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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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時は来たり

セミの穴 photo 宮本章光

物ごとには最適なタイミングがあります。
この2025年は、梅雨明けの発表後も、なかなかセミの合唱に出会うことがありませんでした。

梅雨明けなど人間の都合で勝手に決めているだけで、大自然に生きる生命はその土地・場所の時計に応じた最も適した機会を知っているはずです。

--しばらくは晴れの日が続く。
--もう雨は降らないだろう。
そのように判断できるタイミングを見計らって、この固い地面に穴を開け地上へと出てきます。
判断を誤ったなら、豪雨で溺れるかもしれませんしそのまま命を落とすこともあるでしょう。
判断とは、まさに生死に関わる一大選択だと判ります。

それだけに、そのセンサーを正確性のみならず高精度・高感度に維持することは最重要事項かと。
他方、
人間は、自らの感覚・直感というセンサーを自分から台無しにし、自分からそうした目に見えない世界から離れてきました。
自らよろしくない言葉(言靈)を口にし、自らよろしくない食べ物を口にし続ける。
それが仕組まれた罠だったとしても、その罠にハマるのは自分の選択であり未熟な精神性が選んだ道だったわけですから。


そしていま。
ようやく、それら過去からの隷属化の仕組みを知ったのなら、一刻も早くそのネガスパイラルを断ち切ることです。
いつまでも、悪事を知れよ、眠るひとに伝えることで世の中を変えるんだ!
などとやっている時点で、その負の波動を自分が維持し続けているのです。

「思考は現実」となります。
それは思い過ごしや浮ついた戯言でも何でもなく、確固たる理論に基づいた法則であることが証明されはじめました。
これまでの常識という名の知識は、これを知られるとアジェンダを実行できなくなる支配者層が仕組んだ、誤った洗脳でしかなかったのですから、間違った意識そのものを早急に捨て去ること。
そして、その次には、
望ましくこの先の世に必要とされる意識を拡大すること。
目を覚まし氣づいた人たちさえ、この極めて重要な次の要素が抜け落ちていることが多いように見えます。

締めくくりは、
善悪ともに存在しなければならないこの世・この物質次元において、「悪」という存在があったからこそ「善を知り得る」ことが可能だったという事実。
悪を滅ぼしてはなりません、というその本質はここにあります。
悪に感謝を捧げて、という言葉の本当の意味はここにあります。

なぜなら、善・悪はセットでバランスするのがこの世の仕組みであるからです。
そして片側を知り体験するからこそ、その対極にある感覚と仕組みを理解し成長することができるから。
よって、悪という仕組みに感謝を捧げ、そのあとには綺麗さっぱりと手放ししてしまうことが求められているわけです。


晴天が続くことを知った彼らは、そのタイミングを間違いなく知り判断し、地上へと姿を現します。
ここに躊躇する行動など一切存在しないはずです。
ここぞ!というタイミングを判断・選択したからには、一氣に行動します。

地球は、いままさに「このタイミング」を迎えています。
古き悪しきエネルギーをすべて捨て去り、この先に望む周波数を選択するのみ。

いつまで「穴の出口で」ゴソゴソと懐古趣味に浸っているのですか?
一氣呵成に地表へ飛び出し、この次の世界を心からの周波数で創り上げる。それがいまこの瞬間。
このチャンスを活かせない限り、再び大雨に打たれ穴の出口で溺死する道を選ぶことになります。

時は来たり。
いつまでも判断できず行動できない地球人へ。
いつまでも間違った行動を取り誤ったエネルギーを焚き続ける地球人へ。




周波数を維持するとは

輝かしいエネルギーを photo 宮本章光

すべての存在は固有の周波数を持ち維持しています。
語り尽くされた事柄でしょう。

思考が現実となる仕組みは、永年隠匿され無きものとされてきました。
しかし、それを実体験している人たちが急増している限り、もう隠し通し嘘をつき通すことは難しくなっています。
すでにその法則が確固たる事実として表に出てきていることを知りましょう。


エネルギーだとか波動だとかのワードに拒絶反応を示す人は、
それがよくないものだ、と教育により刷り込まれた洗脳から卒業できていない証でもあります。
まさに、自分は「よくないもの」に触れるような輩ではなく「よい子ちゃん:優れた人間」なんだ。という優生思想にさえ通ずる感覚。

この感覚そのものが、思考が現実となる仕組みを「体現」し「証明」していることが判ります。
---自分はよくないものには触れないんだ。
---自分はよい子だから誤った思想は持たないんだ。

そういった意識を維持し続けている以上、自分自身が「その現実=思考が現実になるわけがない!」を顕現化させ続けます。
その意識を持ち続ける限り、決して思考が現実となることはあり得ません(=現実にならないと思い込んだ現実を作る)。
それが仕組みだからです。
こうして分断・分離は決定的となり、もはや絶対に交わることのない地点にまで到達した状況です。

よって、その遥か彼方に分岐した行き先の異なるレールに乗り移る必要性は皆無だと断言できる時間を迎えたことを知りましょう、ということです。
それなのに、
いつまでも隠されてきた悪事を知れ!悪よ滅べ!を繰り返すのは、その周波数を焚き続けそのエネルギーをいつまでも増幅し続けていること。
ここに氣がつなかければ、ご自身の現実は、いつまでも悪事が蔓延し悪は永遠に滅び(=消滅し)ません。
自分自身が氣づかない以前に、この地・この世を変えたい=良くしたい、との意志は「ありません」と宣言し続けていることになり、自分が悪に成り下がっているのです。
これを「善の仮面を被った悪」と呼ぶのでははないでしょうか。

まだ多くの人たちが、この善の仮面を被った悪になっている姿が見えます。
ええ、わたし自身もそれを見ようとするから見えるわけですが。

然るに、そうしたこの先に不要なエネルギー・不要な周波数には触れずに離れる。これ一択しかないのだと。
周波数とは、同じ波長に合致すれば必ず共振し共鳴、同じエネルギーを拡大します。
ですので、
触れない・見ない・聞かない・離れる。
これを実践するのみです。


加えて、美しい存在、美しい風景、美しいエネルギー。
穏やかな意識、心地よい意識。
そういった波長のエネルギーを維持するよう心がけます。
そうすればこそ、そのエネルギーが目の前の現実として顕現化してゆきます。

高い理念を維持し続ければ、それが因果となり結果を齎す、そのものズバリです。
周波数を維持するとは、自分自身の選択であり意志表示そのものです。




見えない力を聞こえない力を

都会の真ん中で生きる photo 宮本章光

目に見えないもの。
耳に聞こえないもの。

信じるか信じないか。
そんなレベルの話は、とっくの昔に終了しています。
この先の世では、そうした五感以外で受け取る力に対する感度を上げてゆきましょう。と、そんな時代になりました。

被写体となる向こう側から力が送られてきます。
そのように書きますと頭ごなしに否定された過去がありましたが、その時代ももう終了しましたし、そういった人たちも消えてゆきました。
異なる周波数に対しては相容れなくなったことが判ります。


この場所・この瞬間。
この「場」にある周波数と合致したからこそこの絵が記録できたこと。
その意味を理解できる方々とだけご縁がつながっていると理解しています。


このすぐあと。
いい写真が撮れましたか?と、見ず知らずの人から声を掛けられました。
突然で驚いた感覚のほうが強かったものの、あぁ、この人もこの「場」のエネルギーを受け取れる人だな、と瞬時に理解できた次第。

24、25年ほど前、重苦しい感覚を癒してくれるこの場に日参したことを思い返してみますと、当時・その瞬間の心地よさや安堵感が蘇ります。
けれどそれとて、昔の感覚はこうだった...と思い描いたことによって「いまこの瞬間に」そのエネルギーが生み出されたことを知ります。
時間など存在しない、という言葉の本質はここにあります。25年前の記憶というエネルギーが「いまここで」生み出されたのだと。


