アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2869]

整え・再起動を待つ

派手さはなくとも photo 宮本章光

OSでもアプリケーションソフトでも、再起動を繰り返しアップデートしてゆきます。
いま、暦は、まさに再起動がかかった状況だと感じます。

画面には何の表示も出ず、本当に進行しているのかどうかさえ不安になる状態でしょう。
でも、そこで焦ってリセットボタンや電源ボタンを押してしまうと、最悪の場合には再起不能の取り返しのつかない結果となるかもしれません。
当然、ソフトウエアの場合は、仮にそうしたリスクが発生してさえも、それを回避するような控えのルートが二重三重に走っているであろうことは予想でき、だからこそ致命的な結果となる事例は僅少・皆無なのだと思われます。


実次元、世の中は「暦」に基づいて動いていること。
それは和暦という狭い範囲の暦ではなく、すべての流れの元・源となる仕組みが稼働するための区切りを示したもの。
幸いなことにこの国の暦では、過去から蓄積された叡智がそこに数多く散りばめられており、それを踏まえて生きてゆくことで、災いから離れ、心身ともに望ましい結果を手に入れることが叶うのだと、肌感覚で感じているはずです。

冬至が示す区切りの意味、冬土用が教える準備と整えの極意。

まさにいま、再起動がかかり、画面には何も表示されていないように見えます。
アップデート最終段階で、何も見えないから...と電源ボタンを長押しするような行動を取る人は限りなく皆無に近いはずです。
同じように、
静かに整え、穏やかに準備を進めている人たちが、この先に芽を出し花開くことになるでしょう。


過去、わたしが病に伏した時期。ものの見事に新年から冬土用にかけてのタイミングだったことがわかります。
一秒を惜しんで走り回る。鳴り止まないケイタイ、読みきれず永遠に新規受信し続ける携帯メール...。
一日のうちに二度も三度もバッテリーが無くなり通信不能になる瞬間が嬉しくも胸が締め付けられる感覚。
ええ、仕方なかった。仕事だからどうにもならなかった。その瞬間には、完全に盲目状態でした。

あれから21年が経ち、ようやくそれを俯瞰し語れるようになりました。
ええ、それは大きな失敗でした。自らそのタイムラインを離脱することができないために強制リセットされたのでした。
でも、
暦とともに生きる意味。準備と整えのための時期の重要性。そういった観点からの理解のために具現化した経験であったこと。


派手さはなくとも。
鮮やかさは見えなくても。
しかし、
穏やかに・静かに。そして途切れることなく。

その波動を維持する時期、その周波数をキープすればこそ、その先には望ましい世を創り出す準備が整います。

再起動を待つ。画面は真っ黒。
慌てず・焦らず。
睦月(むづき)を無事に見送るために整えて待ちます。
それは、何もしていないのではなく。




向こうから語りかけてくる

向こうから話しかけてくる photo 宮本章光

それは言葉ではありません。
でも、
何か、目では見えず手で触れることもできないながら、何か。なんとなく。

それが生命のエネルギー波動だと知り得ます。
しかし、
その周波数に合致しなければ決して感じることができないもの。

きっかけとなるキーは、
「色」かもしれません。
「匂い」でしょうか。
あるいは、
「音」なのかもしれません。

ですので、いきなり目に見えないものなど感じられない...と落胆する必要はありません。
まずトリガーとして、五感で受け取ることができる波動があります。
それを受け取ることから始めてみます。


この場合は「色」でしょう。間違いなく。
対比・コントラストが強いので目を引きます。そこに意識が合います。

補色関係の赤と緑。
逆光の光と影。
その強いコントラスト。

そう感じた瞬間に、その色や光の周波数に合致していることをまず認識する。
その入り口をくぐったならば、そうすればこそ、
「その生命存在が放つエネルギー」を「なんとなく」感じるはずです。

そういうもの。
そういう感触のものだと。


もっともっとその波動へと合わせてゆきます。
すると、
小雪がちらつく氣温であっても、暖かい感触を得ることがあります。
曇っていた空が瞬時に晴れ渡ります。朝からずっと厚い雲に覆われていたはずなのに。

これを偶然だ、たまたまだ、と片付けてしまうのは自由です。
けれど、
この先に心のふれあいを大切にし自然と共存する世を創り上げるためには、そんな「些細」で「手で触れることも目で見ることもできない」感覚・感触が必要になります。


幼児期に言葉を覚えてゆきました。
満足に理解もできないながら、物に名前があることを理解し、状態や状況を示す言葉があることを知ります。
それは、手に握ることも口に入れて味わうこともできません。
でも、言葉として「名前や表現」をする手段があることを理解し知識として蓄積してきました。

目に見えないから信じない。明確に触覚がないから信じない。
乳幼児が、口に入れて味がしない・食べ物じゃないから、言葉なんて・物に名前があるなんて信じない!
などと拒否していては一切の成長が閉ざされてしまいます。

同じではないかと感じるのです。
凝り固まった悪しき洗脳を自分でクリアしなければなりません。
モノを捨てたから浄化が完了したのではありません。

そして同時に、
静かに過ごす。
穏やかに生きる。
必要とされないノイズから離れる。

そうしなければ、微細で繊細なエネルギー波動は感じられないのだと知ることも必要でしょう。
だから静かに過ごすのです。


朝っぱらから、前代未聞の大雪だ記録的な寒波だ、なんだ、とオールドメディアに触れ続けている愚を。
朝起きた瞬間から、人と比べ負の周波数に落とし込まれるタイムラインに触れる愚を。
もっと言えば、
仕事だから仕方ない。生活のために仕方ない。そういう言い訳そのものも、もうやめる時間はとっくの昔に終わっています。
それを続けるのは自分の選択。
そして、自分の選択が自分に降りかかる結果を生み出します。


