時は来たり

物ごとには最適なタイミングがあります。
この2025年は、梅雨明けの発表後も、なかなかセミの合唱に出会うことがありませんでした。
梅雨明けなど人間の都合で勝手に決めているだけで、大自然に生きる生命はその土地・場所の時計に応じた最も適した機会を知っているはずです。
--しばらくは晴れの日が続く。
--もう雨は降らないだろう。
そのように判断できるタイミングを見計らって、この固い地面に穴を開け地上へと出てきます。
判断を誤ったなら、豪雨で溺れるかもしれませんしそのまま命を落とすこともあるでしょう。
判断とは、まさに生死に関わる一大選択だと判ります。
それだけに、そのセンサーを正確性のみならず高精度・高感度に維持することは最重要事項かと。
他方、
人間は、自らの感覚・直感というセンサーを自分から台無しにし、自分からそうした目に見えない世界から離れてきました。
自らよろしくない言葉(言靈)を口にし、自らよろしくない食べ物を口にし続ける。
それが仕組まれた罠だったとしても、その罠にハマるのは自分の選択であり未熟な精神性が選んだ道だったわけですから。
そしていま。
ようやく、それら過去からの隷属化の仕組みを知ったのなら、一刻も早くそのネガスパイラルを断ち切ることです。
いつまでも、悪事を知れよ、眠るひとに伝えることで世の中を変えるんだ!
などとやっている時点で、その負の波動を自分が維持し続けているのです。
「思考は現実」となります。
それは思い過ごしや浮ついた戯言でも何でもなく、確固たる理論に基づいた法則であることが証明されはじめました。
これまでの常識という名の知識は、これを知られるとアジェンダを実行できなくなる支配者層が仕組んだ、誤った洗脳でしかなかったのですから、間違った意識そのものを早急に捨て去ること。
そして、その次には、
望ましくこの先の世に必要とされる意識を拡大すること。
目を覚まし氣づいた人たちさえ、この極めて重要な次の要素が抜け落ちていることが多いように見えます。
締めくくりは、
善悪ともに存在しなければならないこの世・この物質次元において、「悪」という存在があったからこそ「善を知り得る」ことが可能だったという事実。
悪を滅ぼしてはなりません、というその本質はここにあります。
悪に感謝を捧げて、という言葉の本当の意味はここにあります。
なぜなら、善・悪はセットでバランスするのがこの世の仕組みであるからです。
そして片側を知り体験するからこそ、その対極にある感覚と仕組みを理解し成長することができるから。
よって、悪という仕組みに感謝を捧げ、そのあとには綺麗さっぱりと手放ししてしまうことが求められているわけです。
晴天が続くことを知った彼らは、そのタイミングを間違いなく知り判断し、地上へと姿を現します。
ここに躊躇する行動など一切存在しないはずです。
ここぞ!というタイミングを判断・選択したからには、一氣に行動します。
地球は、いままさに「このタイミング」を迎えています。
古き悪しきエネルギーをすべて捨て去り、この先に望む周波数を選択するのみ。
いつまで「穴の出口で」ゴソゴソと懐古趣味に浸っているのですか?
一氣呵成に地表へ飛び出し、この次の世界を心からの周波数で創り上げる。それがいまこの瞬間。
このチャンスを活かせない限り、再び大雨に打たれ穴の出口で溺死する道を選ぶことになります。
時は来たり。
いつまでも判断できず行動できない地球人へ。
いつまでも間違った行動を取り誤ったエネルギーを焚き続ける地球人へ。



