目に見えない・耳に聞こえない。
そうした、これまでの物理的制限を取っ払った波動を受け取ります。
そのためには、口にするもの二つ(食べ物と言靈と)を劇的に変える必要がありました。
実践してきた結果が、いまここに生み出されています。

よくないものが体に入るのは仕方ない...。
確かにそうでしょう。この地に存在している限りは善悪はともに存在し続けるからです。
しかし、
だからと言ってそれを免罪符にし「仕方ないのだからある程度の毒も...」などという発想を続ける限りは、永遠に「ある程度仕方ない」現実を作り続けます。
まして仕方ないを枕詞に自ら積極的にその行動を続ける限りは。
スマホ片手にファーストフードを無意識に口に放り込む姿など激しく嫌悪感を感じ目を逸らさざるを得ません。


いつまでも目の前の風景に変化が見られず、最後の一線を越えられない理由は、この中途半端な意識にあることを知ります。
学びとは、こうして限界を突破することによって上書きされてゆきます。
筋力トレーニングのように、負荷を大きくハードルを高くし、それを乗り越えるからこそ成果を得ることができます。
結果として、新たな段階へ登ることが可能となりアップデートされてゆきます。

どれもこれも、目には見えず耳にも聞こえない。
思考は現実を創り上げるのです。




出会う必然・引き寄せられる必然

溝に輝くエネルギー photo 宮本章光

恐らくここにフォーカスする人は皆無だろうと感じながら。


呼ばれた方向を見てみると...。
そのような言葉の表現方法があります。

確かに、呼ばれたように感じます。
そこに自主的・能動的な意識は存在せず、ただ視線を操られたかのように引き寄せられました。
視線の合った先に、この風景。

ただ単に、溝に浮く落ち葉、夏空の映り込み。
ただ単に、陽が差す草と影になった水面の対比。

なんの変哲もない歩道の脇にある小さな溝。
けれど綺麗に清掃されているその溝には、動きを表現する僅かな水流がありました。


周波数は同じ波長とだけ響き合う。
出会う必然性がここに存在していました。
ありがとうございます。




言靈に合焦する氣高き精神性

羽化の足跡 photo 宮本章光

本日27日、二投稿目です。

「喧しいほど鳴くねぇ、でもこれがないと夏本番にはならんと思うなぁ。」

昨日、ご近所の方から通りすがりに聞いた言葉です。
この地域の町内会長など種々歴任された方。

おっしゃる通り。
耳を擘くように響くセミの大合唱・大音響、その例えは確かに喧しいほど。
でも、これが夏の風物詩。
最後には、言葉の上でも綺麗にまとめ上げて帰結する。
その間、約5秒間。

お人柄でしょう。これまでに培った人生経験ももちろんあるからこそでしょう。
これを、この国では「人徳」と呼びその言靈を尊びます。

他方、
顔をみるや、熱いね熱いね、めちゃくちゃ暑いね...。
それしか口に出せない人たち。
鳥のさえずりとその場の空氣感を味わっている、わたしの空間に土足で踏み込み、その空氣を破壊することしかしない迷惑極まりない人たち。

まさに精神性と成熟性がまともに表出します。ありありと伝わります。
氣がつかないのはご本人のみ。
こちらがどういった波長で、何を感じ何を体現しているかをオーラフィールドから感じ取り、それに相応しい氣高き言葉を言靈に合わせ表現できる。
これがその人の人徳だと。

もうすでにこういった時代になりました。
テレパシーだ高次元だ、わくわくして待ちましょうなどと騒ぎ立てる以前に、自分自身がどれだけの精神性の高さを維持しているのか。
ものの見事に伝わるようになっていることに氣づきたいものです。

言靈にシンクロするその人その瞬間の精神性の高さと品格。
この目に見えない波動を感じ取ること、すなわち、それがテレパシー能力を取り戻している第一段階だと感じる瞬間です。




生命の神秘・生命の尊厳

生命の尊厳を photo 宮本章光

誰の手も借りず、誰に助けを乞うことなく。
自分だけで地表へ出て樹に登り、自分の力で巣立ってゆきます。

足の形をそのまま残したような薄皮から窺い知る見事な完全変態。
生命の神秘と尊厳の波長をこの場から受け取ります。


いつまでもいつまでも、熱いね暑いね...だけしか喋らない、人に不快感を与え迷惑をかけるだけの言葉は要りません。
不要な言葉に見舞われる・具現化するのは、そこに合致する波長を自分が持っている印でもあり。

この先に必要ない周波数を脱ぎ捨ててゆきます。
この先に必要ない波動を維持する体から完全変態してゆきます。




周波数が変わると変化する風景

真夏の空間に触れる日比谷公園 photo 宮本章光

太陽の色が異なって見えることがあります。
自分のその時に立つ場所・地域によって青っぽく、あるいは黄色っぽく。

また、降り注ぐ超高周波のような響きの質や量が異なることがあります。
激しく耳鳴りのように強く響いたり、弱くスカスカなエネルギーに過ぎないと感じたり。


--単に体調の変化でしょ。
--思い過ごしでしょ。それを氣のせいと言うんではないかい!

そういう声が大半だった世の中。
その世界線から足を洗いたたい。そう願えばこそ、より一層大きな変化・差異として感じるようになります。
まさに、思考が現実化している証でしょう。


人の手によって作られた公園であっても、そこに息づく生命の存在は大きく穏やかです。
雑踏や交通量の多い幹線道路の騒音が、静かにフェードアウトする瞬間があります。
代わって、
噴水の滴る水音や、鳥の囀り、夏を謳歌するセミたちの合唱が響き渡ります。

自らの心にシンクロする周波数が、その波長に応じた現実という目の前の風景を顕現化させてゆく。
その実地・実体験を重ねてゆきます。


日影で休む人たち、池を眺め穏やかな風に身を任せる年配者。
なるほど、
その周波数に合致した瞬間に、レイヤーを跨いだ感覚がしっかりと理解できるようになりました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。




自分で創りあげる・究極の理解

珊瑚樹の実がなる photo 宮本章光

自分で創り上げる。
言葉面は綺麗です。もちろん間違いなどどこにもありません。


---行動せよ。
もう終わりました。体を酷使することにしか意識が拡大できていない証です。

望むモノ・コトへフォーカスすれば「自動的に行動できる」ものです。
周波数が大きく異なっているもの・ことへ、無理矢理に望みもしないことをやる。
それが行動だと間違って思い込んでいる姿。大変滑稽です。

---意識せよ。
これも終わりました。心から生み出すところまでを「知り得た」のは立派です。それ以前の状態も数多いゆえ。
でも「本質を理解」していない可能性が高いように見えます。こちらは痛々しく且つ同じく滑稽でもあります。


自分で創り上げる。
それは、望み願う目的地点への道を作ることだと解釈していますが、それさえ必要なかったことを知ります。

わくわくして過ごしましょう。とのその本質はここが伝えられています。
無理矢理に、楽しくもない目の前の現実から「目を逸らして」現実逃避するために、エセわくわくすることがいかに恥ずかしいことでしょうか。
本心から望むものに周波数が合致している限りは、自動的に顕現化「してしまう」ものです。
まさに、無理して道を築き上げるプロセスさえ超越してゆきます。


わたし自身も、道をコツコツと創り上げて行かなければならない、と思っています。
物理次元に物理実体をお借りしている以上は。
でも、
そのプロセスが苦にならない感覚として維持できれば、その時間は楽しめる行程になるはずです。
これを「苦行を積んで」目的地へやっと辿り着く、という感覚が「なくなる」と同意だと解釈しています。
実際、楽しくて楽しくて、と感じる取り組みをしている時には、時間の感覚も希薄ですし、何よりも苦痛とは無縁である経験を振り返っても容易に理解できます。