向こう側から語りかけてくる感覚。
向こう側から話しかけてくる微細な感触。

静かに、穏やかに生きるからこそ感じ取ることができます。
そして、その感覚・感触を大切にする人たちだけが、この先の世を創り上げ歩むことが可能になるはずです。




ものごとは捉え方でどちらにも転ぶ

2026蝋梅開く photo 宮本章光

目の前にかかった霞のようなもの
心に覆い被さったモヤのようなもの

どれもこれも、邪魔者扱いされてしまうに違いありません。
けれど、
それがフィルターとして大切な目や心を守っているのかもしれません。

どちらの役目を果たしているのか。
それは、直感に訊くことで明確になります。
ええ、明確とはいえ「はっきりと言葉で」返ることはありません。ただ、確かな感覚として感じることはできるでしょう。

こうした感覚を大切にすること。
何でもすべてにおいて物質至上の世で長く生きてきたために、手に触れるモノがあり感触があること。それこそが信頼すべき答えだと思い込んできたのでした。

心の感覚。
それは、
よくない言靈にしてみると「掴みどころがない」感覚でしょうか。
けれど、掴めないから間違いという思考回路・認識プロセスそのものを卒業するタイミングだと理解できます。


舞い散る小雪。
フィルターがあればレンズを直撃しません。
メガネがあれば網膜を直撃されるリスクは減少するでしょう。
このように、捉え方次第でものごとはどちらにも転ぶことを知るタイミングを迎えています。

これが「在り方」の本質。
これこそが「思考が現実を創る」本質だと。




元の波動に戻る必要はない

2026紅梅が花開く photo 宮本章光

明確だと信じていた「道」は、実はそうではなかったかもしれません。

世の裏側を知り、
世の支配構造を知り、
誤った真実を信じさせられてきたことを知りました。

そして、
それらを知り得るほどに自ら成長を果たせた・精神性を拡大できた。と感じてきました。
これを続け、待ち続けていれば、いずれ世の中は変わるんだ。と。
けれども、
その感覚そのものが「誤り」であったことに氣づく必要があるかもしれません。


騙されてきたこと・洗脳されていたこと。
それを知ってみたところで、これ以上に意識を拡大することが難しいかもしれない、と。
それを知ってみたところで、この先に望ましい現実を作り出すことと直接の関係がないかもしれない、と。

過去の誤り・過ちを知ることに意味がない、というのではありません。
でも、そのフォーカス先の周波数に合わせて、それを拡散せよ・知れよ・学べよ。とやっていても「その過去の誤った波動」を増幅しているだけでしょう。

これをやっている限り「その先への進化」ができないことを理解したいものです。
その先への進化とは、
自ら能動的に「望ましい周波数」を「新たに生み出す」ことでしか実現しないことを。


ポジティブになりましょう。わくわくしましょう。
それは正しいに違いありません。間違いだとは言っていません。
でも、そこに加えて「明確に望む風景を」描いていますでしょうか。
これが完全に抜け落ちていませんか。

誰が悪だ、何が裏で行われている、もうすぐだ、あと少しだ。それが作戦だ数秘術だ。
と、そこに周波数が合致している限り、その周波数に合致した「望むものは実現しない」現実がいつまでも続くだけです。
次から次へと、落とし穴がやってきます。超えても超えてもワナが出現します。
それがこの地の約束事だからです。
ここを本心から理解したのなら、そういった発言は出てこないはずですし、表に立って、それ見たか!言うてる通りやろ!とは決して語らないはずなのです。


極めて重要なこと、それは、それらを乗り越えさらに先に進むこと。
新たに生み出すためには、明確に描き出す必要があるのです。
芽吹き花開き、立派に披露する木々や花々のように、明確にその姿を描かねば、それは実現できないだろうことです。
まして、
いつまで待つのか。
いつになれば世は変わるのか。
もう限界。もう待てません。と叫ぶ行為が、その先に顕現化しようとしていた芽を根こそぎ摘んでしまうことに理解が及んでいません。


この先に願う風景、望む世は、
自分たちの心から生み出し、それを束ね、拡大上昇させてゆくことが必須なのです。
わざわざ「元の周波数に舞い戻って」その周波数に合致し続け、燃料を焚き続ける必要はありません。

無理に感動して。無理に感謝して。無理に...無理矢理に...。
それは、実現していない「不足と欠乏」の周波数を維持し続けている証拠。
それは、まさしく「頑張って」力でねじ伏せることが美徳と習った悪しき洗脳のまま。


美しいものを美しいと語る。
素晴らしいものへ素晴らしいと伝える。
嬉しいことを嬉しいと表現する。

この心と周波数が完全に合致した瞬間に、いとも簡単に波動は上昇するものです。
それが法則だからです。




現実という目の前は自分が創りあげる

国魂の梅が開く photo 宮本章光

答えがひとつではないことを知りました。
現実は人それぞれに異なることを理解しました。
目の前の風景は一人ひとりが創り上げることを学びました。

何を想い、
何を描き、
何を生み出してゆきますか。




丁寧に生きる

春日の大楠に奉る photo 宮本章光

丁寧に生きる。
とは、余計なもの・不要なコトから離れる生き方。
丁寧に生きる。
そのためには、整えること。

整える。
とは、乱れた周波数を生み出さないこと。
足して足して足し続けるのではなく不要な波動を減らすこと。

その次は、
何をしたらダメなのか。ではなく、
何をすればよいのか。を意識する。

すると、迷いが減少し、うまくゆなかい現実に抗う波動が消滅します。
余計な抵抗がなくなります。
無理をする必要がなくなります。

それが「頑張らない」ことだったと頷きます。
それを「楽に生きる」と言うのだと理解します。

結果として穏やかな現実が具現化します。
余白が生まれるからそこに新たな芽が芽吹きます。

自己顕示欲を握りしめたまま、必要以上に大きな声で叫び、自分を大きく見せる必要がないと理解できます。
見た目だけを追いかける・うわべだけ飾りたてる。
そういった周波数から自動的に距離がとれるようになります。


丁寧に生きる。
その極意は、
究極の自動運転、心の自動運転が実現することだったように感じます。
丁寧に生きる。
そうすればこそ、望む現実が顕現化します。

同時に、この地この世に貴重な体をお借りして生きる時間は有限であることを忘れてはなりません。
同時に、数百年を超えて存在し続ける生命への畏敬の念を忘れてはなりません。
そうすればこそ、そこに感謝のエネルギーが溢れ出します。




