丸・まる・円・統合する形

丸いもの。
丸い形。
かわいく優しく見える印象。
果実のみならず葉までも。
その本質は、
すべてを統合し「循環する」形が丸型になったもの、とも語られます。
確かに、
丸という図形を手書きで描いてみても、始点に戻って閉じることは、当たり前の感覚で容易に理解できます。
その昔、
テレビのデザインにおいて、台座(脚の部分)に丸型を採用したモデルは散々な評価を受け、結果としてその後に続くデザインは、脚にはすべて直線基調が採用され続けている様子です。
これは理解できなくもないかな、と感じます。
なるほど、
直角や直線のみで形成されている画面の下部に「丸型」の台座は不釣り合いと感じる人が一定数存在するのはわかります。
すべてを直線基調でまとめ上げるのがデザインだろ。という感覚。確かに。
でも、それもデザインとしての一つの提案ですよね、と理解する許容性が「無かった」時代だったのでしょう。
いま、丸・円という図形は、単にお絵かきレベルの図形ではなく、エネルギーフィールドの観点からも「統合と循環」を司る形であることが伝えられています。
ここ数年、神聖幾何学模様の意味を理解する人たちが増えるに従い、それらをイメージとして描くことでエネルギーレベルでの均衡が実現することは、体感として得られるようになっています。
一方、
そうした感覚や理論そのものを、理解しようとする姿勢そのものが皆無な層もあり、彼らはこの物理次元を味わい足りない・もっともっと苦しみ怒り恐怖の体験を続けたい、との意志表示をしているまでだ。と、こちらも理解が進みました。
なるほど、地球は丸くないぞ平面だ!と叫ぶエネルギーも、テレビの脚は丸など邪道、四角くなくてはならない!
と、頭ごなしに拒否する波動と似ているようにも感じます。(個人的感覚とお断りしておきます)
それは分離・分断ではなく、単に選択の違い。
ここを誤らないようにしたいものです。
悪平等という感覚そのものが隷属化ツールでしたから。
明暗、表裏の両極のエネルギーを統合する。
モノとココロを統合する。
そのために、受け止め受け入れ、そして必要なものだけを選択する。
もう後戻りはできませんし、この選択が自分の近未来を形造ります。
然るに、
何を想い何を選択するのか。
丸・円は、柔らかく優しい印象があるのですから、それを感じそのエネルギーにシンクロしてゆけば、そのままの世が顕現化してゆきます。
それは、狂った精神論ではなく、決して間違いをすることのない物理法則・量子論の世界そのもの。
2025/11/09(Sun) 11:35:25 | photo blog



