顔から滲み出る人柄とエネルギー

顔を見れば判る。
顔は自分の履歴書。
顔については、このような言葉により数多く語られてきました。
この国の言葉には言霊が宿ります。
これから先の生き方を180度転換するには、口にするもの二つを劇的に変更する必要があります。
その一つ。「ことだま」。
顔とは、
その生命・その存在の性質や性格が表出している場所。
顔とは、
その存在が持つエネルギーの表現キャンバス。
だから顔を見れば、その存在の性質・性格が一目瞭然。
旧字体である「顏」は、
鉱物性顔料と流れる髪を表現した、まさに顔そのものを示していたと言われます。
多くの生命のみならず、わたしたち人間も例外なく、
言霊の媒体としての言葉を口から発し、
性格・性質を顔によって表現し、
エネルギー体そのものである自らの存在を掲出していることが判ります。
ある程度の年齢を過ぎれば、自分の顔に責任を持て。と、語られてきました。
正しい教えだと判ります。
けれど、そのためには時差があるこの地では、積み重ねた過去からの履歴が必要です。
一朝一夕には「顔」は作られないからです。
自分の顔にそれほどまでに自身があるのか。
と言われても困りますが、自信などありません。
大切なことは、このいまの瞬間を悔いなく精一杯生きることで、その履歴が刻まれてゆくという事実。
隷属化を仕組んだ者たちによる、くだらないエネルギーやノイズに触れ続け、体にダメージを与えることを意図して製造されたジャンクフードを口にしながら言霊を台無しにするような発言を繰り返す。
恥ずかしいと感じることさえできなくなった者は、やはり幼児教育から再度やりなおし、あるいは石ころからやり直しをする、との意味がよく判ります。
岩石で50億年を過ごし、やっと動物に踏んでもらって自分は石だったんだと氣づく、遠大な旅。
動物の糞をかけてもらって、やっと自分が石だったと目が覚める。
ここで「ああ、氣づかせてくれてありがとう、イノシシさん。」という境地に達するかどうか、その次元のプロセスからのやり直し。
そのレベルではなく、現在・いま、ここで人間として体をお借りして生きてゆけること。
ここに感謝が湧き出るのです。
無理やりに・エセわくわくするなど一切必要ありません。
この瞬間瞬間を大切にすることで、この先に顔が形作られてゆきます。
顔から滲み出るのは人柄のみならず、その生命存在「そのものの姿」「そのもののエネルギー」であることに理解が及びます。