頑張るとは何だったのか

篠原のセンダンを仰ぐ photo 宮本章光

頑張る。
頑張れば結果が手に入る。

これまでの世ではそう信じられてきました。
けれども、世は大きく変化しています。もうすでに変わりました。
多くの人たちが肌で感じているはずです。


頑張る、とは、
過去に生み出した不足と欠乏・満たされない不満・恐怖の波動が顕現化したもの・コト、その結果物を無理やりに力でねじ伏せようとすること。
そもそもその結果物とは、自分の心から生み出したもの、それがタイムラグを経て顕現化したもの。
それなのに、後からその結果を力づくで変えようとしても、そうはならないわけで。

白紙に赤色ペンで文字を書きました。それは自分がそう決定し自分の手で書いたのです。
なのに、どうして赤い色してんだよ!黒でなければならんやろ!と怒鳴る。
ええ、落語のネタかあるいは新喜劇やその昔のドリフの世界のように見えるでしょう。

これが頑張る、の正体だったこと。
すでに数多く語られ、すでに理解し体現している人が増え続けている様子が見えます。
一部では「頑張り禁止」だとかの言葉を掲げる人さえも。


ではどうすればよいのか。
生み出す原点の段階で、望ましいものを生み出す必要があります。
そうすればこそ、望ましい結果が時差を経て顕現化してゆきます。

これは量子力学でも証明された法則そのもの。スピってるだとかアタマおかしい...だとか言う人はもう消滅したはずだ、と見届けたいところです。
そうやってアタマが狂ってる輩の思考回路だ。と誤って信じ込まされてきた過去の世でした。


結果として、願うものは何も実現せず、裏で仕組まれた隷属化の世界がここに極まり、そして今、その崩壊を目の当たりにしています。

崩壊するのは、それが間違った展開だった証明です。
こうして、誤った展開と「そうならないよう願う心」が束ねられ、わたしたちの集合意識としてそれが顕現化している証。まさに目の前でその大法則が証明されています。


言葉を置き換えてみます。
頑張る。とは、赤色で書いた文字を無理やりに黒色に変更しようとしている姿。
油性ペンですから消えません。どうしますか?

一旦その紙を破棄します=目の前の世界が崩壊している状況
白紙にもう一度黒色ペンで書きます=わたしたち一人ひとりが心から望む波動を生み出すこと
です。


望む波動を生み出すためには、
ノイズには決して触れず離れ、心地よく穏やかな心を維持し続けること。
その結果、時差を経て望む風景=社会・世の中が生み出されてゆくのです。

何もしないのはダメだ!デモに参加して叫ぶことが行動だ!と豪語した人、もう会うこともありませんが、何もしていないのではなくて、心から生み出すという、その根源・元の元を根こそぎ変えなければ決して世は変わらない。
それが仕組みだったと、ようやく氣づきはじめたことでしょう。

然るに、
過去に誤って赤色ペンで書いてしまったのですから、まずはそれを客観的事実として認めその用紙は破棄することです。
これが認め受け止め受け入れるということ。

え?自分は赤色でなんか書いてないし...、とフタをして見ないふりをしても色は変わりません。
黒い色に見えてるわ、ホンマやで。などと偽って、無理にわくわくする、無理やり感謝する、ジャッジしないんだ。と叫ぶのはそれと同じ行動かもしれません。ここ、もう大丈夫でしょうか。

あぁ、あの時は間違って赤色で書いてしまったんよ。ええ自分が書いた。間違った。ごめんなさい。
でも次は黒いペンで書くよ。と。
これが受け止め受け入れること。
この段階でもう間違いはしませんし、過ちも昇華され正の波動に変換された、という仕組み。これが統合の本質でしょう。


頑張る。
美しいことばとして習い、そのように認識してきました。

でも、これからは「頑張らない」。
それは怠惰にするという意味ではありませんが、もうその但し書きも必要ない段階まで成長できたはずです。
それが信頼する行為そのもの。

仕組みを知り、それを使いこなす。
この先の世を生き抜くための大切な感覚だと感じます。



流れに任せる

流れに任せる photo 宮本章光

任せる。
流れに任せる。

流れに逆らうと「不安や恐怖」が新たに生じるように感じます。

何もない。
何も起きていない。

その状態こそが「すでに満ち足りている」ということだと語られている通りでしょう。
どこにも問題はない。事故もない。
確かに。


信頼する。
なるほど、整っている状態。
不足と欠乏の周波数も、そこには存在していない。


でも、流れはどちらに向いているのか?だとか、
ちょろちょろ僅少な流れなんか問題あらへん蹴散らせるやろ、逆らおうが全然大丈夫やないかい!
逆境を超えてこそ一人前やろが!
といったように「逆らう」。
それが負のエネルギーを生み出す元凶だと理解が及んでいません。

あるいは、
人にどう見られたいか。いちいち説明して自分を認めてもらいたいと願う。
その意識自体が、流れに逆らっている波動を生み出していることに氣づいていないのかもしれません。

無理にポジティブ。
無理やり感謝感謝。それ自体が、実は流れに逆らっていたことそのものだったと。


穏やかに。
その本質は、何も起こさず問題を生み出さないこと。
流れに任せる。
その本質は、
もうすでに満ち足りていたことを思い出すこと。

その先に、深い感謝の念が自動的に生み出されてゆきます。
流れに任せる。
その先に、ありがとうのエネルギーが生まれてゆきます。



緩めるからこそ結果がやってくる

国魂の三角地蔵 photo 宮本章光

このままで。
いまのままで。


足して足して足して、足し続ける生き方。
流れに抗って生きる道。

頑張って頑張って、頑張り続ける生き方。
我慢して我慢して、自分の心を偽って生きる道。

追いかけ続け、頑張り続ける限り、求めるものは絶対に掴めないでしょう。
掴めず、実現せず、よい結果から離れ続ける周波数に完全合致しているから。
結果を得られない状態を維持し続ける周波数を自ら生み出しているから。


