静かな心を穏やかな心を

道端で出会う小さな存在。
誰も見向きもせず足速に通り過ぎて行きます。
彼らの世話をする人たちがあります。
水を撒き剪定し、季節ごとに手入れを行います。
ご近所の方々かもしれませんし、公園緑化協会の人たちかもしれません。
こうした人たちは、ここに生きる生命に意識を合わせることができるのだと思います。
もちろん、無意識に、あるいは単なる作業ループとして行っているのかもしれませんが。
(協会のひとたちの中にも、美しくない波動を持つ人たちが在ることは過去に体験しています...。)
その作業時には、きっと同じ周波数に意識が合致するはずです。
その作業時には、必ず生命存在として認識しているはずです。
都会のど真ん中であっても、見渡せば必ず視界の中に植物を見つけることができます。
住宅地の路地の奥であっても、色とりどりの花を咲かせる存在が必ず見つかります。
自分自身が、彼ら生命に意識をフォーカスするかどうか。
しない限りは、その存在に氣づくことは絶対にありません。
ここにも、意識した瞬間に顕現化する大いなる法則が働いていることを知ります。
---元からそこに鉢植えがあったんだよ。
---初めから道端に植え込みがあったんだよ。
そうでしょうか?
意識していない限りは、そこに咲き誇る花の色さえも一切記憶に残っていないのです。
意識していない限りは、その人のタイムラインには存在していなかったのです。
この感覚、この世界、この精神性を共有しともに磨き上げてゆきたいと思うのです。
ええ、この感覚なしに「この先の世」を生きることはできないフェーズに入っています。
はい、この感覚のない「この先の世」は崩壊し消滅するだけです。
そのためには、
静かに穏やかに、美しい存在と波長を合わせてみる。
そんな生き方を選びたいと感じます。
崩壊し消滅してゆく周波数に合わせる必要性は、もうありません。
2025/07/20(Sun) 10:29:19 | photo blog



