静かな心を穏やかな心を

道端で出会う小さな存在。
誰も見向きもせず足速に通り過ぎて行きます。
彼らの世話をする人たちがあります。
水を撒き剪定し、季節ごとに手入れを行います。
ご近所の方々かもしれませんし、公園緑化協会の人たちかもしれません。
こうした人たちは、ここに生きる生命に意識を合わせることができるのだと思います。
もちろん、無意識に、あるいは単なる作業ループとして行っているのかもしれませんが。
(協会のひとたちの中にも、美しくない波動を持つ人たちが在ることは過去に体験しています...。)
その作業時には、きっと同じ周波数に意識が合致するはずです。
その作業時には、必ず生命存在として認識しているはずです。
都会のど真ん中であっても、見渡せば必ず視界の中に植物を見つけることができます。
住宅地の路地の奥であっても、色とりどりの花を咲かせる存在が必ず見つかります。
自分自身が、彼ら生命に意識をフォーカスするかどうか。
しない限りは、その存在に氣づくことは絶対にありません。
ここにも、意識した瞬間に顕現化する大いなる法則が働いていることを知ります。
---元からそこに鉢植えがあったんだよ。
---初めから道端に植え込みがあったんだよ。
そうでしょうか?
意識していない限りは、そこに咲き誇る花の色さえも一切記憶に残っていないのです。
意識していない限りは、その人のタイムラインには存在していなかったのです。
この感覚、この世界、この精神性を共有しともに磨き上げてゆきたいと思うのです。
ええ、この感覚なしに「この先の世」を生きることはできないフェーズに入っています。
はい、この感覚のない「この先の世」は崩壊し消滅するだけです。
そのためには、
静かに穏やかに、美しい存在と波長を合わせてみる。
そんな生き方を選びたいと感じます。
崩壊し消滅してゆく周波数に合わせる必要性は、もうありません。
こういう時代の訪れを嬉しく感じ

もう騒ぐ人たちは一氣に減少した感覚です。
一部の方々はもう視界から消えてゆきました。
太陽から光が降り注ぎます。
そこにある歴史の語り手、尊厳ある生命存在。
このコラボレーションは、強力かつ鮮烈に。
溢れ出す氣の力が画面に同期してゆきます。
こういったシチュエーションであれば、こうした現象が出ることをよく知った者(=わたし)が撮影をしています。
けれど、
それを意図的に狙わなくても、またその結果を意識していなくても、ここにある氣を受けとろうとすればこそ、その状況が表出します。
○○が写った!などと騒ぐ必要は一切ありません。
ええ、冒頭のように、すでにそのレベルで騒ぐ人たちは消滅しつつあります。
画像に記録されたかどうか。
そこに観点があるのではなく、意識せずともその場の氣に合わせようとすれば顕現化する、その関連性こそが重要なのであって、もはやその精神性を語るフェーズへと入っています。
こういう時代が訪れたことを感じます。
こうした時代に足を踏み入れたことを喜んでいます。
この場は、足元には台座が整えられている場所ですが、足下にある根と土と大地、大いなる仕組みそのものたる神への礼儀を忘れず。
一人ひとりが役目を果たす

わたしたち一人ひとりが役目を果たす。
その時を迎えたように思います。
身魂相応。
自分の周波数に相応しい役割があり役目があるはずです。
残念ながら、旧くこの先に役に立たない周波数を選択しそれを増幅するのが役目だと認識している人も多いように見えますが、それもその人の役割なのだと理解します。
それらを全て包括しバランスを取ったなら、シーソーはどちらに傾くでしょうか?
負の側が重すぎるのであれば、そうではない対極の望ましいとされる方向へ「より一層」ウエイトをかけるべく行動するのが、正の波動を拡大する唯一の方法ではないでしょうか。
役目を果たすとは、こういうことだと。
役割に応じた行動とは、これを語っているのだと。
肉体を酷使し走り回るのが役目だと考える人は、それがその人の選択と意志表示。それがその人の役割。
対極を望ましい波動で埋め尽くし上昇させる以外に、シーソーを傾ける方法がないことを知ります。
リトマス試験紙に、踏み絵に。
それは精神性の成熟度合いテストでした。そして今まさに目の前に吊るされている審査課題。
「嘘偽りはエネルギーの世界では一切通用しない」ことを知る。それ自体が成長のための教材であると知るならば、さらに上を目指し拡大を望み実践してゆきます。
一人ひとり、一つひとつの生命存在が、それぞれの役目を果たす。
その総和が閾値を超えた瞬間に、この地の周波数は一瞬でシフトするはずです。
平五郎を見守る御神木は、いつも荘厳に。そしていつも端正に。
集めて束ね高めてゆく

これまでは、一氣に数多く花咲いたことがありませんでした。
今回は7輪一度に。
数を追う世の中はもう終わりました。
けれども、数を束ねることによるメリットが否定されたわけではないことを伝えてくれたのだろうと感じています。
くだらないノイズ、オールドメディアが垂れ流す情報から離れたら、次は、望ましいと感じるもの・望ましいと考えるものへと焦点を移します。
地球の波動を上げて...。と、当たり前のように語られる時代が目の前に展開しています。
僅か5,6年前でさえ、このような状況が実現するとは思いもよりませんでした。
多くの人たち、数多くの方々が、自分の言葉で自分らしく語り始めました。
自分の言葉で話す、とは、自分が得意な分野で自分にできることを表現すること。
すでに旧態となったSNSプラットホームでもなければ、webでもなく。それは物理実体を伴った造形や展覧展示に至るまで。
こうした、前向きで心強くそして当たり前のように穏やかで心地よい感覚。
ちょっと前まで注目を浴びもてはやされた、無理にわくわく、だとか、無理矢理に感謝感謝...なメソッドビジネスではなく。
そんなエセポジティブ波動ではなくて。
自分にできること、自分が生み出せる望ましいエネルギーを一人ひとりが生み出すこと。
これらが集まり束ねられてこそ、大きな力となってゆくのだと。
一人ひとりが、心地よく過ごせば。
一人ひとりが、穏やかに過ごせば。
そうすればこそ、自動的に地球の波動は上昇してゆくことを。
エセポジティブはもう昔の語りとなりました。
どこにも無理した部分がなく。
どこにも頑張った形跡や力技で捻じ曲げた跡がなく。
自然にそして心地よく過ごすことで、その通りの現実が目の前に具現化してゆきます。
この下地が整ったとき、
そのエネルギーを集めて束ね、大きな力として拡大し顕現化してゆきます。
その時は、まさに今。
7輪の花が、揃ってそのように伝えてきます。
わたしのルーツは、他星系での植物の研究者だったと夢の中で教えてくれたことが確信を得る感覚となりつつあります。
なるほど、多次元での研究とは、この地で行われている分類学や確率論に基づくものではなくコミュニケーションを極めることだったのだと。