力を誇るのではなく、地位を手に入れるのでもなく。
自分を偽ることをやめる。いつまでも自己顕示欲を掲げない。
すると、
何が起きても怖くなくなるはずです。


緩めばゆるむだけ。
立ち止まって、立ち止まっている状態そのものを俯瞰してみます。
一度立ち止まったなら、そこからゆっくりと歩みを始める。
同じように動き始めたその状態を俯瞰してみる。

そうすればこそ、
その立ち位置から「望むゴールまでの距離を客観視」できるようになります。
頑張らない状態を作り出すからこそ、そこに結果がやってくることを知ります。


整える。
比べるのをやめる。

その本質は、これまでの常識とは正反対だったことに氣がつきます。




「大寒」頑張らない・ここに極まる

大寒に想う photo 宮本章光

大寒。
寒が極まる日。

言靈を知ればこそ。
無理をしない。頑張らない。

それは、怠惰ではなくて。
それは、ただ在り方を意識することとされます。


走りすぎる人たち。
詰めすぎる人たち。
自分も通ってきた道です。繰り返しこの場に綴ってきました。そして伏しました。

だから、あまりにも当たり前なこと。
心が乱されないほうを選ぶ。
そして、信頼する。
急がなくても必要なタイミングで必要なことが顕現化することを知ります。


極まる寒さの中、固いつぼみは「何もしていない」のではなく、来たる春の晴れ舞台のために醸成し準備をしています。

頑張らない。
とは、
何もしないことではなく。

不足と欠乏の周波数に溢れかえり走り回る。結果として、さらにその現実を生み続ける。
熟成・醸成の時間を持つことで、その先を見据えて準備ができると知る必要があるでしょう。


騒がしいから見えない。
騒がしいから聞こえない。
だから静かに過ごす。だから穏やかな波動を維持する。


整える。
比べない。
ここ数日で記し続けた言靈。

寒さとともに、いまここに極まります。




比べるのをやめる

芽吹く早春2026 photo 宮本章光

人と比べるのをやめる。
世間一般と言われる認識と比べるのをやめる。
平均と呼ばれる値と比べるのをやめる。

すると何が起きるでしょうか。


比べ差異を認識した時点で、正/負、両極のいずれ側にもブレてしまいます。
自分の意識や考え方・シチュエーション、進捗状況などなど。

上回っている、進んでいる、優れている...。
この場合には、安心感という名の優越感を感じるでしょう。

下回っている、遅れている、劣っている...。
その場合には、焦りと失望、劣等感という名の負の波動を瞬時に生み出しているでしょう。


でも、どちらであっても、それを「昇華させ前に向ける波動へと変換」すること。
これが「整える」という言靈が示す本質ではないかなと感じます。
その方法さえ心得ていれば、恐れるに足りないと知り得ます。

まずは受け止める。そして受け入れる。これは避けて通れません。
次に、
そのエネルギーの「絶対値」を認識することが必要でしょう。
あぁ、優越感を感じたよね。
あぁ、劣等感を生み出したな。といったように。

あぁプラス1万ポイント分、ありがとう。なのか。
あぁマイナス1万ポイント分、氣づかせてくれてありがとう。なのか。

ともに認識すればそれでいい。
この絶対値を認識すればそれで完了。
15分も経てば綺麗さっぱり消滅しています。
消えないのは、それを自分自身がいつまでも温め続けているから。維持し続けているから。


比べるのをやめる。
とは、
優越感や劣等感に蓋をして見て見ぬふりをするのではなく。
見て見ぬふりをするのがジャッジしないということなのではなく。

自分で「絶対値を認識」できた時点で、ともに感謝の周波数に整え、手放してしまえばよいことに氣がつきます。
これが「整える」の極意ではないでしょうか。
これこそが「感謝」の本質ではないでしょうか。

力でねじ伏せ、心を偽り、無理やりにポジティブ・わくわくなんてやることではないと目が覚めます。
ここに不足と欠乏の周波数・負の波長から離れる秘訣が隠されていたことを知ります。




焦らず慌てず整えて

丹生の大神大楠 photo 宮本章光

乱れた氣を元に戻す。
荒れた氣を本来の形に整える。


「祈り」とは、自らの決意を宣言し伝えること。
願望を依願することではないと知り得た人が増えているはずです。便利屋ではありませんから。

間違って教えられてきたその心理の根底には、
不足と欠乏の周波数があり、現状が不足であることを自ら認め、且つその不足を埋めて欲しいと依存する心。
こうして、何か目に見えないものに縋る(すがる)波動を永遠に維持するよう、間違って仕向けられてきたのでした。
あるいは、
それら見えないものを狂った思想だと否定し、物質至上・科学的思考という呼び名の「もう一方の側の宗教洗脳」によって他者より優位に立つことをよしとする世が続いてきたのでした。


この国に生まれこの国で育ち、この国の言葉を話す人たちは、過去の誤った意識からの脱却も早いはずです。
自らの決意と行動を、弥盛地(イヤシロチ)にて神聖なる存在の御前で奉ります。

そこには八百万(やおよろず)の神という例えで示されるような、万物存在への畏敬の念とともに、決して外部・他者に依存しない柱を自らの心に立たせ続ける。その意志表示をすること。


こうした昔から伝わる意識の持ち方。これを現代風の言葉に置き換えてみますと、

---外部に依存せす自分軸をしっかり確立すること。
---感謝の心を忘れないこと。
---自らを・自らの借り物の体を大切にすること。

まさしく、これら注目ワードそのものだったと氣がつきます。
この国で生き、この国の言葉を話していること自体が、すでに敬虔な生き方だと目が覚めます。
それなのに、
ああでもない、こうでもない...と捏ねくり回し、いつまでも「不足と欠乏の周波数」を生み続けるから、すべてにおいてゼロ回答しか生じないのではないでしょうか。

そして、すでに過去になった「引き寄せ」だとか耳障りの良いふわふわの世界に足を掬われてしまいます。
周波数が同じであれば、自動的に引き寄せられるもの。自動的にシンクロするもの。
それが仕組みであり、それが法則だからです。
無理やりに、心にも無い状態で感謝感謝とやっていることは、もはや逆効果しかないことまで理解が及びます。