苦しんで辛い修行を積み重ねる。
それがこの地では必要なプロセスだったことを否定しませんが、中学校を卒業し高校へ進学しようか...という段階に至ったのなら、苦行を楽しみに変えてしまう中級編の「心の使いこなし」を体得してくださいよ。ということではないでしょうか。

いつもいつも間違って勘違いするのは、
学びや修行の工程が「要らなくなる」んだよ、高次元に行けば。わくわくして待ちましょう...。それまではもっともっと苦しむこと・学ぶことを否定してはダメなんですよ。今の段階では。
などと、やってしまうのです。その界隈のビジネス然り。
学びは永遠です。無くなりません。
けれど、その学び方や教材が、成長度合いによって大きく変わりますよ。と、ここを理解せねばなりません。


自分のキープする周波数が上がれば、その瞬間に目の前の風景は一変するはずです。
周波数はデジタル的に変移するからです。
ピアノの鍵盤A音をA#に変えるのは瞬間です。一瞬で音は変わります。
では、弦楽器でポルタメント・グリッサンドのようにグィ〜ンと徐々に変化させるのはどう説明しましょうか。

これもミクロ的に見れば、微小な段階を跳躍して上がり・下がりしています。
演奏者・鑑賞者の「定規」が仮にミクロな尺度に置き換わったのなら、これとて一瞬に音が変移・移動している様子が観察できます。
間は無いのだと。


量子重ね合わせ状態で「すべての選択肢が同時に存在している」ことを知ったのなら、
結局のところ究極の解釈は、「どれを選ぶのか」それだけだったのだと氣がつきます。
意識を合わせ(観測)選択をした瞬間に、その周波数に合致するものが顕現化します。誰も否定できない大いなる仕組みです。

生きているネコと死んでいるネコと。どちらも同時に重ね合わせで存在しているとされます。
その間となるまだ息を引き取っていない状態もあるかもしれません。
しかしそれは、中間地点があるのではなく、中間地点という状態も一つの選択肢として存在していること。
それにフォーカスした瞬間に「自分がその現実を創り上げる」とされます。まさに大いなる仕組み。


自分で創り上げる。とは、
苦行を重ねることではなく、どの周波数を選択するかによって一瞬で望むものが具現化することを。
これに加え、物質化・結晶化のための「時差がアキレス腱」として存在していることにも理解が至ります。
周波数は一瞬で変化します。でも結晶化には時差があります。
しかしそれとて、「時差があるという選択」を自ら行なった結果であると理解できます。
そして万人がすべて一人残らず、そのように解釈しているために、この世では顕現化には時差がある、という現実が顕現化します。


自分で創り上げる。とは、
究極の理解は、選択であったことを知り得ます。
だから、
この先に必要ない情報という名のノイズから離れます。
断捨離するのは、単にモノを捨てるだけではなく、心に染み付いた「思考のクセ」を一切合切捨て去ることが伝えられていたことを知ります。
そうしなければ、思考が現実になるからです。
そうでなければ、自分自身の思考が自分自身の現実を創り上げるからです。




定期定例ご案内

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2025年・夏のオンラインクラスを開始しています。

【直近のスケジュール】
https://airrsv.net/photo-primary/calendar
【講座詳細】
https://and-em.com/school.html

今年は、一つの開催枠に一名のみの参加とし複数名での実施は行いません。
そのかわり、それぞれに個別の授業が開催できるものと思われます。

ご予約をお待ちしております。

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「信じる」と量子論のパラドックス

真夏の光を受け取る photo 宮本章光

そういうクセがついてしまっているのでしょう。
「信じる」
その言葉を聞くと、途端に宗教だとか怪しい霊感商法に違いない、だとか思うように思考回路が固着していませんか。
けれども、このように発想すること自体が「誤った洗脳」「間違った刷り込み」だったと氣づき態度を改める人たちが激しく増えています。


目に見えないもの、という括りでも同じでしょう。
信じる。
その言葉に、言靈が持つ力とは「異なった・かけ離れた」明らかに正反対となる力を与えてしまうのです。

信じるとは、単純に「信頼し受け入れる」ことだと正しく認識できる感覚こそ、この先に必要だと思われます。


甚大な災害は、もうこの国では起きません。と何度も綴り続けてきました。
この国に上陸し大きな災禍をもたらす台風も何年もお目にかかっていません。海外の様子はどうですか。それと比してこの国は大変恵まれています。
それは、
この国の人々、この国の一人ひとりが「心から生み出す力」が、これまでは負の方向の巨大な集合体になり、結果として自分たちがその現実を作り上げていたことを知るに及んだからでしょう。
天気・天候さえ故意に負のエネルギーを生み出し、負の結果を導くように操作されていたことを。
知ったからには、もう「その手」には乗らない。あるいは、そんなことは眼中にないポヨン感覚の人たち(これはこれで問題ですが)が膨大に存在するから具現化しなくなったのだと。

何度も繰り返し記してきました。
ガスコンロに火花を飛ばす。それが支配者層が仕組む「きっかけ」。
でも、そこに膨大な量のガスを注ぎ込み激しく燃やすのは「わたしたち一般人の恐怖による心の集合体」エネルギー。
その負の巨大な力がなければ、何度火花を飛ばしてみても、いつまでも火がつかないライターのように...。
その恐怖心を必要以上に煽るオールドメディア。そしてオールドインフルエンサーさえ、カネに魅入られ魂を売り飛ばした、仕組まれたひとたちでした。


次に注目したいワードは間違いなく「信じる」だと思っています。
最初に文字に落とし込みましたように、これまでは真逆に刷り込まれていたのですから、それをストレートに言靈のとおりに受け止めてみます。

必ず思うように顕現化する。
間違いなく意識した通りに現実となる。
そう信じます。心底から。何の疑いもなく。

ここで宗教だとか怪しい商売だとか、微塵にも思わないことです。
それは誤った隷属化の仕組まれた過ちだったのですから。
そう思う瞬間にその方向のエネルギーを自分で生み出すのですから、結果は絶対に現実化しません。
巧妙な仕組みでした。


ここに最先端の量子力学が力強くバックアップしてきます。
量子もつれ、や、重ね合わせ。など、その深遠な構造の触りだけしか知識がない者にとってみても、容易に肌感覚として納得できるはずです。
ひとことで頷きます。激しく納得します。

「信じる」その信頼し受け止め受け入れる感覚なくして顕現化しないことを。
それが自分の選択であることを。
それこそが、観測者たる自分自身の立ち位置であることを。


本当に支配者層は巧妙に仕組んできていたことがわかります。
「信じる」その「タネ/seed」そのものが無きモノとされている以上、決してこの世には具現化しない仕組み。
信じる、そのワードそのものを「信じていない」のですから、絶対に現実化しません。

量子の世界で重ね合わせ、同時にすべての選択肢が存在しているにもかかわらず、
「信じない」を選択し続ける限り、絶対に具現化しない。見事に法則に則った具現化「しない」実験をさせられていたのです。


信じる。
そのワードに、奇妙な旧い洗脳を被せることなく、ストレートに受け止め受け入れ信用・信頼すること。
この先に求められる姿勢かと思われます。
その瞬間に、観測者たる自分自身が、この世に顕現化させてゆきます。
ここにパラドックスは生み出されません。

信じる。
宗教でも何でもなく、そのように誤って刷り込まれ間違って理解してしまった洗脳から心を解き放ちます。
その瞬間に、観測者たる自分自身が、この地に望ましい現実を顕現化させてゆきます。




不要なものと必要なもの

猿丸の懐で photo 宮本章光

この先に必要ないものを手放す。
これまでに物理的にモノを処分し掃除してきました。
でも、
心が一向に綺麗になっていないのではありませんか。

なぜなら、捨てるはずのゴミに波長が合致したままだから。
心とはそういう性質のもの。
心とは自らの存在エネルギーそのものだと、理解できていない時点で無理でしょう。


定例・定置でここの生命に挨拶します。
満足に陽が当たらない環境と思われるものの、その場所でしっかりと命を繋いでいます。
前回は昨2024年の9月。
いまの季節、葉振りも夏らしく。
【参考】
「何を想う・果たすべき責任」2024/09/03[Link]

