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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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街で生きるということ

街で生きる photo 宮本章光

フワフワビジネスとともに、都会から脱出せよビジネスも盛んな様子です。

---このまま崩壊する世界線では食べてゆくことができない、都市部ではなく農村部で生きる道に乗り換えよ。
---このままだと都会で生きる道は負け組の証だ。

だから田舎で自給自足...という帰納法。
間違いではない部分も多いように感じます。そして否定できません。

けれどもこれ、何もかも同じ論法による一種の誘導であるように感じます。


素人がいきなり農村で生きてゆくのは極めて高いハードルかと思われます。
当然大きな初期投資は必要ですし、地元の人たちとうまく生きてゆくための感覚の違いも、その後一生の大きな課題になることは目に見えています。
いえ、確かに否定から入らずに、まずやってみる。それが成功の秘訣だ。
というのも理解していますけれど。

実際、億単位の遺産を得たことから農業に入った方のお話しを聞いたことがあります。
それまでは、大都会の超有名大企業でお勤めの人でした。
法律や役所の縛りが厳しくいつまでも許認可が下りない、見えないコストがどんどん積み重なり設備投資だけ先行、あっという間に当初の準備金が消滅。
不慣れな重機・機器の扱いを誤り、足指の損傷・壊失など序の口。
初めから販売レベルの結果が出せるなど夢物語。一年単位で植物たちは成長するため、一回の失敗は一年分の損失、風水害も目に見えないリスクだと。
生きるため・日銭を得るため、作物の購入先を探すばかりの自転車操業...。


ええ、もちろんその後、大変な努力が実り街中でその方のラベルが貼られた野菜などを見かけるようになりました。
当然ネガティブなことばかりではないはずですし、当初の目的からすれば先手必勝的な意味あいもあるでしょう。
けれども、
ここまで大きな課題を超えてゆく決意と準備がない限り、単にこの先の不安解消のため。だとかの「逃げ」の意識レベルで考えるほど容易ではないことを知り得ます。

結局は、田舎で住むのが勝者の印。
などと掲げていること自体が、古いレイヤーの発想・SNSでの自己アピールと同じ類でしかなかったことに氣づくのです。


重ねて記します。
否定はしませんしできません。
しかしながら、コトの本質は目先の不安材料に右往左往している状態に変わりなく、発想と意識そのものが「学びが足りていない」証明でもあります。

恐怖のエネルギーから離れよ!
その意味は、まさにこの事例にも当てはまります。
すべては、恐怖の波長に合致する(させられる)から思うツボではないのかと。

都会に生きていても、必要なご縁やネットワークを作ることはいくらでもできるでしょう。
まして現時点では目に見えていなくても、水面下で新しい世を「創り出そう」と、意識レベルを高めている人たちは増加の一途です。
この先に崩壊するタイムライン上で「逃げ道」を探すのではなく、この先に共に歩む人たちとの接点を大切にし醸成してゆくことが本来の道筋ではないのかと感じるのです。

そして、
忘れてはならないのは、大自然とそこに生きる生命存在との接点も。
街で生き抜くためには、彼らとの共存意識なくして実現不可能であることを。



その存在には生命が宿る

御神木に礼を奉る photo 宮本章光

御神木に宿る命。

日々、物質社会で生きている限り「人間以外の生命存在」を忘れてしまうことが多いようにみえます。
音声を使って話しませんし、足を使って移動しません。
けれども、
彼らにも命があり生きています。
そんなことさえも忘れてしまうのです。


ひたすら氣が散るように膨大なノイズを溢れさせ・大切な心の周波数から遠く離れるように仕組まれた世でした。
急激に本来の感覚を取り戻す人たちが増えるに従い、目に見えない氣の重要性が理解されるようになっています。

この生命存在ではありませんが、とある別の神社でのこと。祠の周囲にある御神木を軒並み切り倒してしまったその稲荷。
その伐採現場・その瞬間を見届けるために向かった時に目にした光景があります。
それは、
「これですっきりするわ。長い間うっとうしかったからねぇ。」
「これで立派な祠になれば見栄えがするわ。」
などと口々に話す老人たち。

会話の内容からご近所の人たちだろうと予想できました。
虫の害などもあるでしょうし部外者には理解できないご苦労もあったでしょう。しかし、祠に価値があるのではない、とわたしは考えています。

そこには、それこそ有史以前から存在していた樹々があったからこそ奉った場所であるはず。
立派な生命存在があったから、そこを聖地として崇めたのではないのでしょうか。


カネをかけて祠を建て替える。
それがよいことだ、と解釈するのはもちろんその人の自由。金ピカの絢爛豪華な建物に価値を見出すのも人それぞれ。
邪魔で迷惑な木々は切り倒してしまえばいい。その発想も人の勝手です。
でもわたしは、そのような対象物に価値を感じることはありませんし、そういった価値観には同意しません。


幸い、ここにある生命存在は、現在も見事に見護っていただいています。
人間は、多くの場合、自分だけが偉いのだと勘違いしてしまいます。
ですが、勘違いすることによって、自分たち以外のあらゆる生命存在のおかげで「生かせていただいている」ことを学びます。
そして、
その生命存在と繋がる意識を持てばこそ、同じ周波数に合致する感覚を経験し、そこにコミュニケーションが生まれてゆきます。


生命の威厳を感じ尊厳を理解し、そこに合わせてゆくことにより、間違いなく何らかのエネルギーの交換が起きます。
このエネルギー波動の交換こそが「コミュニケーション」であることを。

木々が話すわけがないやろ!

