わたしたちが果たす役目は、
望ましいエネルギーを無から生み出し、それを拡大拡散すること。
この先に望む、穏やかで心地よい周波数を生み出し、それをわたしたちの集合意識としてこの世に顕現化させてゆくこと。

それ以外に、この目の前の風景を変える方法はありません。
当然、時間の経過とともに崩壊するタイムラインにある世界は消滅してゆきます。ワルものも消滅してゆきます。
ですが、
同様に、その周波数に合致した意識をキープしているひとたち=webのノイズに触れ続ける人たちも消滅してゆきます。
同じ周波数はシンクロし、同じ変遷を辿るからです。
目に見えないモノ・コトをいつまでも否定し続ける人たちも同じです。
その周波数は、この先のこの地では存在できないからです。来たるシフトの機会で消滅することは確定しています。
加えて、
ボロボロです、限界です...と、訴え続ける人たちも同様に。
ボロボロで限界である現実を、自分自身で生み出し続けているのですから。
この先には必要ありません、と自ら宣言し続ける愚行。


現実とは、先に意識として生み出されたエネルギーが時差を経てこの地に顕現化した結果を言います。
であるならば、
生み出す元の段階で、望ましいものを発生させなければ、その後には何も変わりません。
ここを学ばない限り、教育教材は大量に未履修のまま、何度でもやり直しするだけです。

【参考記事】
[Link]どうしてこんな目に遭うんだ?2025/08/04(Mon)


みんなもうボロボロです。
みんなすでに限界などとっくに超えています。
そこを抉って弱音を吐いていても、現実は一切変わることはありません。

そこに使う力は、
「望ましいこの先の世」を具現化し「望む道を描き出す」ために使うのです。
それを「心の使いこなし」と言うのではありませんか。

美しく、ひたすら美しく咲き誇る存在から学ぶことは、まだまだ数多くあります。
世は、すでに心の波動を語る時代に変わっています。




借りた氣の恩返し

ルリマツリ借りた氣を恩返し photo 宮本章光

ザルから抜け落ちるような氣力の低下。
二、三日前のことですが、ルリマツリの姿からエネルギーをお借りして。

ようやく元に戻りつつあります。
お借りした力を感謝の言葉とともに恩返し。

すべては特定周波数を持ったエネルギー波動だと知ったなら。
心に抱けばこそ、その力を送り・受け取ることが可能になるという仕組みを実践に取り入れてゆきます。
そんな時代の幕開けに感謝を捧げ。




他の生命は先をゆく

ランタナの鮮やかさ photo 宮本章光

道端にひっそりと。
この季の花は赤とオレンジの様子。

植物たちは鮮やかさがより一層強くなったように感じます。
実際に目に訴える色彩感は鮮烈で、写真画像でも彩度を落としてちょうどいい感覚ではないかと感じることが増えました。
ここ数年で様変わりしました。

彼らは一足先に季節を謳歌するタイムラインに移行したのかもしれません。
このまま旧いタイムラインに居残りすれば、滅亡が決定しているのですから当然でしょう。

先ゆく多くの生命。そのごく僅かな変化を感じ・受け取ります。
それは、仕組まれた負のノイズから離れればこそ可能になるように思います。

情報とはノイズにしか過ぎなかったことを、今更ながら知り得る機会を与えられています。
ひたすら人間としての役目を果たすのみです。





どうしてこんな目に遭うんだ?

石ころからやり直しますか photo 宮本章光

どうしてこんな目に遭うんだ?
それは「自分」が原因を生み出したからです。

今世・今生で成長を望まず負のエネルギーをいつまでもいつまでも焚き続ける。
成長を拒み、眠り続ける。
その選択を、自らの判断により選んだ人たちは、最悪の場合石ころからやり直し。と伝えられています。
お借りした大切な体をお返しした瞬間に。


寒い日も暑い日も。
1年が流れて行きました。2年、3年、10年と。
来る日も来る日も、雨の日もカンカン照りの日も。

どうしてここに居るのか。なぜここに落ちているのか。
50年、100年と、同じことを繰り返します。
この石ころは、なぜここに存在しているのか。

200年、500年、1,000年を超えると周囲の風景が様変わりしました。
文明という名の人間の世界も大きく変化があるらしい。

2,000年、3,000年、5,000年。
なぜここに石が落ちているのか。
天変地異を繰り返し、氣がつけば海の底に転がっている石ころ。
なぜここに存在しているのか。いつまでも判りません。