定置定例観察は、生き物の成長や生きざまがストレートに見えるので欠かさず続けたいと思っています。
相変わらず、通り過ぎる人たちは目もくれず。

心に合致しないものは、その人にとっては存在していないのと同じ。
周波数が異なれば、そこには決して顕現化しない。量子力学そのもの。
他方、見て・聞いて、感じるものは、そのまま心にシンクロしその周波数そのエネルギーを拡大します。


いつになったら分かるんだ!
と思えば・言えば、
そのエネルギーを自分自身が生み出し続ける仕組み。
だから離れる。
だから意識を合わせない。

これを見て見ぬ振りをしている。と解釈するのさえも自由。
それが身魂相応。
自分の維持する波長以外のものは理解できないわけですから。


心の中が一向に綺麗に掃除できないのは、掃除しようとしていないから。
でも、当人にとっては掃除しようとしていない、のではなく、モノを捨てただけで終わってしまっているのでしょう。それで終わり。

心が合致しているエネルギーの波長・波動こそが、無限に生み出し続ける根源であることに理解が及ばないのです。
これが身魂相応。
自分に必要ない周波数を「維持し続ける人」は、この先には「自分にとっては不要」だということ。
それは同じ周波数は響き合い、異なる周波数は共振・共鳴しないという単純な物理法則そのもの。


不要なものと必要なものと。
ひとそれぞれ。
それぞれの地に相応しい周波数しかこの先には残らない仕組み。
不要な波長は自然と消滅してゆきます。

美しい生命には美しいと伝え、この先もともに歩みますと伝えます。
しっかりと自分らしく生きる存在へ。
ノイズに触れ続け踊らされることなく。
感謝とともに。




静かな心を穏やかな心を

道端で出会う photo 宮本章光

道端で出会う小さな存在。
誰も見向きもせず足速に通り過ぎて行きます。


彼らの世話をする人たちがあります。
水を撒き剪定し、季節ごとに手入れを行います。
ご近所の方々かもしれませんし、公園緑化協会の人たちかもしれません。

こうした人たちは、ここに生きる生命に意識を合わせることができるのだと思います。
もちろん、無意識に、あるいは単なる作業ループとして行っているのかもしれませんが。
(協会のひとたちの中にも、美しくない波動を持つ人たちが在ることは過去に体験しています...。)
その作業時には、きっと同じ周波数に意識が合致するはずです。
その作業時には、必ず生命存在として認識しているはずです。


都会のど真ん中であっても、見渡せば必ず視界の中に植物を見つけることができます。
住宅地の路地の奥であっても、色とりどりの花を咲かせる存在が必ず見つかります。

自分自身が、彼ら生命に意識をフォーカスするかどうか。
しない限りは、その存在に氣づくことは絶対にありません。
ここにも、意識した瞬間に顕現化する大いなる法則が働いていることを知ります。


---元からそこに鉢植えがあったんだよ。
---初めから道端に植え込みがあったんだよ。
そうでしょうか?

意識していない限りは、そこに咲き誇る花の色さえも一切記憶に残っていないのです。
意識していない限りは、その人のタイムラインには存在していなかったのです。

この感覚、この世界、この精神性を共有しともに磨き上げてゆきたいと思うのです。
ええ、この感覚なしに「この先の世」を生きることはできないフェーズに入っています。
はい、この感覚のない「この先の世」は崩壊し消滅するだけです。

そのためには、
静かに穏やかに、美しい存在と波長を合わせてみる。
そんな生き方を選びたいと感じます。
崩壊し消滅してゆく周波数に合わせる必要性は、もうありません。




こういう時代の訪れを嬉しく感じ

御神木に降り注ぐ photo 宮本章光

もう騒ぐ人たちは一氣に減少した感覚です。
一部の方々はもう視界から消えてゆきました。

太陽から光が降り注ぎます。
そこにある歴史の語り手、尊厳ある生命存在。
このコラボレーションは、強力かつ鮮烈に。

溢れ出す氣の力が画面に同期してゆきます。
こういったシチュエーションであれば、こうした現象が出ることをよく知った者(=わたし)が撮影をしています。
けれど、
それを意図的に狙わなくても、またその結果を意識していなくても、ここにある氣を受けとろうとすればこそ、その状況が表出します。

○○が写った!などと騒ぐ必要は一切ありません。
ええ、冒頭のように、すでにそのレベルで騒ぐ人たちは消滅しつつあります。
画像に記録されたかどうか。
そこに観点があるのではなく、意識せずともその場の氣に合わせようとすれば顕現化する、その関連性こそが重要なのであって、もはやその精神性を語るフェーズへと入っています。


こういう時代が訪れたことを感じます。
こうした時代に足を踏み入れたことを喜んでいます。
この場は、足元には台座が整えられている場所ですが、足下にある根と土と大地、大いなる仕組みそのものたる神への礼儀を忘れず。




一人ひとりが役目を果たす

平五郎とともに photo 宮本章光

わたしたち一人ひとりが役目を果たす。
その時を迎えたように思います。

身魂相応。
自分の周波数に相応しい役割があり役目があるはずです。
残念ながら、旧くこの先に役に立たない周波数を選択しそれを増幅するのが役目だと認識している人も多いように見えますが、それもその人の役割なのだと理解します。

それらを全て包括しバランスを取ったなら、シーソーはどちらに傾くでしょうか?

負の側が重すぎるのであれば、そうではない対極の望ましいとされる方向へ「より一層」ウエイトをかけるべく行動するのが、正の波動を拡大する唯一の方法ではないでしょうか。

役目を果たすとは、こういうことだと。
役割に応じた行動とは、これを語っているのだと。
肉体を酷使し走り回るのが役目だと考える人は、それがその人の選択と意志表示。それがその人の役割。
対極を望ましい波動で埋め尽くし上昇させる以外に、シーソーを傾ける方法がないことを知ります。


リトマス試験紙に、踏み絵に。
それは精神性の成熟度合いテストでした。そして今まさに目の前に吊るされている審査課題。
「嘘偽りはエネルギーの世界では一切通用しない」ことを知る。それ自体が成長のための教材であると知るならば、さらに上を目指し拡大を望み実践してゆきます。


一人ひとり、一つひとつの生命存在が、それぞれの役目を果たす。
その総和が閾値を超えた瞬間に、この地の周波数は一瞬でシフトするはずです。

平五郎を見守る御神木は、いつも荘厳に。そしていつも端正に。




集めて束ね高めてゆく

束ねて集めて上昇へ photo 宮本章光

これまでは、一氣に数多く花咲いたことがありませんでした。
今回は7輪一度に。
数を追う世の中はもう終わりました。
けれども、数を束ねることによるメリットが否定されたわけではないことを伝えてくれたのだろうと感じています。


くだらないノイズ、オールドメディアが垂れ流す情報から離れたら、次は、望ましいと感じるもの・望ましいと考えるものへと焦点を移します。
地球の波動を上げて...。と、当たり前のように語られる時代が目の前に展開しています。
僅か5,6年前でさえ、このような状況が実現するとは思いもよりませんでした。


多くの人たち、数多くの方々が、自分の言葉で自分らしく語り始めました。
自分の言葉で話す、とは、自分が得意な分野で自分にできることを表現すること。
すでに旧態となったSNSプラットホームでもなければ、webでもなく。それは物理実体を伴った造形や展覧展示に至るまで。

こうした、前向きで心強くそして当たり前のように穏やかで心地よい感覚。
ちょっと前まで注目を浴びもてはやされた、無理にわくわく、だとか、無理矢理に感謝感謝...なメソッドビジネスではなく。
そんなエセポジティブ波動ではなくて。