そんな時代錯誤な発言は、もはや恥ずかしい時代を迎えています。
もうこのレベルの話題が理解できる人も増えてきたでしょうか。

そこにある存在には生命が宿り、望めば会話が可能になる世がもう実現しつつあります。
ええ、それは口で話す言葉としてではありません。



街と山と・共存と共栄へ

街から山へ photo 宮本章光

街から小高い丘へ・山の入り口へ。
見晴台から街へ。

共存のためのヒントはここにあり。
共栄のための秘訣は氣を感じ氣を活かすことにあり。



流れにエネルギーが走る

流れにはエネルギーがある photo 宮本章光

そこに流れるエネルギー。
そこに働く運動エネルギー。

音と響きと。
流れと風と。

流れから学ぶもの。
流れから得るもの。
体験。

体験により進化と成長の原動力を受け取り蓄積してゆきます。



恐怖による支配から離れよ

そこにあるものそこで出会うもの photo 宮本章光

隷属化の目的があり、その手段として恐怖のエネルギーを用いてきたのでした。

いつまでもその目論見に乗っかり続ける愚を重ねない。
いつまでもその洗脳に取り憑かれたまま我欲に走らない。


エネルギーは、
自らの意識として瞬間に生じ、合致し拡大します。
思考とは、
頭から生み出されているのではなく、意識として生み出された無形のエネルギー波動が、この世の頭脳を通して認識されそれが体を通して感じるという流れ。

この意味が理解できない限り、この世の負のスパイラルから脱することは叶いません。

恐怖による支配から離れよ。
恐怖による洗脳から脱せよ。



しっかり生きる意志はあるか

竹根に出会う photo 宮本章光

竹林の足元。

彼らはしっかり生きている。
ノイズに触れることなく。


いつになったら混沌の世は変わるのか。
と語る前に。
いつになったらこの国はよくなるのか。
とため息をつく前に。

仕組みを知ったのであれば、その仕組みに従った行動あるのみです。
知っているのに、わざとその通りに「しない」天邪鬼。
自分だけ先走るのが怖いのか、同調意識というのか。
そんなくだらない意識を捨てる。


心地よく暖かい波動に満ち溢れた世を創りたくないのでしょうか。
それなのに、
誰が悪事を働いてきた過去を知れ、だとか、こんなにこの世は狂ってるんだ、いつまで眠るんだ、知れよ!と続けてばかりの日々。
どこぞの大統領がどこの王室で何をした、だとか。
もうその波動に触れること自体をやめましょう。

これは、自分はまだまだこの負のサイクルを味わいたい。その意思表示とそのエネルギーを選択していること。
この裏側には、
「どや!俺はこんなことまで知ってんだぜ!」を、まだまだやりたい、と宣言している状態でもありましょう。

そうではないのなら、そして望ましい世を創りあげる意志があるのなら、
離れる・手放す。


しっかり生きる。
とは、
負のエネルギーを選択せず、望む世を生み出すための波動を作り出すこと。
これが仕組みだからこそ、その選択を。

御靈・身魂相応。
同じ周波数に合致する大原則。
そして、自ら生み出したエネルギーは自らに戻る因果の大法則。

この目の前から開く世、しっかり生きる意志はありますか。




この圧倒的な氣を浴びる

強力な力を受け取る photo 宮本章光

森林浴、という言葉があります。
近年は聞く機会が減ったようでもありますが。

その言葉が表現するように、まさに「氣」を浴びる。
そこにあるエネルギーを受け取る。
言葉そのものがこの波動を体現していることに氣がつきます。

昨今は、そんな根っこの感覚・根幹の思想そのものが注目されなくなったのでしょうか。
山道をどれだけ短時間で踏破したか。どれだけ数多くのルートをアーカイブしたか。
スマホアプリに数を蓄積しそれをwebに公開する。
そんなアクションばかりが注目されているようにみえます。

同じ感覚を持つ人たちと繋がることそのものは素晴らしいでしょう。
でも、そこに「数を追い求め数を誇る」ような深層心理がないとは言えないように感じるのです。
あくまでも個人的感覚に過ぎませんが、そもそも、公開・共有しなくていいのでは。


ここにある氣を受け取る。
ここに存在する生命の根源から生み出された膨大なパワーを感じる。

それ自体・その体験こそに価値があるはずだと、わたしは考えています。
繰り返します、個人的感覚に過ぎません。


圧倒的な氣を感じると、そこにはとめどなく湧き上がる感謝のエネルギーが生み出されます。
これを「畏敬の念という言靈」で表現する。この国の先人が遺した大きな財産です。

素晴らしい生命存在と、そこに発せられる圧倒的な氣と、それを感じ受け取るこちら側と。
三位一体となった瞬間に、ここに響き合う膨大なエネルギー波動が生み出されます。
この国の宝物に違いない。と確信する瞬間です。




世代をつなぐ

美しき世代交代 photo 宮本章光

いまを生きる感覚。

まさに、その時その時を最高に表現する感覚に違いありません。
そして、
この地ならではの、この地独特の時間の経過により世代を繋ぎます。

枯れたから見苦しい。
そんなことはありません。ほんの少し前には旬を謳歌したのです。

そして次から次へと繋がる時間。世代交代。
それは、いまを目一杯生きた証。



結界が解かれて

結界が解かれ photo 宮本章光

55年以上も前から、この場所には言葉にならない不思議な氣を感じていました。
目に見えない何らかの力が働いていたのだろう、と今になれば理解できます。

古来、この国では、
これらの境界を結界と呼び、そのさかい目から先は現界と異なる次元であるさまを示していたようです。


確かに、この区域内で感じてきた、これらの異様な感触を受ける場所を思い出しながらそれらの点を線で結んでみますと、見事に正三角形になっていることを見つけたのでした。三年前である2022年のことです。
しかも、同様の感覚を感じる場所を結んだ箇所は、二重に正三角形が天地逆さまに重なっていました。
まさに六芒星(ヘキサグラム)。ユダヤの印・ダビデの星の様相でした。

各ポイントには国立大学、重厚長大型製造工場、火災で消失した社寺や大火で死に絶えた巨木があり、なるほど「どちらの意味においても」結界を張る意図があったのだと。


すでに負の方向への封印は解かれたようで、昔から感じていた不穏な感触は消滅しています。
あとは、
その振り子が揺り戻される反作用運動エネルギーをうまく利用しながら、望ましい波動を増幅するまでです。