---暖かい日差しを目一杯感じられること。
---この地の空氣を全身で感じられること。

当たり前が当たり前でないことに意識が及んだ瞬間に、その至高の周波数に手が届きます。そしてその瞬間に感謝の波動が生み出されます。

こういった仕組みを知ること。
この仕組みを使いこなすこと。

そのためには、
乱れた波動を、まず整える。
そのために、
土用という緩衝期間とでもいうべき調整時期が存在していたのです。


ここを「知ろうとせず」鳴り続けるケイタイ・止まらないメール着信に追われ続け、体を失う寸前にまで及んだのでした。
折しもその入院日は2005年1月17日か18日だったかと。21年が流れました。
いまだに、時短は美徳。最短で最大の利益確保だ。
と、スマホ片手にファーストフードを口に掻き込み息巻いている諸氏は、それはそれでご自身のシナリオなのですから大いに楽しみ味わっていただければ結構です。

ただ、一つだけはっきりしていること。
それは、
その延長線上に未来は存在していません。それはもう決定事項。


土用という期間が教える深い意味。
土用という期間がこの先に与える深い醸成。
そして、
八百万の神という意識に根ざした、この国の者だからこそ理解できる深い教え。


大明日(だいみょうにち)を迎え。
焦らず慌てず整えて。

頭(こうべ)を垂れ、心から奉ります。
畏み畏み(恐み恐み)物申す。




抗わず流れに委ねる

春日の大楠に頭を垂れる photo 宮本章光

冬土用入り。
そして、1.17。

忘れてはならない。と。
それを否定するのではありません。
けれども、その意識にフォーカスする限り、その波動を何度でも生み出し繰り返し焚き続けること。

エネルギーの法則を知ったのなら、その経験に感謝し離れる。
その体験が必要だったから出現したことに礼を奉り離れる。
それだけ。それが最も重要なことだと。

絶対にやってはならないのは、
裏側にこんな企みがあって故意に仕組まれたんだぞ、知れよ真実を。
と、いつまでも叫び続けること。

その負の波動をいつまでもいつまでも生み続け燃料を焚べ続ける。
それは単に自己顕示欲にしかならない。と知る必要があるでしょう。

災禍さえも必要だったからこそ自分に降りかかったことを。
人の命さえも必要なタイミングで必要な形で消滅してゆくことを。

すべては必然であり、すべてはこの地を体験するために描かれていることを。
抗わずに流れに委ねる。


感謝とは、
こうしてすべての出来事を体験させていただけることに捧げるエネルギー。
楽しいこと、わくわくすることを無理やりに書き出して、心にもない意識のまま口先だけ語ることではないのだと。

愛とは、
甘美な感覚を語ることではなく、極限の苦しみ痛み災禍さえも自らを成長させるために目の前に現れている仕組みそのものだと。
ものごとのうわべだけを口走る薄っぺらさを知ることが求められます。


お焚き上げを終え歳神様を見送ったあと、その空白には準備と調整のエネルギーが裏側で働いていることを知ります。
それが土用。
それなのに、一秒を惜しんで走り回り、貴重な借り物であるこの体を痛めつけた過去。
その結果、病床に伏した過去。

それさえも学びと成長のための過程だったことを知ります。
仕事だから仕方なかった...のではなく、大いなる巡りと季節・時期が持つ本質、緩・急、動と静の本意を知ろうとしなかった自らの過去があります。


この地この世、そしてこの稀有な言靈と大地の波動、永きにわたり生き抜く生命と波長を合わせてゆきます。
そこには、流れに委ねる姿勢が求められます。




そもそも説明は要らなかった

2026年 白梅が芽吹く photo 宮本章光

なぜ芽吹くのか。
どうして花開くのか。

季節が巡るから?
時期が来たから?


このようにして説明をしなければならない時代は過去になりました。
説明は不要です。
なぜなら、説明しなくてはならないレベルを卒業したから。

必要な時に、
必要なものが、
必要なだけ顕現化する。
それが、そもそもの仕組み。

なのに、理由を探し求め、ファクトチェックだエビデンスだ。と、外部に依存し続ける。
ましてwebに答えは存在しないにも関わらず、今度はAIに尋ねる。

いい加減にしなさい!
と、もしわたしの祖母が生きていたのなら、間違いなく叱られることでしょう。
答えなんてどこにもありませんよ!と諭されるのがオチです。


情報とは、
情報という言葉に対する多くの人たちの理解とは異なり、臣民を支配し「意識と感情をコントロール」するために存在してきたこと。氣づいていますか。もう学び終えましたか。

人と比較しアタマがおかしい。だとか、ファクトチェックはどうなっているか。などとAIに依存しその答えを求める。
あぁ、ビギナーすぎるよな、この人は。と瞬時にバレます。
比較そのものが不要。
答えは自分の心の中にしかありません。


違和感がある。
それなら、その波動と「自分は合致していない」という、単なる状況を示しているに過ぎないこと。
大いに頷く。
それならば、その波動と「自分は共振している」という状況を単に示しているだけだということ。

よって、人ひとり一人ごとに「その答え」は異なります。
この感覚を研ぎ澄ますことによって、この先に広がる道を創り上げるのです。


繰り返します。
「情報」とは、多くの人たちが理解している情報ではなく、意図的に仕組まれた「感情を低波動に落とし込める」ためのエサだということ。

自分は大丈夫。
自分は自分でコントロールできるから、ある程度はSNSにも接点を持っているんだ。ですか。
ええ、大いに結構ですし自由です。
ただ、
波動や周波数の法則は、その周波数を「意識した瞬間に合致し同じ波動を拡大している」ことを忘れませんように。