1万年、2万年、この惑星のサイクルが一巡りしたようです。
喜びのエネルギーに満ちていた物理次元は、知らぬ間に争いと恐怖の波動で溢れかえります。
破壊と破滅の道。
いつか来た道。
それでも、またなぜここに存在しているのか。その石ころ。

10万年、50万年、他星系からこの地を征服しようとする存在が入り込みます。
ネイティブの人間は奴隷として使われる道を選択したようです。
でも、なぜここに石ころは落ちているのか。

100万年、500万年、繰り返すポールシフト、海の底も火山の麓も、もう見飽きた風景。
でも、どうしてここに居るのか。ここに転がる石ころ。

1,000万年、2,000万年、繰り返し訪れる他星系生命存在。
隷属化の世は、常に破壊と争いによって滅亡に至ります。その都度同じことが繰り返され...。
まだ海の底で転がり続ける石ころ。
なぜこんな目に遭うのか。

1億年、2億年。転がり続ける石は随分と角が取れて丸くなったようです。
今度は山の中腹に落ちている石ころ。
10億年が流れ20億年が過ぎ去り、30億年40億年と。


49億9,999万9,999年目。
とある山で転がる石ころ。
この地で生きる野生動物の吠える声が聞こえたような氣がします。石ころはその動物に踏まれたのです。
そして目が覚めました。
あぁ、自分は石ころだったんだ。猪さん踏んでくれてありがとう、と氣がつきます。

自分も美しい植物や動物・昆虫のように動ける存在としてこの地を「美しく彩ってみたい」。
多くの共に生きる生命に役に立つことで成長してゆきたい。
そう感じるところまで一氣に成長した様子が伺えます。

まずは微生物から経験しなさい。
そして魚として海で生きなさい。海藻も価値がありますから。
植物として空氣の構成要素を満たす役目も極めて重要です。と、次々と「お役に立てる」ことを喜びとして知り成長してゆきます。


再び数万年が流れました。
人間としてこの地で役目を果たす意志はありますか?と、天からの声が聞こえました。
さまざまな地域、さまざまな時代で、色々な経験を人間として生き積みあげてゆきます。
数百回、数千回と、人間としての生き方を経験してゆきます。
100万人に一人しか合格しない狭き門ですが、「宇宙レベルの大変貴重な区切りの時期」に「日本人として生きてみる」意志はありますか?
との導きに、強く決意を固め転生した「一人の日本人」として、今、生きています。


「如何に時間を短かく、如何に利益を上げるか!それが課題なんだよ。」
「どれだけ貨幣資産を築き上げどれだけステイタスを高めたか、それが成功者の証なんだよ。」
「時間がないんだよ。ジャンクフードを喰って何が悪いんだ?」
「心だ?精神世界だ?アタマ狂ってんじゃねえの?」

ある一人の日本人。
自分の意識が自分の目の前の世を作り出していることを「知ろうとせず」お借りした体をとことん痛め付けます。
「体なんてどこか壊れてこそ勲章や!」
「鉄の胃袋と鋼の大腸こそ成功者たる資質やろ!」

超貴重な宇宙の区切りであるこの時期。
いくらでも、何度でもやり直し考え直す機会があったにも関わらず、心を蔑ろにし体を痛め付け、それをカネのためには仕方ない、と言い訳して。
どうしてこんな目に遭うんだ!どうして苦しまなければならないんだ!とその人生を終えたのです。


そしてお借りした体をお返しした瞬間。

寒い日も暑い日も。
1年が流れて行きました。2年、3年、10年と。
来る日も来る日も、雨の日もカンカン照りの日も。

どうしてここに居るのか。なぜここに落ちているのか。
50年、100年と、同じことを繰り返します。
なぜここに存在しているのか。

彼は再び「石ころ」として50億年間のサイクルをやり直す意志表示をしたようです。

どうしてこんな目に遭うんだ?