目に見えないものを信じない人たちには、単にアタマが狂っているとしか見えないでしょう。
しかし、この先にはこうした「感触・感覚」を研ぎ澄ませ、土地に走るエネルギーラインとシンクロさせる能力をも取り戻す必要があるはずです。

もう負の結界は解かれたのですから。
そして、望ましい波動を維持することによってのみ、望ましい未来が顕現化するからです。



何度でもやり直せる

ひっそりとけれどしっかりと photo 宮本章光

いまを楽しむ。

その言葉は、怠惰に無駄な時間を流すような負のイメージがあるかもしれません。
けれど、
いまこの瞬間は、ここにしかありません。
物ごとは捉え方次第である、という学びを得る機会が訪れたのでしょう。


怠惰に過ごすことさえもご自身の選択であるならば、それはそれで大変貴重な経験となってゆきます。
その瞬間に、それは「怠惰ではなく必要な時間」と価値が転換します。
それを体験することに意味があるからです。
まして自分自身で選択したのですから。

偶然は決して存在しない、とされます。
すべては必然。
その結果を生み出すのも・体験するのも、すべては「元(もと)」があり、自分で自分の現実を創り出しています。

元とは、
心に抱き描き出したもの。
思いがまず先にあり、その周波数のエネルギーが生み出され、その後に時差を経て顕現化。
この流れを知り、そして体得する。
それが体験でありそれは必然。


怠惰がよくない。と思うのなら、
それは「よくないという現実」として自分が創り上げてしまいます。
怠惰さえ意味がある貴重な機会だ、と感じるのなら、
それは「貴重な体験」として、同じく自分自身で創り上げるのです。

原因があり結果が導かれる。
あぁ時間がもったいない。もっと他にやることがある。
そのように思えば、もったいない時間としてしか得るものがないと氣がつきます。自分がそのように創造したからです。
単純に、他にやることがあるのなら、優先順位の付け方が未熟であるだけだと氣がつきます。

しかしながら(過去にわたしも陥ったように)、
どう考えても24時間では足りない。
どう考えてみても体が一つでは絶対に回らない。
ケイタイが鳴り止まない、ものを食べる時間がない、寝る時間がない。
そして、大切な借り物の体を失う寸前まで行ってしまうのです。
(あろうことか、それを勲章にするような風潮さえあった過ちの時代でした。)

当事者は、極限状態に近いこともありその現実を自分で創り上げていることにまで意識が回りません。
答えは簡単。
その環境を脱すればよいだけ。
はい、ですがそこで再び、それはできない・カネのため・生活のため。
と、自分で制限を「生み出し」ます。

わたしは、結果として職は変わり、その後も20年間この世で生きることを許されています。
できないのではなく、できないと一方的に決めつけ想念で生み出し、それを顕現化させていただけだったと。


心のエネルギーのつかい方。
これが氣の使いこなし。
氣のつかいかた。

ここまで開眼すれば、望ましい波長を選択する意味とその重要さが理解できるはず。
そして、望まないノイズや隷属化仕様の旧いエネルギーに触れ続けることがどれほど有害かさえも。


これは違う!
と感じれば、それとは「違う」ものを選び直せばよいだけです。
選択は何度でも可能であり、選択肢も無限に存在していることがわかります。
ただし、
この肉体とこの環境で味わうことが可能な条件では時間制限があります。寿命という限界が。

ここをしっかりと分離し認識しておきさえすれば、何度でもやり直せる。
そして、
異なる体と環境となれば、これはもう永久に何度でもやり直せるのです。

然るに、いまここで何を感じ何を生み出すのか。
ここを最大限に楽しめばよいのだと、結論に至ります。
それが最も望ましいタイムラインを自ら創造する方法だからです。


楽しく生きればよい。
何度でもやり直しできるのです。



けものみち

けものみち photo 宮本章光

虚無。
無心。
無人。

思考は広大無辺。
無制限、無尽蔵。

空間に同化する。
空白を創り出す。
獣道で出会う無限空間。



何を考えて生きる

光の舞台に photo 宮本章光

体とは「想念の出入り口」。

心に抱き描くものを「現実という世界に顕現化させる」ためのツールであることを。
心に生み出したエネルギーを「現実というフィールドに創り上げる」ことにより仕組みを学ぶための媒体であることを。

何を感じ、何を得ますか。
何を描き、何を創り上げますか。


いつまでも乳幼児ではないのです。

すぐ横で逞しく生き抜く存在に。
恥ずかしくないのか。
地球人よ。


騙されて然るべき魂

流れと今と photo 宮本章光

学びとは、
体験することでしか得られないのでしょう。

この大原則そのものを学ぶために、この地・この世に存在しているのだと。


騙される人は、自ら魂レベルでの成長を望まない限り永遠に騙され続けます。
それを味わうために生きています。
それを望んでここに生きています。

他人は、その「学びと成長のプロセス」を邪魔してはならないことを「他人として学び」ました。
貴重な借り物の物理実体(=体)を失ってさえ、それも当人の学びであると。
そして、
物理実体を失うことですべてが終了するのではなく、それを区切りとして更なる成長を果たす必要があることまでも。

今生・今世で何もかもが終わる。
体を失うことはすべての終わりである。
それは苦しく恐ろしいことである。

と、恐怖のエネルギーを抱くように仕組んだのは、一度しかない人生だ、と、馬車馬のごとく走らせ続け隷属化するためのものでした。
まして、
宗教というツールに紛れ込ませ、言葉巧みに「三罪を永遠に背負い続ける」と深層心理に刻み込むなど、見事な洗脳でありました。