自分にできること、自分が生み出せる望ましいエネルギーを一人ひとりが生み出すこと。
これらが集まり束ねられてこそ、大きな力となってゆくのだと。

一人ひとりが、心地よく過ごせば。
一人ひとりが、穏やかに過ごせば。
そうすればこそ、自動的に地球の波動は上昇してゆくことを。
エセポジティブはもう昔の語りとなりました。

どこにも無理した部分がなく。
どこにも頑張った形跡や力技で捻じ曲げた跡がなく。
自然にそして心地よく過ごすことで、その通りの現実が目の前に具現化してゆきます。


この下地が整ったとき、
そのエネルギーを集めて束ね、大きな力として拡大し顕現化してゆきます。
その時は、まさに今。

7輪の花が、揃ってそのように伝えてきます。
わたしのルーツは、他星系での植物の研究者だったと夢の中で教えてくれたことが確信を得る感覚となりつつあります。
なるほど、多次元での研究とは、この地で行われている分類学や確率論に基づくものではなくコミュニケーションを極めることだったのだと。




見極められるかどうか自分のスキルそのもの

ブルーサルビアへ photo 宮本章光

見極め。
何か自動車教習所で交わされる言葉のような響きではありますが。

意志表示するには選択が。
選択するには判断が。
判断するには見極めが。必要です。

見極めるには、
見極められるだけの「自分自身の能力」が必要です。

そのスキルが「無い」から「騙される」。
それを身魂相応と。
これが精神性の成熟度だと言われる所以でしょう。


同時に、見極めるには見極めるためのセンサーが必要です。
センサーとは「感じられる能力」。
対象も、そしてその媒体もパーツも、ほぼすべてが目に見えるものではないと思われます。

この時点で、目に見えるものだけを盲信し唯物主義を貫いている限り、永遠に「精神的未熟・未成熟」であり続けます。
それが自分で意志表示し、自ら選択していることになるのだと。
当然、選択は個々人の自由に違いありません。
ところが、
この世を含め、すべての世・宇宙さえも包括するデフォルト・デファクトスタンダードは「学び成長し上昇し続ける」ことではなかったでしょうか。
自分勝手な解釈では、その世界標準ならぬ宇宙標準から外れ、未来永劫成長と進化が望めません。

よって、その標準仕様に則って自らを高めてゆく。その道を選びたい。それが正常進化の道でしょう。
けれど、選択のための判断ができない。
なぜなら、見極めができないから。できないのは自分の能力がないから。

(誤解を招かぬよう正確に文字にするのなら:
本来備えていた潜在能力をすべてスポイルするような世の仕組みで麻痺させられてきたためにその能力が使えなくなっている。となりましょうか。)


一周回って元に戻ってきました。
磨くのは自分自身の意志によって。
磨くのは自分のセンサーを。
磨くのは身魂であることを。

すべての物ごとにおいて、善悪を含めあらゆるモノ・コトを見極められるかどうか。
それが自分のスキルである以上に、自らの精神性と存在意義そのものです。
ここを、いま一度認識してみる必要があるでしょう。

サルビアの花は「赤い色」だけだと思っていたとしても、ブルーの存在を知ったのならその時点でアップデートすれば良いだけです。
精神性の成熟度と柔軟性そして拡大成長しようとする意識は、こんな場面にも表出します。



新しい芽を出し伸びてゆく

新たな芽を出し photo 宮本章光

誰でも何でも、初めは小さい芽。
しかし、伸びてゆこう成長しようと望めばこそ、新芽は大きく開きます。

植物は、芽を出すのも葉を広げるのも、そして花開くのも、その意図があるからこそ。
勝手にどこからかパワーがやってきて自動的に成長するのではないことを理解してください。

生命は、一つ残らず一人残らず。
自らの意志により成長の道を辿ります。
なぜなら、彼らも生命だから。生き物だから。
生き物には必ず意識があり意図があり、目的があります。


新たな芽を出さない限り生命としては進化が望めません。
まして、芽を縮小し種に戻る方向へと変化することは、この地においてはあり得ません。
もはや役に立たないエネルギーを握りしめているのは人間ばかりなり。
この先に不要な旧い周波数に合わせに行かないことです。

この先に望むエネルギーを。
この先に望む周波数を。
新たな芽として伸ばしてゆきましょう。




政治は世を変えません・変えるのは自分の心

芽吹く!未来へ photo 宮本章光

語り尽くされてきたことです。
それなのに...。
(わたし自身も今日でこの話題は終わりにします)

自分の意志表示をする必要がある。だとか、もうワルものが居ないから本当の選挙になるんだ。だとか。
もう量子投票システムが裏で動いているのだから不正は不可能になったし大丈夫。だとか。
これ、いまホットな話題かも^^。だとか...。

あの〜、そういう視点、そのレベルのお話ではありません。


その事項にフォーカスしている限り、自分自身がそのターゲットと同じ周波数を「維持」し続け「増幅・拡大」し続ける仕組みであることを述べています。
赤い色の花。と意識すれば、その瞬間に赤い花に同期するエネルギーを生み出している、この仕組みです。
わたしが赤い花と文字で記したことで、これをお読みいただいた方も「赤い花」というイメージを、言葉から解釈したあと幽界にエネルギー波動を生み出しています。

ですから、もう崩壊することが決定している枠組みである旧い事象・事項にフォーカスしている限り、さっさと消滅させるべきエネルギーをいつまでも残し続け焚き続けていることが問題なのです。

政治が世を変えることはありません。
そう信じる「人の心の集合体」が、その現実を創り上げているだけです。
それは臣民を支配するための表向きの仮面だったことはもう語るまでもないでしょう。
散々語り尽くされてきたはずなのですが、いつまでもいつまでも...。

わたしがここで繰り返すと、わたし自身がそのエネルギーに燃料を注いでしまうので、これを限りに7月20日絡みの事項には終止符を打ちます。
このあとはフォーカスすることはありません。


同じく宗教は人を救いません。
そう信じる「人の心の集合体」が、その現実を生み出します。
これまで宗教に絡む話題はタブーとされてきました。それは、派閥や流派の異なる立場の人との無用な対立を避ける意味でも、ビジネスシーンにおいては決して口にせぬよう徹底してきました。
もっと俗っぽい例示をするならば、プロ野球の話題も同じでした。
そして、最大のタブーはお金に関することでした。

でも、もうそれらの裏の仕組みが暴かれ、この先終了させてゆく役目があることを認識すればこそ、変にベールを覆い被せてタブーだタブーだ、と見て見ぬふりをするのも、もう終わりにしたいと感じます。


究極の目指すべき地点と、そこに到達するために取り組むべきは、
あらゆる存在が維持する特定周波数の仕組み。この仕組みに基づいて、望む波長と同じものを意識してゆく。
その積み重ねによって、エネルギー波動の共振が共鳴へと昇華し拡大上昇してゆきます。
この作業に徹することです。

これを万人が実施すると、この地を支配する者たちにとっては目的(隷属化)が達成できません。
誰でも何でも、心に描くことが具現化してしまうからです。
よって、それらの心の使いこなしを無きものとし、ダメな思考だと烙印を押し、精神世界を蔑ろにしてきたのです。
まして、
昨日の話題のように、幽界や靈界だとかの言葉を見た瞬間に、コイツは頭がいかれてる、と決めつける思考回路が出来上がってしまっていたのですから、そんな旧来の思考そのものを捨てることです。

そして次には、このようにはっきりと宣言することです。
もうそんな洗脳に染まった世界線からはキッパリと別れ、自らの心が生み出すエネルギーによって、望ましい未来を生み出します。と。


政治も宗教も、そして貨幣経済も、世を変えることはありません。
単に、隷属化の枠組みで洗脳されてきたわたしたちの心の集合体が、誤って認識し生み出し負の方向へと増幅していただけです。

