整える・巡る・新世界

とてもそんな心境では無いにも関わらず、
---わくわくして待ちましょう。
---日に10個の感謝を書き並べましょう。
---実現したイメージを描いて引き寄せましょう。
なんてやってきた時代が、すでに過去になったことを強烈に感じます。
いえ、間違いだと言っているのではなく、もう古いですよ、目を覚ましてね。ということ。
「周波数」
すべては波動エネルギーであり周波数によって決まるということ。
そしてもう一つ超重要事項。
「循環」。
引き寄せ、などというメソッドが如何に「物質・物理時点的」な観点に立脚していたかを知るにつけ、本質はそこには存在していなかったこと。
エネルギーの共鳴と循環が、そのキモであったのだと。
回るように、巡るように「抵抗となる存在:それはモノでなくても=目に見えないものでも」を極限まで無くしてゆく。
結果として、
流れが早くなります。
流れが早いのにも関わらず抵抗が無くなるので静かになります。
余計なノイズとなる波動が生じなくなります。
実際、目の前の川を流れる「水音」が極めて滑らかで静かに変化していること。以前にも綴りました。
【参照】
「水の「きめ細かさ」に変化あり」2025/08/16(Sat) [Link]
生ゴミをこの川の支流に投棄していた昭和45〜46年頃。
台所流し台の三角コーナートレイを持ったおばちゃんたちが卵の殻や野菜の皮を無造作に放り投げていたのでした。
あれから50年以上、目の前は完全に変わりました。
それは環境に対する意識が向上したこともありますが、心の周波数が大きく変化したとも言えるでしょう。
公共の場、そして生命に直結する川に生ゴミを廃棄する、その感覚が激しく・酷く幼過ぎた、と学んだからでしょう。
その風景は物理的な「川」そのものの変化に過ぎません。
これを、すべてのエネルギー波動の「流れ」という感覚にまで拡大し、意識を広げてゆきます。
抵抗となるノイズ、まさに生ゴミが散乱している状態にあれば、流れは滞ります。しかも腐ります。
滞るところに、新しいエネルギーは入ってきません。
毎日同じ電車で、毎日同じ道を通って通勤し、毎日同じように業務を行う。
そこには、エネルギーが停滞し濁り澱んでいる可能性が極めて高いかもしれない、と感じることができるでしょうか。
感じられなければ「心が麻痺している」という証かもしれません。
仕方ない?カネのため?
それ、もう死語に近い禁句でしょう。
自分の道は自分で生み出すことを体得したはずではなかったですか。
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【カタカムナウタヒ5首】
ヒフミヨイ
マワリテメクル
ムナヤコト
アウノスヘシレ
カタチサキ
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古くて新しい。それは懐古趣味ではありません。
コト・モノの真理が語られていたこと。
いえ、ここでカタカムナの説明をすることは意図していません。ご自身で検索いただければ。
エネルギーは同じ周波数で共鳴し、
エネルギーは循環することで進化する。
悟りは「変わってはならない」ところまで昇華するのが正しいのだ。と語られたこともあります。
けれど、
その段階に到達するまでには、変わり続けなければその境地に達することはできません。
そして、
悟るという感覚そのものが、あまりにも物理物質次元的な立ち位置からしか理解していなかったことにさえも。
望む周波数を選ぶ。
望む現実が自動的に巡るようになる。
ただし、
そこにはノイズがあっては巡ることなく停滞してしまう。
だから、
クリアに手放しし断捨離したのでしょう。
いつも地球人は逆ばかりやっています。
そして、いまだにモノ感覚から脱せない。ものを捨てたから終わり、負のエネルギーに蓋をしたからもう終わった。と。
で、わくわくして五次元を待ちましょう、ですか。激しく恥ずかしい。
3I/ATLASの乗組員が、もしあそこに居る(これこそがモノの発想であると理解した上で)のなら、すぐに姿勢を正して(いえ虚構を張るのではありません)、モノの感覚だけではなくココロの波動を合わせてみようと友好的に心を整えたいわけです。
少なくとも、卵の殻を川に投げ捨てていた姿が過ちであったことを理解したのと同じように。
次にフォーカスすべきは、
周波数と巡り(循環)と。
まずは、心の中に生ゴミを廃棄しないように環境を整える。
そうすればこそ、エネルギーは自動的に巡るようになる。
望ましい周波数に合致するからこそ、そこに新世界生み出すことが可能になります。
整える・巡る・新世界。
創り上げるのは自分の周波数です。そして滞らせず巡らせることです。
2025/11/23(Sun) 10:48:08 | photo blog