この段階まで覚醒を進めなければ、永遠に負のエネルギーの次元を繰り返すだけです。
善意を装って近づくなど、真っ黒だと直感が指し示してくれるはず。

成長とは、こうした感覚まで含めて善悪の判断が明確にできること。
騙され続けるのは、騙されるだけのレベルでしかないと自覚をし、更なる魂磨きを続けるのみです。

それはダメなことでも恥ずべきことでもなく、
そのプロセスを通して成長・進化を達成できるという貴重な体験。
この意識がない限りは、永遠に騙されて然るべき魂レベルのままです。



風の音を聴いてみな

風の音を聴きながら photo 宮本章光

風には音があります。
それを聴いてみます。

風には感触があります。
それを感じてみます。


目に見えないものに触れながら、その波長のエネルギーに心を合わせてゆきます。
そこに心地よさを生み出し、その波動が心地よい現実という名の目の前の風景を形作ってゆきます。


目に見えるものだけを信じる世の中。
終わりました。
目に見えるものだけを信じる人たち。
さようなら。

感じることができる世の中。
感じることができる人たち。
ともに歩む同じ周波数を選択した人たち。
よりよい風景をともに創り上げてまいりましょう。



待っていなさい

御神木から受け取る photo 宮本章光

確かに、これまででは考えられない条件で「写り込む」ようになりました。

龍神さまが現れた!と、騒ぎ立てる人たちを横目で見ていたものの、光線とレンズを知っているはずの自分にも、同じように「これまでの定規」では絶対に理解できない現象に出会うようになっています。


これからは価値観の逆転が起き、すべてが正反対になる。と伝えられている通りです。
これまでの常識では考えられないことがこの先にはどんどん起きてゆきます。
その時に、従来の発想と規範でしか受け止められない人たちにとっては、相当苦しい世になることは明らかでしょう。

---数を追い求め売上も利益も右肩上がりに実現することが成長の要だ。
---肩書きとともにどれだけ大きな影響力を持っているかがステイタスだ。
---貨幣資産を築き上げることが成功者の証である。

そんなもの、この先には何の役にも立たない世になってゆくはずです。


小学校低学年から塾通いは当たり前だし、いい学校に進学し・卒業し、大きな企業に勤める。
あるいは医師である親を見習って立派な医者になる。叔父を見習って世を啓蒙する主流メディアで務める。
あ〜あ、なんということでしょうか。

そんな未来図、何の役にも立たないどころか、

詐欺と欺瞞と隷属化の仕組みの本丸。ど真ん中。
人を欺き人を陥れ、挙げ句の果てには人の命をカネに替えることしか眼中にない業界。
わたしの父も、そして妹までも、これらの犠牲となりこの世を去ってゆきました。
ええ、これもわたしにとっての学びでした。

もはやこれを否定する人には、岩石からやり直し学び直し50億年コースしか用意されていないのですから、それを選択するのも自由意志と選択には違いありませんが。

この先、生きながらえたとしても、相当不自由する・生きづらくなるのは明白でしょう。
自分自身でいつまでも毒を摂り続け、病の総合商社として肉体の寿命を迎えるまで彼らの肥やしになるばかり。併せて負の因果を膨大に溜めんで。
まして、
精神的に苦労することは、より一層はっきりしています。


生きづらい。
これまでの世で、生きづらい思いをしてきた人々が水面下から急浮上し、目に見えないものを使いこなし「互いに悦びを追及してゆく」世に転換するのです。
互いに人を思いやり暖かい波動を送りあい、ともに成長と進化を目指す世の中を、自分たちの意志で創り上げるのです。

他方、
急転直下、何でも否定から入り証拠を出せ!と罵り、人を見下し、自分だけよい子ちゃんアピールしているその裸の王様加減に、誰も見向きもしなくなるのは当然です。
相当生きづらく苦しい思いをするのは、その選択をした自分自身。
それでも学べないのですから手の施しようがありません。


はっきりと自覚したのなら、
そのような存在にフォーカスをせず・選択せず、心地よい周波数のみを選択し、それを醸成拡大してゆくのみ。
それが時差を経て、目の前の現実となってゆきます。


横目で人を見ず。でも不要な存在にはフォーカスせず。
望むものを顕現化させてゆきます。

御神木からは、この光とともに、
「待っていなさい」
と、だけ届けられました。




変化したのは自分の周波数だったと

駅前を彩る植物たち photo 宮本章光

噴水ではなく、手前の植物に。

6年間を超えるインターバル。
長い空白の期間を経て変化したのは、その場の風景ではなかったのだと氣がつきます。


確かに、美しく咲き誇る花々は以前にも存在していたでしょう。
けれど、いま一直線にそこにフォーカスしたのは、その美しい生命が発する波長に合致したから。


時を経て変化したのは風景ではなく自分の波長。
時を経て変化したのはその場の景色ではなく自分の受け取ることができる周波数でした。



自分で選択する・意志表示する

滝の流れを聴きながら photo 宮本章光

何を見て何を感じていますか。


どこへ行った・何を食べた・何をした。
誰が何を発言した・どれが正しく正しくないか・証拠はどこにある・証明されているのか否か。
人が行なった結果を見て一喜一憂するための場所。
それを自分の信念体系と比較し、多くの場合、低波動に落ち込ませるための仕組み・SNS。

さまざまなメリットがあることは否定しません。
けれども、同時にデメリットのほうが激しく多く大きいのですから離れるのみ。
時代錯誤も甚だしいかと。


そこで感じるもの・心に抱く感情。
それを自分自身で描きだして苦しんでいるだけの一人劇場。

世の中はどうしてよくならないのか。
その答えは、
いつまでも、自分自身が誤りと過ちでしかなかった過去のエネルギーに合致させ拡大しているから。
いつまでもそこに燃料を注ぎ続けているから。
これを止めれば、世の中は一瞬にして変わります。

ワルものがいるからけしからん。このままでは国が滅びる。
とやっている限り、自分がその現実を作っていることに氣づかない人たち。
さようなら。これまでのご縁をありがとう。
ましてそれ以前の状態で騙されたままの方々、重ねてさようなら。遠い星でのお勉強お達者で。
人の肉体を持ちながら魂のないアンドロイドたち、同じくさようなら。近いうちに存在そのものが消え去るはずです。