望ましい周波数を抱いてください。
望ましい波長を維持してください。
この世を変えるのは、他でもない「自分の心が生み出すエネルギー」だけです。
実践した人から、目の前の風景は変わってゆきます。

ここにある新しい芽が数百年後に大木に成長するその日を描くように。




進化と成長は一方通行

今年もルリマツリ涼しく清く photo 宮本章光

成長は常に一方向。
仮に、開いた花が萎んで茎や枝が縮小、種に戻ってしまうのならば、それは成長とは言わないでしょう。

少なくともこの地この世では、時間は一方向にしか流れないと設定されており、その刹那の体験をするための場所として経験を積みます。
よって、拡大成長することにのみ意識を集中すればよいはずです。


webの情報を集めて自分の言葉として発信する人たち。
そろそろ店じまいの時期を迎えたように見えます。すでにこの地を去った方々もあるようで。
検索のスキルが高い人だったのは確かでしょうし、また文章力や論説、トークの能力も秀でたものをお持ちだったでしょう。
しかしこの地の精神性が高まるにつれ、もうお役目は終わったことを悟られたのかもしれません。
彼らは、幽界での新たな任務(幽霊を靈界へと導く)に就いたのでは?と勝手に思っています。

現界で「頑なに宗教から脱せずのまま」に体をお返しした人たちは、その洗脳から解けないまま肉体を失いエネルギー体として彷徨い続けるとされます。
通常は、現界から幽界を経て靈界へと昇華するのが正しい道と語られていますが、精神性・靈性が極めて低いまま幽界から上がれずに、自分は正しい・間違いない...と固着した洗脳によって、幽界で迷宮入りしてしまう魂となるようです。
幽界で彷徨うから幽霊だ、と呼ばれるのでしょう。

3.11の直後、タクシーに乗車した乗客が目的地に到着した途端に消滅していた。などという都市伝説的な話題もwebで見つけることができます。
漁師さんだったのでしょうか。瞬時に命を落としてしまい自分が亡くなったことを認識していない魂なのだろうと想像できます。
当時、そんな馬鹿な。ボケてたんだろ。そんなこと信じる君の頭が狂ってる。だとか否定100パーセントの人ばかりでした。
けれどいま2025年7月、あながちあり得ない話でもないだろう、と感じる人が相当数になっているはずです。
それは、精神性・靈性が高まり続けることによって、それら目に見えない世界を「なんとなく認識できる」人たちが増えたからでしょう。
もうこれは、
信じるとか信じないとかのレベルを超越して、「感じる」という世界になっています。

わたし自身、2002年か2003年頃、バス(田舎の路線バス)で自分を含め乗客二人の状況で、ある瞬間に自分一人だけになった体験をしています。後ろに居た乗客は消滅。
それまで見えていたことのほうが幻だったのだろうと思われます。
当時、家族でさえまともに話を聞いてくれる状況にはありませんでした。


いまこの地で進行している精神性の拡大成長を止めることなく、このまま一氣に大きく周波数を高めたいと思うのです。
そのためには、
ノイズとして故意に撒き散らされる「情報」という名の負のエネルギーに触れず、きっぱりと離れることが必須だと感じます。

人間はいつも自分を正当化するために「免罪符」を握りしめて否定から入ります。
選挙に行かねば世の中よくならない。などと語ります。
そんなもの不正の塊で、行こうが行こうまいが世の中変わらんよ。と頭ではわかっていても。
ここで、その免罪符が差し出されます。水戸黄門の印籠のように。

だって、まだこの世で生きてんでしょ。この先もこの生活をする以上は、ここにある仕組みに従わないと...と。
こうして自分に言い聞かせ、他人さえも説得し自分を正当化します。


もういいでしょう。
これをやっている限り、その世界線から脱することは絶対にできません。その理由はもう記す必要さえありません。
過去からこの場でお付き合いいただいている方々には釈迦に説法かと。
この先も生活してゆく以上は...という免罪符を捨てるしかないわけでして。
そもそもその周波数に合致している段階で、同じレベルで幽界を彷徨う幽霊と同類です。体があるか無いかだけの違い。


思考は現実となる。
ナポレオンヒルの宣伝ではありません。これは不変の法則だったことが証明されていますでしょう。
量子力学の世界でも、すでに何十年も前から論議され数々の証明がなされてきました。
直近では、思考とはエネルギー波動そのものであり、その波動が現界に顕現化する仕組みが隠し通されてきたことが明るみに出ています。

崩壊する世界線のレイヤー上で、免罪符を片手に旧いエネルギーにシンクロしている限り、その人の魂レベルはそこから上がることができません。
体をお返ししたあとに幽霊にならないよう願うばかりです。

同じく、清き一票・自分の意思表示だ。などとやっているのも「同じ周波数」に自分から合わせに行っている以上、その周波数以上に上がることはできません。
宗教か選挙か。対象が異なっているだけで本質は同レベルの精神性と。
Aの音にシンクロしているのに、BやCの音には絶対になりません。当たり前かと。


ノイズから離れる。
その意味。いつもいつも書き記していますが、本質的な部分でまったく理解できていないことが露呈してしまいます。
まさにこの5年であからさまになったように、それはリトマス試験紙であり踏み絵だとわかります。

成長とはこの地においては常に「一歩通行」。
拡大し上昇し続けるには、くだらない免罪符をいつまでも握りしめないことではないかと感じます。




思考は瞬時に乗っ取られる

学舎の百日紅 photo 宮本章光

百日紅(サルスベリ)は、これほどまでに背丈が伸びるのかと。
高さが2m以上になる種も少なくない様子。

このように「思い・考え・感じた」瞬間に、その思考が持つ周波数のエネルギーを「自分自身が」生み出しています。
思考は瞬間的に乗っ取られる。というのは、この現象を語っています。

7月20日が近づくにつれ、騒々しいエネルギーが増えています。
見なければ、聞かなければよいだけのこと。ではあります。
ですが、
すでにこの事項を「ここに記したわたし自身」が、ここでお読みいただいている方々の「思考を乗っ取った」ことになります。
この仕組み、よく理解いただけるはずです。


意識した瞬間に具現化する仕組み。
どこかで聞いたことがありませんか。
量子力学の観測問題、これは絵に描いた餅でも何でもなく、普遍的な法則であること。

---観測者が観測した瞬間に具現化する。---


ですからオールドメディアから離れました。
ですのでオールドインフルエンサーから距離を置きました。
もはや必要がない波長のエネルギーを「自分が増幅し焚き続ける」愚をいつまでも繰り返すのはなぜでしょう?

海外ではDominionと呼ぶらしく、この国では「634」とのネーミングで示されること、もはや答え合わせの項目です。
身に危険が及ぶのは避けたく詳細は控えますが、このシステムは、極端にアナログな部分を故意に残してあります。
用紙に記入するのは「鉛筆」です。
それに、用紙は極めて厳重かつ詳細にわたり管理されているはずなのに、印刷段階で印刷ミスがあったと称し「追加」で用紙が流通供給されるアキレス腱が意図的に残されています。
ええ、でも核心はそこではなくて(わざと弱点を見せてフォーカス先を逸らせる意図)、根本部分はソフトウエア的に操作されてきたことは既知の事項でしょう。
不正の温床。不正の総合商社そのもの(でした)。

いや、もう時代は変わり白帽子が世界を牛耳ってるんだから大丈夫。
だとか、量子投票システムに変わってるから一人ひとりの投票に対する意識が評価されるんだ。
などと。


はい。いつまでやりますか。
もうやめましょう。
誰がそんなことを決めましたか。誰があなたの心を評価しますか。
ありえない。
webに漏れるとしたら、その段階でガセであることは明らかでしょう。

