セミの樹を切り倒さないで

セミの樹を切り倒さないで。
こう書きますと、
じゃあその敷地管理者へ依頼すればいい、だとか、管理自治体に連絡し要望を伝えるのが筋だろ。
などと声が聞こえたものです。
ごもっとも。
けれども、わたしが伝えたいのは、その一本(あるいは数本)の木を温存することが目的ではないこと。
ようやくこの部分を理解いただけるようになってきたと感じています。
以前、財務省デモだとか一部界隈が騒がしかった時期、何もせずに黙っているのではなく行動することに意義がある。と仰った方がありました。
何もせず。
という言葉に激しく大きな違和感を感じ、この人はまったく異なる世界線を生きている人だな、と改めて理解したのでした。
彼にとっては、行動とは物理実体たる体を現地へ運び、多勢の同志とともに声高に叫ぶことでした。
「何もしない」よりは一つでも動くことが大切。この行動が世の中を変える大きな一歩になったと信じる。
という発言が、まるで衣服に落としたペンキのように、脳裏に刻まれた記憶から剥がし取ることができずのままです。
わたしの考える行動とは、
目の前の現実が「過去に生み出した思考と意識の結果物」である以上、その元の元である「意識が生み出される時点で」望ましい結果が得られるように、それに相応しい周波数を生み出し・維持することでした。
何もしていないわけがありません。物理次元的意識と精神性の観点と、相容れないものがありました。
もちろん、その考えは現在も一切変わっていません。
この延長線上にある意識が、セミの樹を切り倒さないで。なのです。
それは、
こうした貴重な生命存在を無下にしないこと。
この先にはともに歩む必要がある立派な生命を人間の勝手で消滅させないこと。
この意識を、より多くの人たちに伝えることです。
昨今、今度はソーラーパネル云々で再び騒がしい様子が見えます。
ものの見事に落とし穴にハマっています。
環境破壊だぞ、こんなに酷いんだぞ。というその声自体も、彼らの側からセットで流してきていること。
まだこのやり方に氣がつきませんか?何度繰り返せばよいのでしょう。
彼らは、そうやって負のスパイラルに閉じ込めるのです。まんまと仕組まれたワナに自分から飛び込んで踊る。
その負の方向だけに偏ったエネルギーに、あなた自身がいつまでもいつまでも燃料を注ぎ続けます。
よって、その「けしからん!」現実を、いつまでもいつまでも、自分自身が生み出し続けます。
この画像の木ではありませんが、幹線道路沿いの桜の木に、通し番号のような数字が記入された白いテープが一本一本にすべて貼り付けられていることに氣がつきました。
以前からその道路では、植えられている桜の木が知らぬ間に「切り株だけ」になっている...という状況を目の当たりにすることが続いてきました。
役所の発表では、犯罪防止のための監視カメラを増設すること、その障害になるであろうものは整備する(=邪魔な樹木は遠慮なく切り倒す)といった主旨のコメントを目にしています。
あろうことか市民の大半がそれに賛同しているという数字まで添えて。
わたしはそんなことに賛同した覚えはありませんしアンケートを受けたこともありません。
まさしく、これがお決まりの隷属化方策、その負のスパイラルに閉じ込めるための仕組みなので、ワナにハマらないようここで終止符を打ち、さっと離れます。
いつもいつも同じ手口で氣づかせてくれてありがとう、と。
ということで、その樹木を温存させるという目の前だけの現象にフォーカスするのではなく、
こうしたともに歩む存在、ともに生きる生命に対して意識の周波数を合わせ、それぞれの役目を果たしてくれていることに感謝を伝える。
これが行動だと。
これが、この国の先人が遺してくれた宝であることに深く頭を下げて。
望ましい周波数に合わせれば、必ず望ましいモノ・コトが顕現化してゆきます。
それが仕組みだから。
思考は現実化することを。
2025/08/13(Wed) 19:30:06 | photo blog