すべての選択は、すべての瞬間にすべてが存在するとされます。
量子もつれにより、時空を超えて同じ波動でシンクロしたものは一瞬にして完璧に合致します。
それが仕組みだからです。

この仕組みを自然と共鳴し共生する方向へのエネルギーとして活用したのがこの国の先人の智慧。

そのシンクロ体験が波動の高揚と昇華により感謝へと繋がってゆきます。

選択とは、
いまこの瞬間に、何に心を合わせているのか。
意志表示とは、
いまこの瞬間に、どのエネルギー波長と響き合っているのか。


自分が心に描く感情に責任を持つこと。
ノイズにしかならない仕組まれた負の波長に合わせ続けている限り、その因果は自分自身に蓄積され続け、溜めたマイナスポイント解消のためにやり直しを繰り返します。永遠に。
自分で貯めたポイ活の結果ですから。

その負の無限ループから脱出すると心に誓う。
それが意志表示。
その負の周波数とは違う望ましい波長を望む、と宣言する。
それが選択。


すべては、自分の心がシンクロしたもの。
すべては、自分が選択し意志表示したもの。
自分が心に抱く感情に責任を持つこと。
それが、いまこの瞬間から実践できる新たな世の生き方。




任せる

天に任せる photo 宮本章光

任せて生きる。
任せれば、天命を授かる。

逆らえば失う。
流れに逆らえば、成るものも消え去る。

透き通る

透き通る photo 宮本章光

透き通るような白さ。
という言葉があります。

文字通り透き通るように。


祓いたまえ清めたまえ

輝き photo 宮本章光

祓いたまえ清めたまえ

祓え給い清め給え神ながら守り給い幸え給え



何が正しいか。
何が真なのか。
それは、
自分の心が生み出す波動次第であること。
ゆえに、正しいも正しくないも、すべてが存在しすべてが量子もつれとして、シンクロし顕現化します。

この地の物理実体たる体は、
想念を顕現化させ、それを体験し成長するための媒体。

立派な体をお貸しくださり使わせていただきありがとうございます。


祓え給え清め給え守り給え導き給え



いまこの瞬間を全うする

水辺でミヅキに会う photo 宮本章光

芽を出し茎を伸ばし葉を茂らせ、
花開けば、実を結ぶ。

こうして世代を繋ぐ彼らの生きる姿。


叫ぶことなく、負の波動を生み出すことなく。

ただ、そこで生き、
ただ、そこで世代を重ねる。


鳥に実をつついてもらい、見ず知らずの土地へと拡散することも。
そして、
ただ、そこで生き続け、
ただ、そこでその世代を全うする。

今、この瞬間をあるがままに生きる。



上方向にのみ成長する

竹林に photo 宮本章光

一年ごとに勢いよく伸びてゆきます。
節目ごとに。

そして、
常に・必ず、上を向いて成長してゆきます。
もちろん地面の下では、地下茎が張り巡らされ地上とバランスすることは理解していますが、地上空間で伸びるその方向は「天に向かって」のみ。


成長は一方向。
その意味を理解します。

拡大と進化は上昇あるのみ。
崩壊が決定している旧来のレイヤーに留まり続けるのなら、それは結果として「退化」となること。
すべての存在が成長し続ける限り、相対評価として「置いてきぼり」にして欲しい、と自ら望むことでもあります。

成長を望むとは、
進化を選択するとは、
常に新たな学びを得て変わり続けること。
そして、
この地・この世は、想念の結晶化を体験しその仕組みを知るための場所。

然るに、何を想い何を心に描くのか。
それにより、その先に時差を経て生じる体験そのものが変化してゆくことを知り得たのなら、望むもの・望む周波数「のみを選択」すれば、それが顕現化してゆきます。

成長は上へのみ伸びることと、
望む波長のみを選択することと。

自らの選択と意志表示を誤ることなく正しく望むとおりに。



水の女神に挨拶を

水の女神に挨拶を photo 宮本章光

刻一刻と姿を変える水の様子。

変わってはダメだ。
変わらないのが成熟と悟りの証だ。と語られます。

ですが、
多くの者はそれ以前の段階にしか至っていないのですから、どんどん変わり続け、より良く、もっともっと極めてゆく必要があるはずです。

生命の根源たる水の姿。
変わらないのは氷になった時だけ。
さまざまに変化し移り変わるからこそ水たる存在であること。

水の女神にご挨拶を。



眺めているだけでいい

眺めているだけでいい photo 宮本章光

足速に通り過ぎる人たち。

何か珍しいものでもあるのか?
不思議そうに眺めて通り過ぎます。
わたしがここで動かずに佇んでいるからそのように思われるのでしょう。

珍しいから見るのではなくて。
珍しいかどうかは何ら関係なくて。

そこに美しい響きがあるから聴き入るのです。
そこに心地よい波動があるから感じているのです。


眺めているだけでいい。
その感覚・その感触こそ、いまここで生きるという意味だと。

ようやく理解できるようになりました。
やっとここまで辿り着きました。


「数を追い数を誇り・力でねじ伏せる」時代は終わりました。
どれだけ短時間で走破するか。
どれだけ多くのルートをアーカイブできたか。
それを突き詰める人たちと出会うことも多いように感じますが、それは彼らの選択と意志表示なので、わたしとはまったく関係がありません。

ここで接点を作ることで「この空間」を破らないでほしい。
同じです。
自己顕示欲と自己承認欲求のまま、いつまでも喧しい声でアピールするのはもういい。煩いだけ。


ひたすら眺めているだけでいい。
この感覚。大切にしたいと思っています。
そして、
その感覚が、自分の現実として時差をもって顕現化してゆく様子をさらに感じています。