聞いてなかった...のではなく、聞こうとしなかったのは自分自身。
知らなかった...のではなく、知ろうとしなかったのも自分自身。
それは自分がその道を選択したから。
それは自分がその選択をし意志表示したから。




氣を借りる

いつもそこに在るRurimatsuri photo 宮本章光

氣がザルの目を抜け落ちる。
そういった感覚の再来。
どこからかエネルギーを根こそぎ吸い取られている感覚。一切の力が入らずに。

美しい存在たちからも氣を借りることが可能かと。
元氣が戻ったら新たな氣で恩返し。
それまでは、力をお借りしながら...。




探し求めるのではなく合わせてゆく

ざくろが実る公園 photo 宮本章光

---探し求める。
探すほどに答えは見つからない。
---探し求める。
探すことなく探しものに心を合わせてゆく。

望むコト・モノは探せば探すほどに見つかりません。
それは「探さなければならない=見つからない状態」を自ら作り続けているから。

よって、見つかった状態をイメージして。
といった手法がいわゆる引き寄せ界隈のやり方。
間違いではないと思います。でも、肝心なところが抜け落ちていませんか。です。

技法・テクニックと、原理原則と。
この部分が「明確に区別されていない」ところに課題があるように見えます。


この地この世の物質次元では、
「状況認識」--「改善方法検討」--「実施・実践」--「結果を得る」
といった展開になることが大半かと思われます。

「探し物が見つからない」--「見つかるように手段を検討」--「実践」--「見つかる」
となるはずだと思いますでしょう?でも...、
「探し物が見つからない」--「見つかったと意識を騙している」--「実践」--「見つからない」
これをやっているのではないでしょうか。
結局は見つからないままで終わります。

正しくは、
「探し物が見つからない」--「見つかった状態の周波数を認識する」--「ターゲット周波数に合致させる」--「見つかる」となるはずです。

どこに違いがあるのか。
まさに、原理と技法の分離が認識できていないところかと。

見つかった状態を意識して。というポイントとなる最重要部分で齟齬が生じています。
見つかった状態を意識するのは大正解だと思います。
でも、見つかっていない波動を心に維持しているまま、いわば「心を騙して」見つかった時の状態を妄想しているだけかもしれません。
もちろん、
その意識がトリガーとなって、周波数に変化が起きる可能性は高いのでこれが間違いだとは言えません。
しかし、
肝腎かなめの、周波数を合致させるところにハードルがあります。
言い換えれば、上記のように「原理原則」を知っても「実践のための技法」が語られていないということでしょうか。


ターゲットに心を合わせ「見つかった状況=結果が得られた状態を意識する」とは、結果を得た時の周波数を認識しましょう、との原理原則が述べられているのであって、
そのために実践するテクニックでは「実現したときの状態を妄想する」という遠回りをせずに、「その周波数に合致させる」のがストレートに結果を得る方法ではないかと思われます。

しかし、その周波数がどのようなものなのかを知らないわけです。さらには、その周波数へ合わせるやり方も全く知りません。
学校で習いませんから無理もありません。

結果として、無理矢理にわくわくして...だとかやってしまう。繰り返しになりますが、それがトリガーとなって波動が変わることも多いので間違いではないでしょう。
でも、
原理と技法を明確に分離しない限り、いつまでも実現しない結果を繰り返します。
その数が増えれば心が疲弊し、何度やってもやっぱり実現しないんだ、とその波長をさらに顕現化し続けます。その泥沼・負のスパイラルから抜け出せません。


目的地に行きたい。
では、すでに到着したところをイメージして...と、やっています。でもこれだけでは目的地には行けません。
どのような手段を用いるのか。
列車なのか航空機なのか、あるいは徒歩なのか。

この列車なのか徒歩なのか。この部分を明確にすることが、すなわち周波数を明確に認識することかと思われます。
すべてが周波数。すべてが固有の振動数を持っているエネルギー存在であるからこそ、その周波数を認識しなければなりません。

可聴帯域にある周波数ならば、音として聞こえます。高い音・低い音、ズレてるな、ハモったな、と。
可視光線帯域にある周波数なら、色として見えます。赤い色だな緑色だな、と。
でも、
聞こえない・見えない周波数はどうやって認識しますか?

