街で生きるということ

フワフワビジネスとともに、都会から脱出せよビジネスも盛んな様子です。
---このまま崩壊する世界線では食べてゆくことができない、都市部ではなく農村部で生きる道に乗り換えよ。
---このままだと都会で生きる道は負け組の証だ。
だから田舎で自給自足...という帰納法。
間違いではない部分も多いように感じます。そして否定できません。
けれどもこれ、何もかも同じ論法による一種の誘導であるように感じます。
素人がいきなり農村で生きてゆくのは極めて高いハードルかと思われます。
当然大きな初期投資は必要ですし、地元の人たちとうまく生きてゆくための感覚の違いも、その後一生の大きな課題になることは目に見えています。
いえ、確かに否定から入らずに、まずやってみる。それが成功の秘訣だ。
というのも理解していますけれど。
実際、億単位の遺産を得たことから農業に入った方のお話しを聞いたことがあります。
それまでは、大都会の超有名大企業でお勤めの人でした。
法律や役所の縛りが厳しくいつまでも許認可が下りない、見えないコストがどんどん積み重なり設備投資だけ先行、あっという間に当初の準備金が消滅。
不慣れな重機・機器の扱いを誤り、足指の損傷・壊失など序の口。
初めから販売レベルの結果が出せるなど夢物語。一年単位で植物たちは成長するため、一回の失敗は一年分の損失、風水害も目に見えないリスクだと。
生きるため・日銭を得るため、作物の購入先を探すばかりの自転車操業...。
ええ、もちろんその後、大変な努力が実り街中でその方のラベルが貼られた野菜などを見かけるようになりました。
当然ネガティブなことばかりではないはずですし、当初の目的からすれば先手必勝的な意味あいもあるでしょう。
けれども、
ここまで大きな課題を超えてゆく決意と準備がない限り、単にこの先の不安解消のため。だとかの「逃げ」の意識レベルで考えるほど容易ではないことを知り得ます。
結局は、田舎で住むのが勝者の印。
などと掲げていること自体が、古いレイヤーの発想・SNSでの自己アピールと同じ類でしかなかったことに氣づくのです。
重ねて記します。
否定はしませんしできません。
しかしながら、コトの本質は目先の不安材料に右往左往している状態に変わりなく、発想と意識そのものが「学びが足りていない」証明でもあります。
恐怖のエネルギーから離れよ!
その意味は、まさにこの事例にも当てはまります。
すべては、恐怖の波長に合致する(させられる)から思うツボではないのかと。
都会に生きていても、必要なご縁やネットワークを作ることはいくらでもできるでしょう。
まして現時点では目に見えていなくても、水面下で新しい世を「創り出そう」と、意識レベルを高めている人たちは増加の一途です。
この先に崩壊するタイムライン上で「逃げ道」を探すのではなく、この先に共に歩む人たちとの接点を大切にし醸成してゆくことが本来の道筋ではないのかと感じるのです。
そして、
忘れてはならないのは、大自然とそこに生きる生命存在との接点も。
街で生き抜くためには、彼らとの共存意識なくして実現不可能であることを。