ともに生きる時代の再来

そこで歩みを止める理由 photo 宮本章光

そこに立ち止まる理由があります。


写真を撮るため?でしょうか。
ええ、それも無いとは言えません。この場に伝える貴重な波動の源である生命が溢れている限り、それも一つの目的ではあります。


山道を歩くひとたちは、誰も見向きもせず、ひたすら道を急ぎます。
誰も足元にあるエネルギーに意識を合わせようとはしません。
でもこの場には、ひっそりと生き抜く存在があります。
何も語りません。動くこともありません。


ここで足を止める理由は、
発せられた波長に合致したからに他なりません。
この体験を得るために、そこへ歩みを進めます。

数えきれないほどの美しい波動が、あらゆるところに満ち溢れているので、もう一度同じ場所へ導かれるかどうかは不明です。こちら側も、どこで出会ったのかさえ明確には(あの場所あたり...だと記憶しているレベルまでしか)思い出せません。


茎はある程度のしなやかさを持っていることが、ひと目見ただけで伝わってきます。
葉の水分量は若干少なめで、折れると切れてしまうかもしれません。
そんな質感までもが、瞬時に伝わる体験を重ねます。


ともに新しい道を歩む仲間。
ともに新しい世界を創り上げる仲間。
どれほどマイナーであっても、どれほど目立たない存在であっても、そこでその瞬間に「目が会った」だけでシンクロしたことは事実であり、ここに記録を記すことができました。


一期一会。
けれど、同じ周波数で響き合える仲間は、数限りなく存在しています。
先人が培ってきた、森羅万象・すべての存在に感謝を捧げともに生きる時代の再来です。



大きなエネルギー・大きな氣

貯水池に臨む photo 宮本章光

氣とは特定波長を持ったエネルギー体。


感じられなかった過去は、それを知られてしまうと隷属化の世が実現できないために封印してきた支配者層による刷り込みそのもの。
そして、
教育・宗教から医療、食まで徹底的に支配、水・空氣に至るまで徹底的に負の波動で汚染され、氣そのものが無きものとされてきました。


いま、本来わたしたち自身が備え持っている能力を取り戻す機会を迎えています。
それを望まない人たち(=まだまだ苦しみ恐怖と怒り嫉みの世界を味わい足りない人)には、この言葉の意味が理解できません。
それが良いかよくないかの観点さえ、もはや過去のものとなりました。

異なった周波数は絶対に響き合わないことを身をもって体験しています。
不協和音は決して響き合わないのですから、無用な論議はもう必要ありません。
叫ぶ必要もありません。走り回ることもありません。

元来、響かない異なった波長は絶対に合わないのです。
楽器の調律・チューニングに、異なる音階を出していては未来永劫、絶対に同期しないのと同じであり、すでに同じ音階(A音・B♭音)を鳴らすことそのものが不可能な地点に至っているわけで。


心に抱き描く見えない波動が、時差を経てこの地この世に顕現化してゆきます。
この不動の大法則を知ったからには、もう逆戻りは不可能です。

望ましいモノ・コトを自らの心によって生み出すのみ。
こうしてこの世を造り替えてゆきます。
心のセンサーを磨けば磨くほどに、その地・その場にあるエネルギーに合わせることができるようになります。
そこにあるエネルギー。そこには膨大な位置エネルギーがあることが物理的にも説明ができます。


受け取りるための入り口を心の中に作れば、文字通り溢れかえる無限とも思われる巨大なエネルギーが流れ込みます。
圧倒される激しく大きな力。
けれども決して負の方向に転ばず、穏やかで暖かい波長であることが理解できます。

それが、この場にある「氣」だと。
この氣に合致した瞬間に圧倒される感覚とともに感謝の波動が溢れ出します。

静かに木の葉を揺さぶる穏やかな風・爽やかな風、遠く響き渡る鳥のさえずりとともに。



樹々はともに歩む仲間ではありませんか

銀杏が実をつける photo 宮本章光

道に落下し踏みつけられたあと、強烈な臭氣を放ちます。
人は、その段階になってから初めて彼らの存在に氣がつくのです。


何ごともプロセスがありその過程で学ぶことが多いように感じます。
しっかりと時間をかけて熟成し、美しい果実を実らせます。
それなのに、
途中の過程を見ることなく、落下のあとになってから迷惑ものとして扱うばかり。

あるいは、すでに食用として整えられパックに入ったものを買ってきて口にするだけ。
苦いのか美味しいのか。
それは、彼らの成長過程とその役目に意識を巡らせるからこそ語れること。


忘れ去ってしまったコトの本質を見極める・原点回帰の時間になっています。
すべては生命であり、ともにこの地で生きる存在。
あろうことか、
都市部では、数え切れないほどの数に及ぶ、さまざまな樹々が切り倒されています。
この先もさらに加速してゆくでしょう。

5G電波が届きにくいからでしょうか。
それも大義名分かもしれず、監視カメラ設置が急増している状況を考えればその理由は容易に理解できましょう。
まして、私企業レベルの設置カメラに自治体から補助金を出すなど狂っているとしか思えません。カネがもらえるなら...などとそこに乗っかる企業の姿をみれば、なるほど「人の顔」をしていないはずです。


樹々はともに歩む仲間だと再認識する必要があります。
まして、
山林山谷を切り拓きソーラーパネルを設置したことで、いま何が起きているでしょうか?
表向きはCo2の削減などと綺麗ごとを並べます。けれど、Co2を取り入れ光合成サイクルを形作る植物存在が激減することで、Co2削減どころかそれを処理する彼らが居なくなります。
結果として増加傾向に転じてしまうのではないでしょうか。
小学生でも展開できる思考レベルかと感じます。もちろん物ごと一方方向からだけでは論じられないことは承知の上で。
あぁ、なるほどそれで温暖化に結びつける算段。両方セットで仕組んでくるやり方ですか。ええ、勉強しました。


「生きている。」
その言葉の意味をよく考える時を迎えています。
この国の先人が大切に培ってきた、森羅万象・自然と共生する心。
大切にしたい、と、そう思う心がその現実を生み出す原動力として見えない波動となってゆきます。