白い梅ですよ。
と意識した瞬間に「白い色」や「梅という存在」に合致し、そのエネルギーを生み出し拡大している。
この仕組みを学びました。

学んだ限りは、ノイズにしかならない波動に触れ、不用意にそれを世に垂れ流ししないこと。
大人の行動。とはそういうことではないでしょうか。


望ましい世とは、救世主を待ち続けることではなく、自らの心から願う周波数を選択し生み出し、それを顕現化させることでしか実現できません。

そもそも、説明そのものが不要だった。
ようやく理解できる人たちが増えている様子が見えはじめています。
ともにその波動を束ねて拡大してゆきたく思います。




緩め・手放し・整える

IMG_0090_2026.webp

やかましい情報。
やかましい音。

それは、単に「ラウド」という観点ではなくて。


心機一転、今年こそは...。
といったように、
足して足して足し続ける思考。
そんな思考、そんな説明そのものが、もはやノイズになり得る。

そのノイズは、不足と欠乏の周波数に同期し、不足と欠乏という現実をいつまでも顕現化させるから。

15日。
緩め・手放し・整える。



心の眼で見る

スプレーマム菊の花 photo 宮本章光

心の眼で見る。
とは、
その存在が持つ波長に合わせてみること。

心の眼で見ると、
その存在が維持する周波数を感じられるはず。

心の眼で見る。
その時に初めて、その存在と響き合う感覚が生まれます。


ここに、心地よさと穏やかさ。美しさとの共鳴の波動が生み出されます。
この目に見えない波動が、時差を経て目の前の風景を形作ります。

それが現実創造。
それがこの地に生きるものの果たす役目。


身体と心と

芽吹きを待つ photo 宮本章光

奇妙なこれまでの世でした。
でも、その常識(思考のクセ)のまま歩み続けると再び落とし穴に落ちるかもしれません。


これまで、心という感覚を蔑ろにし、目に見えないものは無きものとする。
物質至上で、精神論を語ることはスピったダメな奴、とされてきました。
(過去何度もそういった目にあってきました)

世界線が大きく変わり、心で感じるものこそが本質だと理解されるようになってきますと、精神面も大切にしようとする姿勢が広がりました。
非常によい傾向かと感じます。

ところが。です。
冒頭の「過去の常識・過去のクセ」のまま、その延長線上で精神面を拡大してゆきますと、落とし穴があるように見えるのです。
心で感じるもの・心に抱くものを大切に。
と、大きくウエイトを変えてゆく過程で「身体の感覚」が置いてきぼりになっているかもしれません。
身体が発する警告や叫びに「無頓着・無神経」になっていませんか。

めちゃくちゃ冷えているのに、心が現実を創るんだから、とにかくわくわく...。
なんてやっていませんか。
べらぼうに眠いのに、心が穏やかならそれが最適解なんだから、いまは頑張って目を開けて...。
なんてやっていませんか。


身体と心はセット・対(つい)であること。
モノとココロはセットですよ。というのは、目の前にある無機質な物体だけをモノと言っているのではないこと。
モノ、とは実体を持ってこの地に存在しているものすべてだと忘れてはならないように思います。

心に対する感性にウエイトを持ってゆき過ぎて、身体が疎かになっていませんか。
心が発する信号は、身体が表示しているケースが極めて多いことを忘れないようにしたいものです。

モノとココロのセットとは、お借りしている身体と心のセットであることを。
そのために、口にするもの二つ「言靈と食べ物」と、ともに大切に。と教えられてきたのです。
ええ、
結局はこの6年間、また振り出しに戻ったようです。
究極の答えは、そこにしか存在しないからでしょう。



参考:「おばあちゃんの知恵袋アーカイブ18本」[Link]
https://and-em.com/blog/index.php?no=r5643




朽ちるもの・芽吹くもの

朽ちるもの芽吹くもの

光を浴びるもの、影に隠れるもの。
朽ちゆくもの、芽吹くもの。
枯れゆくもの、伸びゆくもの。

輝くもの、沈むもの。
喰われるもの、喰われないもの。
落ちるもの、伸びるもの。


選択が周波数を固定し、
選択が現実を形作る。

選択が生み出す元を創り出し、
選択が出ずる結果を作り出す。


朽ちるもの。
芽吹くもの。
すべては選択。この地の理(ことわり)。
すべては周波数。この地の大法則。



天は助るものを助く

丹生の御神木を奉り photo 宮本章光

天は助るものを助く。


奇跡を待つだけではなく。
奇跡を望むだけではなく。

在り方(ありかた)。
それが、この地で果たす役目だと。

波動は同じ周波数に合致し共鳴すること。
在り方が、この先の現実を顕現化させてゆきます。

天は自ら助るものを助く。
ただしそれは、旧来の根性論ではなく。



共鳴が結果を生み出す時代へ

旧時代の幕引きと新時代の幕開け photo 宮本章光

努力を積み重ねる。
努力が結果を導く。

それはこれまでの世の仕組みでした。

これからの世は、
「共鳴が結果を生み出す」時代へと変わりました。
そのため、
望む周波数を「確実に認識する」こと。
望む周波数を「確実に維持する」こと。
その結果、
望ましい結果を生み続けられるという仕組みを体現する世へと。


根性論も血の滲むような努力も必要ないと、はっきりと理解できるところへ到達しました。
そして、そのような過去の波動は、この先の世では存在そのものが不可能であることも。

共振・共鳴によって同じ周波数が同じ結果を導き出します。
異なる周波数を維持している限り、どれだけ努力しても絶対に結果は出ません。
それを知るために、体を無くす寸前まで走り続け、それが間違いであったことを知るのです。

その境地に達することでしか「理解できない」のですから、その段階に達していない方々は、氣の済むまで努力し続ければよい。それがその人の選択だからです。


初夢...ぽい年初の夢をここに残します。
わたしは、2031年5月28日でこの世を去ります。
家族が黒装束で棺桶の周りを取り囲んでいます。骨上げ時、頭部には真紅の骨が見えました。
(父の骨上げの時には、頭部にピンク色の骨がありました:アルミなどの蓄積した毒だと思われます)
自分の場合の真紅の骨は何なのか?よくわかりませんが。
リアルに、その斜め上からはっきりと見て取れました。


この地を建て直しできなければ、もう期限切れで故郷へ戻るのですよ。そんな設計図(期限)をあなたは携えて今世を生きているのですよ。と、残りのロードマップを明示してくれたのだと思っています。

外側を力でねじ伏せるのではないこと、重々承知、そこまでは理解できたはずです。
そのためには、周波数を同期・合致させなければ結果を得ることはできないことを。
でも、
それはいつまでも試行錯誤できません。肉体の借用期限があります。

