舞台はいつもそこにある

舞台はいつもそこにある。
けれども、
そこに行かなければ目にすることは叶わない。
そして、
その役者にフォーカスしない限りは絶対に会うことはできない。
これを論理的な観点から語れば科学になるのかもしれません。
そして、物理実体ありきの意識にとどまっている限りは、行動することこそが世を変える秘訣である!と繋がって行きます。
もちろんこの論法の中に間違いは何もありません。
しかし、
観点を変えてみますと、別の語り口になることがわかります。
そこにある舞台の中から、特定波長に合致した意識により観測をすることで、量子重ね合わせとして存在していたあらゆるシーンの中のひとつの選択肢が選ばれ顕現化するのだと。
二つめの観点による語りです。
またもうひとつ違った語り口にしてみましょうか。
三つめとなる観点です。
そこにある存在に心の波長が合った瞬間に、その美しさと存在感・一期一会の出会いを齎すのは、心の周波数であり意識したものが具現化する実体験そのものだ。と。
どれもどこにも間違いがないと思われます。
切り口が異なっているだけで、これほどまでに感触の違ったものになる実例でしょうか。
ここしばらく何度も繰り返し記しています。
人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。
この延長線上に、意識と思考が顕現化する世が生み出されてゆきます。と。
まさに自分が信仰する宗教を「押し付ける」かのごとく、これが唯一無二の真実だ。
と、やっていることそのものが、二元化多極化・分離のエネルギーであることに氣がつきます。
もちろん、
それを体験するためにこの地にやってきたのですから存分に味わえばよいのですが、すでに味わい尽くしたのなら「卒業します」と意志表示する必要があります。
ここが抜け落ちていないでしょうか。
正しい宗教はこれだ。だとか、真実はひとつしかない。科学的思考からはこれが絶対であり間違いはありえない。(自分もこれらの落とし穴に見事にハマりました)
などと、いつまでも続けないことです。
それを続けること=まだまだ味わい足りないため分離と二元化・二極化の体験を続け、苦しみと怒りと恐怖のエネルギーを自分も生み出してハマり続けます。それがわたしの楽しみであり趣味ですから。
とやってしまいます。
重ねて書きますが、それを希望されるのであればどうぞどうぞ。納得がゆくまで続けていただければ。
しかし、わたしはもう味わい尽くしました。
よって、この先に望むエネルギーだけを選択したく感じています。
---選んだらそれを実践・実行する。
ひとつめの観点からの語りです。
---観測によって選択されたものが顕現化する。
これは二つめの観点でしょうか。
---心地よく望ましいエネルギーを抱くからその周波数にシンクロするものが目の前の風景になる。
これが三つめの観点による語りでしょう。
どれも正しく、どれも間違いではないように思われます。
旧来のレイヤーから卒業の意志表示をする限り、この先には、その先のエネルギーにシンクロしたものが現実として顕現化してゆきます。
すでにこの地のロードマップには「旧来のエネルギーはこの地で存在できない」と明確に記されている以上、自分自身も意識・精神性の拡大を果たし、新たな地に相応しい周波数にチューニングしてゆきたいと思うわけです。
そこにフォーカスする・シンクロできるかどうか。
それは、自分自身で自分の心を「然るべき波長」に合わせる必要があります。
人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。
舞台はいつでもそこにあるのですから。
2025/08/24(Sun) 10:54:52 | photo blog