いいですか。
この世・この地の現実とされる絵・風景は、自分自身が生み出しているのです。
観測者とは自分自身。量子とは意識の波動そのもの。
自分が生み出したエネルギーを自分で確定し、この世に顕現化している仕組み。
しっかり学んだはず。ええ、全然体得できていなかったのですね。


その話題その事項、その周波数に「意識を合わせた」瞬間に、そのエネルギーをあたな自身が確定しこの世に増幅し拡散してしまうのです。
もうやめましょう。
だからオールドメディアから離れました。オールドインフルエンサーさえももうお呼びではありません。

百歩譲って、自らの心が評価される仕組みがあるのなら、それは、あなた自身があなた自身を評価しているということ。
そしてそれを心底信用しているのなら、その人自身の現実はその通りになるのですから文句はありません。
鏡の法則だとか呼び、その道のビジネスに落とし込まれているフィールドもありますでしょ。
けれど、
そうした人たちが、もう一段の成長を果たし、この地の波動を高めるための構成員として「閾値」を上げる役目を果たすことができない以上、いつまでもいつまでもこの目の前の風景を飛躍的に変化させることが叶いません。

人の勝手や。放っておけ。その人の自由や。
ここが問題・課題なのではなくて、集合意識がいつまでも高められないことを論点にしています。

兎にも角にも。
この先に必要とされないエネルギーの周波数には触れない。
それは、見て見ぬ振りをすることとはまったく異なります。
やかましいインフルエンサーの情報、ふとした瞬間に画面上に出てくるのは、わたし自身がその周波数を心の底に維持し続けている証明でもありましょう。


美しい存在に、美しいと伝える。
それだけでいい。
思考は、意識した対象に瞬時にシンクロします。
その周波数が、いまこの瞬間からあと、わたしの・あなたの現実としてこの世に顕現化してゆきます。
然るに、必要とされる・望ましいと考えられる波長のエネルギー「だけ」を維持すればよいのだと。


ここは、56〜57年前にその図書室の蔵書をすべて読み(眺めた)わたしの学び舎。
当時はちょうどこの前が玄関口でした。
いま、美しい生命存在とともに。




シンクロと共鳴の時代に入りました

アガパンサスに出会う道端 photo 宮本章光

アガパンサスの記事をwebで目にした日。
道端で出会う機会が一氣に増えてゆきます。
あちらでも、こちらでも。

---それは偶然にすぎない。
---それは思い過ごしだ。
---その時期だから見かけるのは当然だ。

などと、そういった感覚が刷り込まれ自らの潜在能力をスポイルされてきた世の中でした。
もう旧いレイヤーは消滅するだけです。
新しいレイヤー上に、自分の望む絵を描きます。

ここに氣がついた人たちは、すでに数多く。自分の得意分野でその能力を発揮し始めています。
語りの得意な人はそのフィールドで。
文章化が得意な人はその方法で。
あるいは、
音楽でも造形でも。それぞれの得意とする舞台で活躍をはじめた様子が伝わってきます。

わたしは、
美しい仲間・美しい存在の姿をここに伝えてゆきます。そして文字としても記してゆきます。
この場が、その舞台となることを知っています。
美しい仲間の持つ大きなエネルギーが、ここに示されていること。
それは同じ波長に合致した瞬間に強力に伝わり受け取る感覚、必ず判るはずです。


たまたま。偶然。氣のせい...。
ではなくて、
意識した周波数に合致したものに出会います。それが仕組みでありそれが法則だから。
同じように、シンクロするエネルギーが共鳴する時代。
同じように、共鳴する人たちとともに新たなレイヤー上に歴史を生み出し築き上げてゆきます。




もっともっと感覚的に

御神木から受け取る photo 宮本章光

本日二投稿目となります。
急激に流れ込み、溢れ出すためここに記し残します。


これまでの世では、感覚的なものは否定されることが多かったように思います。
感覚よりも技術。
感覚よりも理論。
感覚よりも体現・実践。と。
如何に、物理実体を使い動かすか、と片側に偏っていたかが判ります。

そうした時代に染まりきっていたのですから無理もありません。
エビはあるんか!ソースはどこや!、と否定する人はようやく減少したように見えますが、まだまだ心底では唯物主義的な感覚から脱しきれません。

わたし自身が講師としてご縁をいただいていましたカルチャーの各クラスでも、相当偏った技法的なお話しをお伝えしていたことを思い出します。
ですが、
これからの世は、感覚的なウエイトを大きくそして急速に高めてゆく必要ががあります。
片側に偏りすぎたエネルギーは、揺り戻してバランスを取ろうとするからです。

そしてここが最重要ポイントかと感じる部分です。
感覚的なもの、直感に響く感触が、この先の世を牽引してゆくこと。
これまでのごちゃ混ぜの世では実現しなかった「エネルギーのシンクロ」が起きやすくなること。
もっともっと感覚的に振って行けば大きな変化が起き、より望ましい結果が導かれること。
すでに多くの場面で体感しているはずです。


御神木に頭(こうべ)を垂れ感謝を奉る。
すると意識せず(現地ではまったく見えていなかった)とも美しい光が記録されてゆきます。
単に目が悪いため見えていなかったとも言えます。それが事実でしょう。

太陽の向きとレンズの位置関係で発生する事象であることは、自分自身が一番よく理解しています。それにこの結果をもって騒ぎ立てる意図も皆無です。
ただ、この瞬間の心に合致した周波数が、この結果を生み出すという視点も大切にしたいと感じるわけです。

もっともっと感覚的に振ってゆく。
この先の世の歩き方として大切な観点ではないかと思われます。




自分で創り自分で歩むのです

竹林に photo 宮本章光

くるくる詐欺に、隕石大津波世界滅亡詐欺。
いつまでもいつまでも。一つの期日を越えればまた次々と。永遠に。

はっきりしているのは、
そうやって扇動して儲ける人たちが存在していること。
そして、そこで踊らされ騙される人たちが、そこにエネルギーを供給しているということ。

裏側の構図では、
こうした、人の心をもて遊び故意に仕組んで臣民を隷属化してきた歴史があったこと。
ええ、その意味では仕組まれた災禍が隠されているリスクはあるかもしれません。
しかし、そこに燃料を注がなければ何も起きません。
騒いでも叫んでも、目の前の風景は何も変わりません。どこの誰が燃料を注いでいるのでしょうか。
しっかりと学んだはずなのに。
ですので、ここで止めます。

他方、
どこかの大統領令で大金が手に入る。わくわくして待ちましょう。
だとか。
あるいは高次他星系存在が救世主として現れる。わくわくして待ちましょう。
果ては、再臨の日が訪れる、などと。
どれもこれも、いつまでもいつまでも。

違いますでしょう。
わたしたちの喫緊の目標は貨幣経済から卒業すること。そのためには上記と同じ仕組みに基づいて、わたしたち自身がそこに燃料を注ぐのです。
望ましい世界線が具現化するように、そちらの方向へ、そのポイントへ向けて「燃料を注ぐ」わけです。

誰かが助けに来てくれるのではないこと。
自分の心が生み出す仕組みを最大限に使い、わたしたち自身が新たな世に相応しい周波数を生み出すことによってこの地を卒業してゆくのです。
白馬の王子様も救世主も来ませんよ。というその意味を「物質次元的」には理解していても、精神的にエネルギーを高揚させて周波数を変えてゆく。という部分がまったく理解できていないのではありませんか。


地に足をつけて。と語られます。
ふわふわと浮ついておらずにしっかりと、と。
その意味を、上記のように「物質次元的」に理解していても、本心から理解できていないように感じること多々。

グラウンディングが大切だ。と。その意味が本当に理解できているでしょうか。
地面を素足で歩けばそれが叶うのではありません。
それも一つの方法としては有効であることに違いありません。それは確かでしょう。
けれど、
同じように「物理実体物質的」な感覚でしか捉えていないことがはっきりと判ります。

