
合致する。
同期する。
共振する。
共鳴する。
周波数が同じものがシンクロする大法則。
潜在意識と顕在意識。
わたしたちの心の中、その大半が潜在意識だとされます。
よって、
同じ周波数だ、と認識している感覚が「顕在意識領域」にありながらも、「潜在意識領域」ではまったくその波長とは合致していない状況も発生します。日々の大半がこの状態かもしれません。
で、小手先だけの手法は「潜在意識を騙す」というあのやり方。もちろん効果があるに違いありません。
しかしながら、
顕現化までに長い時間がかかり、揺り戻しが襲ってくると、もとの木阿弥。
ええ、わたしは満ち足りています、と念仏を唱える。
潜在意識に刷り込むのだと。
はい、必ず効果はあるはずですし、間違いではないと思われます。みんなやってきましたでしょう。
でも、
こんな3次元的な騙しはもう不要ではないかな、と感じます。
では、どうするのか。
それがいまを生きる。いま心地よく過ごす。という、これまた語り尽くされた手法かと思われます。
結局、その本質をまったく理解できていなかったということ。
いつもながら、わたし自身が誤りの道を右往左往しているだけ。多くのひとたちも似た状況に違いありません。
原理原則に忠実に、そして根本のスタート地点に立ち返ってみます。
同じ周波数は必ずシンクロする揺るがない法則に則って。そして量子力学の観測者による顕現化を実践して。
言葉は、初期段階では目に見えない潜在意識の領域でエネルギー波動として生み出され、それを顕在意識に入った言葉として認識する。
この順序さえ間違わないようにすればよいように感じます。
これまでは、まったく逆をやってきたようです。
紅葉の季節になりました。
美しく色づいて...。素晴らしい・立派だ。
と、
そのように感じるエネルギー波動がまず生み出され、それが色づき、だとか紅葉、といった言葉に落とし込まれる。
この順序だと思うのです。
まず、心地よさや畏敬の念を感じることが先にありきだと。
感じるというエネルギーが「言靈」がもつ周波数に「合致」するように。この部分だけに集中して意識を合わせます。
幼児向けのパズルのように、同じ形のものだけを選ぶ。
同じ形とは、すなわち同じ周波数のエネルギー。
どちらの向きから証明・演繹しても双方向でイコールになるように。
そうすれば、必ず抵抗が消滅し、自動的にシンクロするはずです。
それなのに、
紅葉は美しいけれども...。
でも、上司はうるさいし隣の部署のあいつは憎たらしいんだよな、と深層心理に抱え続けているから潜在意識はその負の周波数だけをいつまでも焚き続ける。
この状態では、抵抗値が激しく大きいので、そこに違和感が盛大に生じます。
エネルギーがフリクションロスとして、ものの見事にザルの目から抜け落ちてゆきます。
それを毎日毎日続けていれば、そりゃ体調も崩れます。
美しいね。楽しいね。わくわく。なんて思っても願っても、現実はまったく変化しない。
まさにこれでしょう。心の底にゴミが湧いて腐っています。
で、心(潜在意識のほう)を騙して、わくわくするのでしたか。
それ、限りなく遠回りしていませんか。ということです。
違和感を感じないようにする。それがすなわち抵抗が無い状態。イコールパズルが同じ型にはまっている状態。
結局は、
違和感というセンサー・違和感という名の心の入り口に居る警備員のアラートを無視するからそうなるのではないでしょうか。
すべては、袖が短い服を着た時に感じるような感覚をスルーしないこと。
ここに答えがあるように思われます。
感じたのなら、
あぁ、違和感出たよね。あぁ、この周波数は違うよな。と認識すること。
ここで蓋をして、見て見ぬふりをしないこと。
その周波数は違うんだから、違うという客観的指標を与えてくれてありがとう。警備員さんお知らせくださってありがとう。
と、離れる。それだけ。
これが統合。そして望む選択。
15分もすれば周波数はズレてゆきます。
もしズレないのなら、まさしく潜在意識にゴミが溜まり腐敗している証ではないかと思われます。
あるいは、負の念に憑依されているか、負の想念を送りつける存在が居るか。
そして次は、
望むモノ・コトへチューニング周波数を変更してゆきます。
重ねて記します。
でも、できない!
それは、上記のように腐敗した負の波動を、隅々までしっかりと浄化していなかったということ。
それは、ご自身が最後のこの5年間で「やったつもり」になっていただけということ。それが自分の選択だったということ。意志表示だったのだと。
残酷ですけれど。意識のエネルギーは絶対に同じ周波数しか合致しません。
意識を向けたものにエネルギーは合致してゆきます。
然るに、意識することによって同じ周波数でシンクロする現実が創造される。思考が現実化する。
願いは、何も心の奥を騙すような遠回りをせずとも実現してゆくのだと。