やめろ!と叫ぶ以外にできることは、
心地よく、目の前に存在する彼ら・もちろん同じ種、同じ植物だけでなくすべての生命に感謝の波動を送ることかもしれません。
それが時差を経て、望む風景を創り出してゆきます。
このようにして、旧来のレイヤーから脱出し同時に近未来を創造してゆきます。




置き換え不可能なものは必ず残る

朽ちた樹皮にも命の流れ photo 宮本章光

激しすぎる世の変化。
極めて早く移り変わる目の前の混沌のさま。

それもこれも、大建て壊し・大建て直しのプロセスだとされています。
流れに飲み込まれ、一緒に消滅してしまいませんように。


置き換え可能なもの。
早晩、それは間違いなくAIに取って変わられるでしょう。

どんな職業が、だとか、この仕事内容ならば大丈夫ではないか...だとか。

はっきり言ってしまえば、その発想そのものが「もうこの先には必要とされていない感覚」だと知る機会を迎えています。
その発想から伝わるエネルギーは、
自分は助かる、助からない、助かりたい。その波動しかないように感じます。

既存の「定規」やこれまでの「メガネ」で見ている限り、すべてのものは崩壊と滅亡の憂き目に遭います。
大建て壊し・大建て直しのプロセスとともに、AIの台頭も同様の変化であると理解するタイミングかと。


すべては成るように成る。
この国の先人は、そのように言靈に託し語り継いできました。
ただし、
それには、然るべき準備を整えてから。という条件つきで。


「人事を尽くして天命を待つ」
その言葉の意味は、このように伝えられているかと思われます。

自分のできることをやり尽くし、あとは天に任せる。と。
何もかも、これ以上にできることはないところまでやり尽くしましたか。と。

大混乱時期の浄化と断捨離もそのひとつには違いありません。
けれど、
これとて、旧来のメガネでしか見ていない証だと感じるわけでして。


天命を待つ、とは、
この地この世に物理実体をお借りして実現できることすべてを指しているとの解釈もあるはずです。

掃除洗濯を徹底的に行って禊の境地に至る。
それもひとつのプロセスではあるでしょう。しかし、この実体を通してしか実現できないもの・こと。
これこそが「天命を活かし切る」姿ではないでしょうか。


-----言葉や文字で伝えることが得意な人は、その媒体を使いこなすことよって、より心地よくさらに望ましい波動が生み出せるよう人々を導いてゆく。

-----食に携わる世界で生きる人は、誤った健康常識や、裏側で医療利権に染まり意図的に病を生み出すように仕組まれた狂った枠組みから脱却できる方法を、万人にも容易に理解できるよう伝えてゆく。

-----わたし自身は、大自然の中に立派に生きる生命の姿とその巨大な力を印象的なイメージとして残しながら、言靈の力との合わせ技によって、新たな道を創り出す方法を伝えてゆく。


と、このように得意分野を活かし切ることが求められているはずです。
天命を待つ。とは、天から救世主が降りてくることを待ち続けることではないように感じます。
同時に、
人事を尽くすとは、与えられた天命・自分だけの得意分野を活かし切ることだと解釈しています。


この意識の行き着くところには、
処理能力が破壊的に激しく高速化した量子コンピュータでさえも、その置き換え不能な境地であると考えられます。

置き換え不可能なものは必ず残ります。
それこそが、人事を尽くすことであり天命を活かし切ることだと思っています。




ともに響き合うから顕現化が加速する

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歩けば・移動すれば、目に触れる美しい生命存在。
そして、その時その瞬間にしか味わうことのできない稀有な体験を重ねてゆきます。

一つひとつが小さいながらも感動となり、この地に物理実体を持って感じ・触れることができるありがたさに、ここに歩みを止めこの一期一会の記録が叶います。


人と比べ人の目を氣にして生きるSNSの世界。
どこへ行った・何をした・何を食べた...。
そんな人の行動を見て自分と比較し、結果として自分の価値観や存在感を低い波動に落とし込む目的で仕組まれたプラットフォームだと理解できていますか。

人は関係ないのです。
人が何をしたのかなど自分とは無関係です。

自分は自分の足で移動し、自分の目で美しい存在を感じ、自分の肌で心地よい風を感じて、いまここに存在しています。
ここに感謝が溢れ出します。
無理に心を偽る必要などどこにもありません。


いまここに存在しているだけで価値がある。
その本質を理解したのなら、感じ体現し、心地よく穏やかな周波数であるエネルギーを生み出してゆきます。

その波動が周囲へ波及し拡大し、時差を経て顕現化してゆきます。
思考が現実となる大いなる仕組み。


共有とは、この同じ志・同じ波長のエネルギーを拡大し、望ましい世を創り上げるためのもの。
人に対して自己顕示欲と承認欲求をアピールし求めるためのものだと間違って理解していませんか。
だから疲れるのです。
だから違和感が激しく大きくなってゴースト化するのです。


同じ波長を束ね整え、望む世を創り出してゆきます。
同じ波長で響き合える仲間、同じ感覚をともにできる人たちとともに。



感動体験のために生きている

朽ちた抜け殻からも photo 宮本章光

先月の投稿
【そこに舞台が用意されているから】2025/08/21[Link]
の記事にても触れました。

一切手を触れることなく。
何ら仕込みすることなく。
そこに舞台があるから足を運ぶ。

それだけ。
そこに感動体験があるから。
それが選択。


わたしたちは、
喜びも悲しみも、苦痛も恐怖も、すべてをともに味わうためにこの地にやってきた、とされています。
もちろん自分から希望して。

まだ「負の感覚」を味わい足りない人たちは、この体をお返しした後は「他の星・他の地」で続けることになります。
なぜなら、この地は負のエネルギーを選択しない星になるから。もはや語り尽くされた感があります。
でも、
そこに「負の波動が存在しない」のではないこと。ここを誤解してはならないように感じます。


