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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「ともに」という言葉・言靈

ともに生きる photo 宮本章光

「ともに。」
この言葉は、独特の響きを持っているように感じます。


まずは第一印象通りに連帯感。
何かを「ともに」行うことは、互いに助け合い、責任を分かち合う。
協力や絆が生まれ、社会全体の調和につながる感覚でしょうか。

少し違った観点では精神的なつながりという表現でもあります。
「ともに」という言葉には、物理的な存在だけでなく、精神的な共有や感情的なつながりも含まれています。
喜びも苦しみも「ともに」感じることで、より深い理解や共感が生まれるはず。

さらには、これは哲学的な視点とでも言えるかもしれません。
「ともに」は、ただ単に一緒にいるという状態・状況以上に、存在することの意味を問いかける要素もあるでしょう。
個人と社会の関係、自己と他者の相互依存関係を考慮する重要な概念ではないかと。


このように、「ともに」という言葉は慣れ親しんだシンプルなワードでありながら、深い意味や文化的背景を持った表現だと思われることです。
人々が結びつき、助け合いながら生きることの大切さが、この言葉には込められています。
まさしく、この国の先人が大切にしてきた和のエネルギーそのもの。


常にこの場で触れ続けています「両極のエネルギー」。
それは、
精神的な領域にあるココロの感覚と、科学的思考というモノ・物質観点の波動。
目に見えないエネルギー波動と物質化した波動と。
それらは「ともに」存在することで、車の両輪としてバランスし成長・発展が実現できるはずです。

それなのに、
この地の歴史は、支配したい者により「その一方を無いもの」として教育し洗脳してきたのですから、その路線のまま、いつまでも人を見下し蔑み、人と比較して上に立とうとする姿勢をやめ、みっともない裸の王様状態だったと氣づくことです。


先般の記事にも記しました「科学的...」という感覚。
参考【科学的...という枕詞に】2025/11/04[Link]

これこそ、裸の王様の極みではないかと。
精神世界は誤り・間違いであり、正しく・真理は「科学的に証明されたものだけである」という、一方的な優越感にも似た感覚で語るのは、もはや恥ずかしさ以外の何ものでもないところにまで到達していることを知りましょう。です。


こうして分離分断を目論む彼らの思惑通りに踊らさせ叫び続けてきた、この地の悪しき歴史があったのは確かです。
しかし、
そこにフォーカスしている限り、そのレイヤーから脱することは絶対にできません。

なぜなら、
この地・この世に「物質化・顕現化」させるのは、わたしたち一人ひとりの心が生み出す波動以外に方法がありません。
思考は現実として顕現化する。大法則。これ以上語る必要はないでしょう。
それは奇妙な精神論ではなく、確固たる物理法則そものです。
すでに量子力学でも「観測者問題」として、意識という波動エネルギーによって結果が確定することは、当たり前の事実として証明確立しています。

仕組まれた落とし穴に自らハマって喜ぶような、幼すぎる遊びはもうやめにしましょう。
心の中から、心の底から、大きく望ましいエネルギーを生み出し、それを束ねて「ともに生きる」道を創り上げてゆきたい、と願うばかりです。
ともに。
それは、人も他の生命もすべて。ともに。


これが「光として生きる」「光の道を歩む」「科学と精神の統合」だと伝えられているのではありませんか。
見せかけだけのフワフワ波動ではなく、望ましい道を生み出す、との強い決意を固めて。
この国の「和」の精神そのものです。

この道こそが最速で目の前の風景を変える秘訣。これ以外に道は存在し得ません。



2025/11/06(Thu) 16:39:16 | photo blog

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