見えない力を聞こえない力を

目に見えないもの。
耳に聞こえないもの。
信じるか信じないか。
そんなレベルの話は、とっくの昔に終了しています。
この先の世では、そうした五感以外で受け取る力に対する感度を上げてゆきましょう。と、そんな時代になりました。
被写体となる向こう側から力が送られてきます。
そのように書きますと頭ごなしに否定された過去がありましたが、その時代ももう終了しましたし、そういった人たちも消えてゆきました。
異なる周波数に対しては相容れなくなったことが判ります。
この場所・この瞬間。
この「場」にある周波数と合致したからこそこの絵が記録できたこと。
その意味を理解できる方々とだけご縁がつながっていると理解しています。
このすぐあと。
いい写真が撮れましたか?と、見ず知らずの人から声を掛けられました。
突然で驚いた感覚のほうが強かったものの、あぁ、この人もこの「場」のエネルギーを受け取れる人だな、と瞬時に理解できた次第。
24、25年ほど前、重苦しい感覚を癒してくれるこの場に日参したことを思い返してみますと、当時・その瞬間の心地よさや安堵感が蘇ります。
けれどそれとて、昔の感覚はこうだった...と思い描いたことによって「いまこの瞬間に」そのエネルギーが生み出されたことを知ります。
時間など存在しない、という言葉の本質はここにあります。25年前の記憶というエネルギーが「いまここで」生み出されたのだと。
目に見えない・耳に聞こえない。
そうした、これまでの物理的制限を取っ払った波動を受け取ります。
そのためには、口にするもの二つ(食べ物と言靈と)を劇的に変える必要がありました。
実践してきた結果が、いまここに生み出されています。
よくないものが体に入るのは仕方ない...。
確かにそうでしょう。この地に存在している限りは善悪はともに存在し続けるからです。
しかし、
だからと言ってそれを免罪符にし「仕方ないのだからある程度の毒も...」などという発想を続ける限りは、永遠に「ある程度仕方ない」現実を作り続けます。
まして仕方ないを枕詞に自ら積極的にその行動を続ける限りは。
スマホ片手にファーストフードを無意識に口に放り込む姿など激しく嫌悪感を感じ目を逸らさざるを得ません。
いつまでも目の前の風景に変化が見られず、最後の一線を越えられない理由は、この中途半端な意識にあることを知ります。
学びとは、こうして限界を突破することによって上書きされてゆきます。
筋力トレーニングのように、負荷を大きくハードルを高くし、それを乗り越えるからこそ成果を得ることができます。
結果として、新たな段階へ登ることが可能となりアップデートされてゆきます。
どれもこれも、目には見えず耳にも聞こえない。
思考は現実を創り上げるのです。
2025/07/29(Tue) 10:35:22 | photo blog