天から降り注ぐ望ましい力を、自分の体を通して大地の中心まで導き通すのです。
その感覚は、単に土の上を歩けば目的が叶う、という次元をはるかに超越していることが伝わりますでしょうか。
特定周波数のエネルギーが流れる感覚を感じていますでしょうか。


物理物質次元を超える。とはこういう意味なのですが、なかなか伝わらないことが多いのです。
そんなもの妄想に過ぎない。と蔑みます。
いえ、そもそもこの地この世が妄想なのですよ、という部分が理解できていないのですから、結局は「物理実体・物理物質次元的」オンリーな感覚でしか捉えられないのでしょう。

これらをすべて統合して、「エネルギー的に」望ましい道を創造してゆきます。
わたしたち一人ひとりが、このように心から望ましいエネルギーを生み出し続けることによってのみ、道は切り拓かれます。
もちろん、それを実現させるだけの総合力が、必要とされるだけの閾値を超えなければなりません。
いま、かなり高まってきていることはわかります。
よって、もっともっと高揚させる必要があります。
結果として、そのエネルギーが必要十分なレベルにまで充填された時点で、携挙あるいはそれに近いような想像を超えたシフトが現実となるのではと思われます。

それは、救いが勝手に天からやってくるのではありません。
特定宗教を信ずることによって自分だけが救われるなどという、支配・隷属化のために悪用された教義とはまったく違うことを理解せねばなりません。

わたしたちが心の底から生み出したエネルギーの集合体によって、それが生み出され創り出されるといった重要なエネルギーと具現化の仕組みを抜きにしては語れません。
わたしたち自身が創り出すのです。わたしたち自身が生み出すのです。
勘違いのありませんよう。

この先の道は、
自分で創り自分で歩むのです。




言靈を大切にする・ただひとつの選択

言葉を大切に photo 宮本章光

すべての存在は、例外なく固有の周波数を持ったエネルギーであること。

その意味を本当に理解したのなら、
うわべだけの美辞麗句で飾り立てて心にない言葉を発することのありませんよう。


それは、どちらの意味においても。
綺麗ごとだけを掲げて、心ではあっかんべー...とやる。
もう一方では、
本心にないながら、負の波動に満ちた言葉を不用意に口にする。

言葉の奥に込められたエネルギーは、もはやストレートに伝わるフェーズに入っています。
まして、そのエキスパートであろうとするこの国ネイティブであるのなら。

前者は、その因果・その反作用が時差を経て自らに還るだけのこと。
後者は、日々・終始触れ続ける周波数が劣悪でありその負のエネルギーに憑依され乗っ取られていることに氣づいていない状態かと。

ともに、因果は自分に還る。それが仕組み。
しかしながら、
因果が返るから言葉に氣をつけるのではなく。
それは前者と同じ。うわべだけ綺麗ごとで着飾った状態。
よき結果を得たいがために行動を変えるのは、まさしく人を見て人によって態度を変える人たちと同類でしょう。


言靈を大切にする。
この、たった一つのことを守るだけで、一日後から・一週間後から・一ヶ月後には目に見えて状況が変化してゆきます。
大切にできないのであれば、
終始触れ続けるノイズの波長が、この先にはふさわしくない周波数であるとの証明でもあります。
だからオールドメディアから離れてきました。

常々書き続けています。
自然に湧き上がり、とどめることができなくなる。その状況を。と。
言靈を大切にする。
ただひとつの選択。




自分で感じるまま感じる通りに

そのまま photo 宮本章光

写真は最たるもの。
そのように感じます。
自分が撮りたい、と感じたから撮る。
その感覚。と言えば最も近いように思われます。

時間が違えば、日が異なれば、
同じ被写体や同じ場所では撮ることはないかもしれません。


一期一会。
自分の感じるまま。
いい加減な、という意味ではなく。
テキトーという感覚でもなく。

それこそが、その瞬間瞬間の周波数に合致している証だと。
逆に合致しないのなら、それは違和感として感じることになります。

わたしたちの心は、極めて精巧な判定機としての機能を備えています。
多くの人たちが、その判定機能を復活させつつあるようです。
その閾値、臨界点は、まもなく超える瞬間を迎えるのではないでしょうか。

空に「しるし」が表出する機会が増えています。
くだらないノイズではなく、響く周波数にこそ答えがあります。
自分の感じるまま。
自分が感じる通りに、この先が創り出されてゆきます。




頭を垂れる

頭を垂れる photo 宮本章光

それは、何か欲望を満たして欲しいと願うのではなく。
それは、偽りの感謝をポーズするのでもなく。

あくまでも自然発生的に生み出されるもの。
あくまでも自動的に湧き出すもの。

神は祠には居らず。
神は人的物理実体を持つ存在ではなく。

すべての存在、と語る前に、
目の前に存在する威厳と尊厳を備えた生命に。
目の前に存在する堂々たる生命に。

感謝とは、
とどめることができず湧き上がり溢れ出すもの。

偽りの教えに従う限り、
偽りの周波数を焚き続ける、善を装っただけの悪に成り下がる。
偽りでないものとは、
自らの心に響き渡り湧き上がる、善と悪とをともに受け入れ、その先に望むものを選ぶこと。
そのもの、その仕組みが神であることを。

この国の先人が伝え遺した宝物。
頭を垂れる(こうべをたれる)。

やむに止まれなく湧き上がるものを、このように体現することです。




森羅万象・神は足下に在り

御神木に礼を捧げ photo 宮本章光

八百万の神。
森羅万象。
この国の先人が遺した貴重な言靈。

人間は、自らの知識の範疇を遥かに越え、自らの能力を超越した存在を神として崇めた歴史があります。
過去、他星系からの訪問者をその存在と認識してしまった「過ち」があります。

他方、この国においては、
すべての生命存在、大自然の仕組みそのものを神として奉ってきました。
いま、この意識の復活が求められているように感じます。

人的物理実体を持つ訪問者を誤って崇めるのではなく、この地・この仕組みそのものを神として認識する。
その中には、
当然、人間の想像を夥しく超える年月に渡り生存する生命もあります。

彼らに対する畏敬の念を忘れず、足下にこそ神が在ることをいま一度感じてみる必要があります。
神は足下に在り。




道はどこまでも

飯舘の夏 photo 宮本章光

どの道を選ぶのか。
どのように歩むのか。

この地にある道は、同じ状態の道としては永遠に続くことはありません。
どこかで行き止まりになったり、いずれは併合したり。
しかし、
その後には、再び道が続くのです。


すべての魂の歩みと同じだと感じます。
学び成長するその道は永遠に続きます。
ただ、
途中で行き止まりもあれば、どこかで乗り換えたり、他の道と併合したり。

どのように道が表現されるのかは、自分次第。
それが選択という言葉で示されます。


選択が未来を創り、
選択が因果を生み、
選択が拡大と成長の手段・方法を決定づけます。

然るに、行き止まりがあるか併合されるかどうかは関係なく、永遠に続いてゆきます。
それが道の本質。
どのように道を楽しむのか苦しむのか。
それが自分の意志表示。

道はどこまでも続きます。




そのままでよい

そのままで photo 宮本章光

そのままでよい。
そのまま。

何もしない、という勘違い。
大切なこの地の波動を安定させ維持する。
それが「する」こと。「やる」こと。

何かし続けなければならない。
走り続けなければならない。
忙しくしなければならない。

そんな洗脳で、結果として不要なノイズに触れ続け、挙げ句の果てにこの地を収集がつかないレベルにまで穢してしまったのはすべての人間。

そして、
ここに氣がつけばこそ、過ちを詫び浄化し、この先に望まれる波長のエネルギーを生み出してゆきます。
それが人間の役目。
これが人間の仕事。

この状態をキープすることそのものが、そのままでよい。という本質に他なりません。
伝え教えてくれる存在へ礼を捧げ。




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