見極められるかどうか自分のスキルそのもの

見極め。
何か自動車教習所で交わされる言葉のような響きではありますが。
意志表示するには選択が。
選択するには判断が。
判断するには見極めが。必要です。
見極めるには、
見極められるだけの「自分自身の能力」が必要です。
そのスキルが「無い」から「騙される」。
それを身魂相応と。
これが精神性の成熟度だと言われる所以でしょう。
同時に、見極めるには見極めるためのセンサーが必要です。
センサーとは「感じられる能力」。
対象も、そしてその媒体もパーツも、ほぼすべてが目に見えるものではないと思われます。
この時点で、目に見えるものだけを盲信し唯物主義を貫いている限り、永遠に「精神的未熟・未成熟」であり続けます。
それが自分で意志表示し、自ら選択していることになるのだと。
当然、選択は個々人の自由に違いありません。
ところが、
この世を含め、すべての世・宇宙さえも包括するデフォルト・デファクトスタンダードは「学び成長し上昇し続ける」ことではなかったでしょうか。
自分勝手な解釈では、その世界標準ならぬ宇宙標準から外れ、未来永劫成長と進化が望めません。
よって、その標準仕様に則って自らを高めてゆく。その道を選びたい。それが正常進化の道でしょう。
けれど、選択のための判断ができない。
なぜなら、見極めができないから。できないのは自分の能力がないから。
(誤解を招かぬよう正確に文字にするのなら:
本来備えていた潜在能力をすべてスポイルするような世の仕組みで麻痺させられてきたためにその能力が使えなくなっている。となりましょうか。)
一周回って元に戻ってきました。
磨くのは自分自身の意志によって。
磨くのは自分のセンサーを。
磨くのは身魂であることを。
すべての物ごとにおいて、善悪を含めあらゆるモノ・コトを見極められるかどうか。
それが自分のスキルである以上に、自らの精神性と存在意義そのものです。
ここを、いま一度認識してみる必要があるでしょう。
サルビアの花は「赤い色」だけだと思っていたとしても、ブルーの存在を知ったのならその時点でアップデートすれば良いだけです。
精神性の成熟度と柔軟性そして拡大成長しようとする意識は、こんな場面にも表出します。
2025/07/16(Wed) 11:30:20 | photo blog