あと約5年間。
いつまでも目に見える変化は起きません。けれど、どこまで望む周波数と合致させることができるのか。
30年前なら、相当な恐怖と焦りを感じたことでしょう。


言葉を置き換えてみます。
余命5年。恐怖を感じますか。いえもうほぼ感じなくなりました。
なるほど、このまま目の前の「過去の負の波動が生み出した結果である風景」を見続けるのは、もはや限界でもあります。
同時に、
それを明確化して定着させない限りは、ただの夢に過ぎないとスルーすることも可能、そのように顕現化させる(顕現化させない)ことが可能だという論理的な別ルートの生み出し方も得ているからでしょう。


共鳴が結果を生み出す時代。
ともに創造していただける、この場でご縁のある皆さまの心の波動を求めたく思います。
この地を、望ましい周波数の波動で満たすための協奏・共創のエネルギーをお送りください。




意図せずとも

美しく輝く存在へ photo 宮本章光

外側に見える風景を力で変えようとしない。

変化を受け取り、受け入れる。
これまでのようには感情が波立たず、深く静かな感覚に移行してゆくことが増えているはずです。
表面的なモノ・コトに対して、激しく心を揺り動かされることが減っているはずです。

それは自らの心が新しいステージへ移行した証。
魂の選択がこの結果をもたらしています。


小さくなった靴。そんな例え。
小学生時代、成長するに従って足が痛くなりました。
それは、もう靴のサイズが合わなくなった印。
だから、その時々の成長に合わせて新しい靴を新調しました。


いま、魂の成長がこれまでの枠組みに押し込まれることを望まなくなったのでしょう。
新しい思考、波動は、静かで穏やかな「枠組み」でしか存在できなくなっています。
よって、その新たな波動を新たな枠組みで包み込みます。

整える。
そのままで居ること。
それが「在り方(ありかた)」。

外側の変化を追いかけるのではなく、意識して穏やかに過ごす。
それが「意図せず」心地よく望ましい現実が生み出されてゆく仕組み。

美しい存在に美しいと伝える。
その心、その自分の感覚に静かに耳を傾けることによってのみ、望ましい結果が顕現化してゆきます。




詰めすぎない・入れすぎない

詰めすぎず入れすぎず photo 宮本章光

1月5日。
通常運転に戻る日、と仰る方々が多かったはずです。

でも、元に戻ってしまってよいのでしょうか。
正月だから、新年だから...と、大きすぎる目標を立て、結果として「現時点では達成できていない:実現できそうにもない」欠乏と不足の周波数を生み出し続け、さらに通常業務に戻ったから仕方ない、と、「これまで未達成で実現しなかった」過去と同じ周波数を維持し続ける。

これでこの年も、過去と同じ波動をキープしたままになる可能性が高まるように思われます。
まさに、崩壊するタイムラインに自分から乗っかって、沈みゆく泥舟とともに生きることを肯定してしまう。


聞き飽きたはずの自分軸、という言葉。
これは周波数を語っていたことに氣がつきます。

外部に溢れかえる波動に影響を受け、負のエネルギーに同調・同期してしまってはいないでしょうか。
目の前に広がる現実という波動は、過去の集合意識が生み出した「負の結果物」。
それを見て、それに身を浸して、しゃーないやろ、現実やからな。
と、わざわざそこにシンクロしてゆくことの残念さを知りましょう。
そして、
そうではない「ホンモノの意志表示」をしたいと感じるわけです。

これこそが、新たに迎えた年に実践したいことではないかなと。


目標を掲げることに意味がない、などと言う意図は決してありません。
でも、やっていることは正反対かもしれない。
そのように、ちょっとだけ踏みとどまってみる。

そのためには静かに生きる。
そのためにノイズから離れる。

なんやてぇ、結局これまでと一緒やないかい!
と、感じるかもしれません。

ええ、それは究極の道だからでしょう。
叶えられないほどの大言壮語を吐くことに価値があるわけではないのです。
口先だけで綺麗事を言うのと同じ過ちを繰り返さない。

少しだけ歩みを止めて物ごとの本質を見極める。
少しだけクロック数を落として俯瞰してみる。
これが、この先一年間の結果を左右することに氣づきたいものです。


詰めすぎない。
入れすぎない。
思考も、食事と同じく「腹八分目」。空白を残しておかなければ疲弊し、望ましい道から遠ざかるばかりかもしれません。




前提が置き換わったことを知る

壁面を覆う photo 宮本章光

新しい、だとか、これからの...という前置詞を、何だか解らないけれども受け入れたくない感覚を持つことがあります。

変化を嫌うのでしょう。コンフォートゾーンに残り続けるのは居心地が良いから異なる環境に移行するのを嫌がる。
しかし自分の居心地云々以前に、世の中の価値観が完全に置き換わりつつあります。


誰かが決めたこと、それが世の中の基準。それに従っていれば安泰。という感覚。
そう決まっているんだから、その通りに従っていればそれが正解。という感覚。
これらが根本から書きかわっていることを知りましょう。ということです。

もう耳タコ、語り尽くされた感があります。
けれど、どうやら本当に理解されているのかどうか怪しい。


余白。という言葉・言靈。
文字の通り「白い部分」だとしか理解できていない。
ええ、これまではそれでよかったのです。主たる存在(被写体)と、それが無い空白(=白と文字では示してきました)の部分を指していました。

しかし、いま伝えられる余白とは、
無いのではなく、主題とは異なる部分を示しているように感じます。


写真画像は、こうした学びを得る場合に本当に適切な感触を伝えてくれます。
主題とは別に、大きく空白がある。
それはこれまでの世では、実際に構図内に何も置かれていないスペースとしての空白がある状態を語ってきました。
しかしながら、
これからは、まさにこの絵のように空白ではない部分を指し示している場合もあるのだと。

フォーカスが合っていない距離の遠い側(向こう側)にあるボケ感のある部分。
これ「余白」です。
と、これからの世で言う余白とは、こういうことが語られ伝えられています。
例えです。


