
乱れた氣を元に戻す。
荒れた氣を本来の形に整える。
「祈り」とは、自らの決意を宣言し伝えること。
願望を依願することではないと知り得た人が増えているはずです。便利屋ではありませんから。
間違って教えられてきたその心理の根底には、
不足と欠乏の周波数があり、現状が不足であることを自ら認め、且つその不足を埋めて欲しいと依存する心。
こうして、何か目に見えないものに縋る(すがる)波動を永遠に維持するよう、間違って仕向けられてきたのでした。
あるいは、
それら見えないものを狂った思想だと否定し、物質至上・科学的思考という呼び名の「もう一方の側の宗教洗脳」によって他者より優位に立つことをよしとする世が続いてきたのでした。
この国に生まれこの国で育ち、この国の言葉を話す人たちは、過去の誤った意識からの脱却も早いはずです。
自らの決意と行動を、弥盛地(イヤシロチ)にて神聖なる存在の御前で奉ります。
そこには八百万(やおよろず)の神という例えで示されるような、万物存在への畏敬の念とともに、決して外部・他者に依存しない柱を自らの心に立たせ続ける。その意志表示をすること。
こうした昔から伝わる意識の持ち方。これを現代風の言葉に置き換えてみますと、
---外部に依存せす自分軸をしっかり確立すること。
---感謝の心を忘れないこと。
---自らを・自らの借り物の体を大切にすること。
まさしく、これら注目ワードそのものだったと氣がつきます。
この国で生き、この国の言葉を話していること自体が、すでに敬虔な生き方だと目が覚めます。
それなのに、
ああでもない、こうでもない...と捏ねくり回し、いつまでも「不足と欠乏の周波数」を生み続けるから、すべてにおいてゼロ回答しか生じないのではないでしょうか。
そして、すでに過去になった「引き寄せ」だとか耳障りの良いふわふわの世界に足を掬われてしまいます。
周波数が同じであれば、自動的に引き寄せられるもの。自動的にシンクロするもの。
それが仕組みであり、それが法則だからです。
無理やりに、心にも無い状態で感謝感謝とやっていることは、もはや逆効果しかないことまで理解が及びます。
---暖かい日差しを目一杯感じられること。
---この地の空氣を全身で感じられること。
当たり前が当たり前でないことに意識が及んだ瞬間に、その至高の周波数に手が届きます。そしてその瞬間に感謝の波動が生み出されます。
こういった仕組みを知ること。
この仕組みを使いこなすこと。
そのためには、
乱れた波動を、まず整える。
そのために、
土用という緩衝期間とでもいうべき調整時期が存在していたのです。
ここを「知ろうとせず」鳴り続けるケイタイ・止まらないメール着信に追われ続け、体を失う寸前にまで及んだのでした。
折しもその入院日は2005年1月17日か18日だったかと。21年が流れました。
いまだに、時短は美徳。最短で最大の利益確保だ。
と、スマホ片手にファーストフードを口に掻き込み息巻いている諸氏は、それはそれでご自身のシナリオなのですから大いに楽しみ味わっていただければ結構です。
ただ、一つだけはっきりしていること。
それは、
その延長線上に未来は存在していません。それはもう決定事項。
土用という期間が教える深い意味。
土用という期間がこの先に与える深い醸成。
そして、
八百万の神という意識に根ざした、この国の者だからこそ理解できる深い教え。
大明日(だいみょうにち)を迎え。
焦らず慌てず整えて。
頭(こうべ)を垂れ、心から奉ります。
畏み畏み(恐み恐み)物申す。