どの世でもどの星でも、あるいはどの次元でも、
正・負ともに両方のエネルギーが存在し、善・悪の生命いずれも存在しているはずです。
ただ「どれを選択する」のか。それだけの違い。

選択しなかった側のエネルギーはその周波数に合致し燃料を注がれることがなくなるために消滅する。
単純な、そして至って明快な仕組みです。
逆もしかり。
いま、その逆をいつまでも続けるのは、この地の崩壊とともに消滅することを希望する人たち(魂)だけです。
もう消滅・崩壊確定したエネルギーに合わせる必要など一切ありません。


よって、望ましい道を切り拓き、創り上げてゆくには、
望ましい波長を選択することによってのみ実現してゆきます。
それが法則だからです。
そして他の方法はないからです。

ここまで意識を拡大し精神性を高めた者だけが、新たな地に存在し続けることができる。
至極当然かと。

同時にはっきりと氣がつく感覚があります。
無理にわくわくして、などと自分を偽る必要が一切なくなるとともに、なんと馬鹿げたことをやってきたのかと。
然るべき波長にシンクロしたならば、自動的に湧き上がる感動が生み出されてゆきます。

目の前で崩壊してゆく混沌とした世に触れ続けていますと、それは決して叶うことがありません。
この過ちを避け、望むエネルギーを得るには、
先人がもっとも大切にしてきた自然と共生する感覚を取り戻す必要があるでしょう。


自然と触れる・そこに足を運ぶことで、何ら意図せず一氣にその周波数に引き込まれます。
自動的に湧き上がる感動は、その波長にシンクロした証です。


わたしたちは、詰まるところ「感動体験を得るため」に生きていることに氣がつきます。

そこに感動体験があるから望む世が生み出されます。
それが選択だからその世を体験することが可能になります。
その舞台を、少しでも多くこの場に残し、伝えてゆきたく思います。




「氣」そこにある見えないものを伝える

流れを眺め photo 宮本章光

流れを眺め。
流れに響き合う。


そこに響く「きめ細かく変化した」流れが生み出す感覚に浸ります。
さほど大きな音量ではないので、そよ風にたゆたう樹々の様子・葉が擦れる音、そして遠くで囀る小鳥の声に意識を合わせることができます。

澄んだ水は川底の赤みを美しく伝え、緑色の元素を含んだ岩石と亀裂は、そのいにしえの生成期へと想像を掻き立てます。


ここまで、画像を一見すれば見えてくるもの・聞こえてくるもの。
この先は、
そこにある「他の感覚」に意識を合わせてゆきます。

どんな感触でしょうか。
何色に近い印象でしょうか。
肌に触れる温度は暖かいですか。冷たいですか。
頬を撫でる風は丸い感覚でしょうか少し尖った感覚もありますか。
匂いはどうでしょう。
実際には口にせずとも、その水の深みのある味覚を感じることはできますか。
空氣の味もあるでしょう。


すでに与えられている「五感」でさえ、総動員すればここまでの多くの情報を感じることができます。
それすら麻痺してしまっていることに氣づきます。早く取り戻してください:自分の意志と選択によって。

そして、次は、
その場にある見えないエネルギーに合わせてみます。
それは、五感の延長線上にあります。特殊能力は必要ありません。

言葉に落とし込むのなら、
それは、心地よさであり温かみを感じる感触であり、あるいは涼しく爽快な感触かもしれません。
それとも、
冷ややかで、ちょっとよそよそしい疎外感にも似た感覚の場合もあるでしょう。


どちらの感触・どの感覚がお好みでしょうか。
それを選択するのが自らの意志であり、その選択の機会・回数を何度も何度も繰り返し経験しているうちに、直感・勘が戻ってきます。
同時に、その場のエネルギー波動と合っているのか、異なっているのかを理解できるようになります。

特別な教材購入やSNS繋がり、いいね!もチャネル登録も申し込みも要りません。
そういった他力本願的な、あるいは既存のメディアに頼るクセから脱しない限り、開眼は遅々として進みません。
(それもひとつの手段であり必要なことは理解できますし否定するものではありません。が、一氣に突破するには自分でハードルを上げ課題を課すチャレンジも必要だということを伝えたく思います。)

この地・この世は、必ず両極のエネルギーがセットでなければ存在できない場所です。
且つ、旧来のオールドメディアは仕組まれた負のエネルギー発生装置である限り、いつまで経っても騙され落とし穴に落ち続けます。
負のエネルギーを求める存在は、永遠に「善を装い」「善のふり」をして騙し続けます。
でも、それとて必要な体験かもしれません。
そして、
次にはもう「落ちたくない」と心に誓うのか、それとも「また落ちたい」と、まるで無理やりに水たまりを歩いた幼稚園児時代の感覚と同じことを続けるのも一つの選択肢に違いありません。


選択の練習をする機会を与えてくれる大きな仲間とその仕組み。
この国の先人が奉った大自然そのもの、その膨大な情報とエネルギーを、ここに伝えてゆきたく思います。




近未来はいま何を見ているかによって決まる

布引五本松かくれ滝 photo 宮本章光

思考とはエネルギーそのもの。
エネルギー波動は同じ周波数で共鳴し振幅を拡大してゆきます。


何を見るのか。
何を感じるか。
何を思うのか。

思考が根源となる波動を生み出し、時差を経て現実を創り出してゆきます。
よって、
いま、何を見ているかによって自分の近未来が決まります。

他人が世の中を変えるのではなく、まして政治などではなく、あるいは救世主でもなく。
だから何にフォーカスするのか。
この部分が極めて重要だと言われる所以です。

自分自身が自分の道を創り上げます。
いま、何を見ていますか。




美しく過ぎ去った時間

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想いはそれぞれに。

この地においては、時は一方通行とされ、その中で目一杯の体験を重ねます。
美しく過ぎ去った時間の流れから。



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