旧いレイヤーに取り残されたかもしれない

旧いレイヤーに取り残されたかもしれない。
そのように感じることがあります。
もし仮にそうであるならば、腹を括るだけ。
7年半の大患難期を迎え入れ、踏み絵の結果で炎に放り込まれ焼かれようとも。
映画レフトビハインドのラストに語られる名句。
「まるでこの世の終わりのようだ。」と語る父に、娘:クローイは「まだ始まったばかりよ」と。
いえ、ここで宗教の話をする意図は一切ありません。
それに、もはやその意識レベルは卒業済みのはずです。
「一人は取られ、一人は残される。」
有名すぎる一文ではあります。
実際のところ「取り残されたかも...」と肌で感じる瞬間には、背筋が凍りつき絶望感がすべての視界を遮ります。
しかし、
後世の支配者が隷属化のために手を加え捏造したものにどれだけの価値があるのかをよく考える必要があります。
今日までに、思考が現実を創造することを学んだ限りは、
現実創造の能力を使うまでだ、と一歩下がって俯瞰するのみです。
はて。ここで「ホンモノの現実創造のスキルが身に付いているかどうか」。
それを試験されているんだな、と理解が届きます。
この世もあの世も、そしてすべての宇宙も。
何もかもが実験場だと氣がつきます。
実験により結果を得て、その選択が生み出した結果を検証する。
そして、
蓄積されたものをこの先に生かしてゆく。それが進化に結びついてゆくのだと。
選択とは壮大な実験のための仮説のひとつだったことに氣がつきます。
意志がある限り、その周波数のエネルギーは必ず花開きます。
意志がない以上は、決して花咲くことはありません。
2025/08/20(Wed) 10:58:16 | photo blog