ここがこれから学ぶべき学習教材なのです!
心で感じる「感触」の違いとして認識する。これが答えかと思われます。


それはゴール地点を、心を騙して妄想することではありません。
それはいつまでも見つからないんだという波動を心に維持したまま妄想することでもありません。
望む周波数=心が感じる「感触」に完全に合致させることです。

まさに「幸せは探すのではなく、そう感じる心の状態が幸せの本質だ。」と語られている通りです。
そのためには、
そのように感じる心の「感触」を数多く体験し、赤い色や高い音だ、といった「感触の種類」を無限に蓄積してゆくことが求められます。

だからこそ、
くだらない情報という名のノイズなど完全シャットアウトし、崩壊するオールドメディアに触れ続ける愚を重ねず、人と自分を比較して心の波動を落とす仕組みであるSNSと距離を置くのです。
薄っぺらい、暑いね暑いね、だけしか喋らない魂のないAndroidたちの相手をする必要も一切なしです。

そして、
美しいもの、心地よいもの、望む周波数の「感触」をさらに多く多く、もっと多く体験してゆくことです。


結果として、どの周波数がどのような感触であるかを認識できるようになります。
この段階に至って初めて、どの感触に合わせると答えが出るのかが判るようになります。
こうやって、
望む「周波数を知っているから=周波数の色や音を知っているから」、ストレートにその色やその音に合致させれば答えが導かれ、探し物が見つかります。


探すのではなく「合わせてゆく」。
勉強すべき課題はwebには一切存在していません。もちろん教材も、そしてそれを指導してくれる先生も。

答えは、自然と触れ語るときに得られる、自らの「心の感触」のみです。




ここぞ!と決めたからには

抜け殻に想う photo 宮本章光

この爪で土を掘り、
この足で幹を登り、
この腕でしっかりと抱き抱える。

この島から旅立つ、と決めたら決して離さない。
でも、
それは必要以上に力むことではありません。


氣をつけて。
と言い続けるから「氣をつけなければならないリスク」が生まれます。
もちろん、それは安全を願う言葉であることは否定しませんし、その意味においては有用かと感じます。
同じく、暑い暑いと言い続けるから、あなたの現実は永遠に暑いままです。
で、冬になれば寒い寒いと言い続ける。
まさに、定型文プログラムをコピペしただけの思考しかできない姿が如何に薄っぺらいかということです。
あなたは魂そのものが無いAndroidの証。まもなく淘汰されるでしょう。この先に必要とされない存在よさようなら。
不要な周波数にはフォーカスを合わせない。


思考・意識が具現化・現実化する仕組みを知ったのなら、
思考そのものがリスクを生み出すようなエネルギーに同調しないことです。まして自分から生み出す必要は皆無です。
当たり前ではないかと。
量子力学から学び得るのは、この視点でもあるはずです。

ここぞ!と決めたなら、決してブレないその決意を天に委ねます。
それ以上に力を入れて握りしめる必要などどこにもありません。
自動的に決意の通りに顕現化してゆきます。それが仕組みだから。当然タイムラグ:時差も承知の上です。

もちろん、途中で落下してしまう個体もあるでしょう。
でも、それはその個体が選択した結果。因果。
落下する選択をしなければよい。それが法則。

なのに、もし落ちたら?もし掴み続けられなかったら?
と、負の波長を選択するから「その選択が現実となる」のです。
その体験をするためにやってきたことは否定できませんが、学び終えたのなら、もうその波長のエネルギーを生み出さないことです。
エネルギーレベル・波動レベルで生み出すから顕現化してしまう。


思考は現実となります。
なぜなら、
思考とはエネルギー波動そのものであり、その固有の周波数に合致したものが現実になるからです。
これは仕組みだからです。

ここぞ!と決めたからには決意を天に委ねる。
そうすればこそ自動運転が開始されます。
これは仕組みだから。

そして、仕組みそのもの・仕組みが作用する力そのものが神だと知るに至ります。
神と量子力学がここに融合してゆきます。
この国の先人が遺した財産を噛みしめて。




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