前提が変わる。とはこういうことなのだと。

昨今、感謝の波動は最高に貴重で高いエネルギー状態である。と伝えられることが増えました。
間違いはありません。正しい。誰にも否定できません。

けれど、
・これまでの世
=ありがとう。と言うだけでいい。形から入る。そう決まっているんだからそれでいい。それが挨拶だ。と。
・これからの世
=言葉を発することに意味がないとは言わない。でも、心がその波動になっていない状態では本質の部分では感謝をしていることにはならずエネルギー的にはむしろ「偽物」の波動を含んでいる。そこに本当の感謝のエネルギーは存在せず、真逆の波動のみしかないことを。


この違和感、この大きな変化を理解できているでしょうか。
心が描き抱くものが顕現化する。
この法則が、さらにもっと重要になってきます。

その本質。大丈夫ですか。
テレパシーのように言葉を通してでなくても伝わるようになる。わくわく...って騒いでいますが、本当に大丈夫ですか。
それ、本当はわくわくなんてしてないけれど、そうすることで幸せになるからと言われてるからやるんでしょ...。
それ、本当は感謝なんてしないけれど、学校でそう言うのが正しいと教えられたからでしょ...。

ここまで、この裏側まですべてが伝わることになるわけです。
大丈夫ですか。
もう、ミエミエですよ。恥ずかしさの極みではありませんか。


ええ、形から入ることでその波動により合致しやすくする効果があることは否定しません・できません。
100万円かけてフラッグシップ機材を揃える。まずそこから入る。
そうすれば、機材が助けてくれる。結果が出る。これは事実です。
でも、
ちょっと凝った結果を得ようとした時に、ベースとなる部分が皆無だから結局そこで停止する。
カルチャーのクラスで、そうした人たちを何人も見てきました。
わずか2ヶ月や3ヶ月の授業期間で、もう「飽きて」しまってそこでストップ。最終回までお見えになりません。さよなら、です。


同じなのです。
繰り返します。形から入ることに意味がないということではありません。
けれど、
ありがとう。ありがとう。と、心にも無いのに口先だけで発している姿があからさまに伝わります。
その惨めさに極めて大きな違和感が伝わってきます。

カネを手にいれるんだ、と裏側に澱んだ心のまま、わくわく。とやっている姿がものの見事に伝わります。
その恥ずかしさを直視できない大きな違和感があります。


世の中の前提が変わったのです。
心の中・心の裏側まで全部伝わるようになったのです。
個人データがダダ漏れ。それアカンやろ。と叫びながら、自分の心の中・自分の波動はさらに激しくダダ漏れ。


地球人に、いま最も必要とされている感覚。精神性の成長・成熟。
うわべだけ過去の規範に従っていれば、ウソをついてもバレへんやろ。
見てくれだけ飾り立て、どう?わたし凄いでしょ!的な感覚を抱いていると、一発で伝わります。


本当に心の底から感謝すればこそ、その熱い波動は周囲に拡散します。伝わります。それは目に見えない波動として。
世の中の前提が変わっていることを知りましょう。
前提が置き換わったことを知る時間を迎えています。

本心からの感謝、本心からの高揚感。
それをともに共有し、ともに成長拡大してゆきましょう。
それが本当の意味での精神的成長だと。
それが、図らずも他星系からの訪問者に突きつけられた課題であることを、もう一度よく受け止め、磨き上げてゆきたいものです。





静かに深く

IMG_0067_2025.webp

静かに。
深く。
しかし確実に。


無駄な見栄を手放し。
無駄な消耗を避ける。

○○しなければならない。
○○でなければならない。
これまでの世の正しさを証明することよりも、本来の感覚、しっくり袖丈が合う感覚。
こちらの感覚を選べるように。

理由を探さなくても。
自分の感覚を押し殺し無理をして生きなくても。
むしろ、
無理をしないことが一番しっくりくることを。


確かに感じ取れるはずです。
何が正しいか正しくないか、よりも、どうすればしっくりくるか、ということを。

頑張ること。耐えること。人目を氣にして生きること。
何かを成し遂げることを目的とせず、人と比べず人の期待に応えることを正義とせず。


一氣に舞台が変わるのではなく。
しかし、深く確実に。静かに穏やかに。

長大な期間を生き抜き、荘厳な波動を宿す生命存在は、それを体現していることを知ります。
その周波数に合致した瞬間に、そのエネルギー波動と共鳴してゆきます。

深く。
静かに。




依存から離れる

霙の止んだ厳冬の空に photo 宮本章光

新年二日目。
過去のように「時間の消費者」として過ごす人たちは激減したに違いありません。そう願いたいものです。

---来週から通常勤務に戻るから。
---来週からまた同じ日々が繰り返されるから。

20年ほど前までは、わたし自身、同じ感覚でした。
けれどもこの2026年を迎え、そのような感覚で過ごすこと、そのものを望まない方々も増えたはずです。
それは、世の中があまりにも大きくそして急激に変化しているからでしょう。

そもそも、じっとしていられない。
しかしながら、
だからと言ってwebの記事を追いかけまくっている限り、これまでと同じ道を歩むだけかもしれません。

これを依存というのかも。
情報という名の拠り所を見つけるために。


三が日は、
1.道と方向を決め、
2.そのために心を整え、
3.行動する。

今日二日は、心を整える。
明日には、行動に移る。


心を整えるとは、
昨日に周波数を決めた到達地点の波長を明確に確認・認識する日。
そのための山や谷のトゲを抜く。それは心の中で。

行動に移るとは、
実行のための土台を作ること。心の中とともに実次元でもモノを整え始める。


量子力学が証明しつつある「意識が現実を創る」確固たる法則。
再びイヤイヤな日々が戻るから、せめて三が日はリラックスするんだ、せめてこの期間は飲み食いだけの無礼講だ。
などと考えるのも、もちろん自由です。
ただ、
その意識の根底には、「この先には再び嫌な日が戻ってくる」という周波数を、心の底で焚き続けているのです。その負のエネルギーは、いつまでもそのままに目の前の現実を作り続けます。永遠のネガスパイラル。


他方、
救世主はまだか!恵比寿放送はいつなんだ!と、やっている人たちもかなり多いように見えます。
覚醒したはずの、そしてこの先の世を創るために牽引するはずだった役目を背負った人たち。
極めて重要な役割がある日本人として。


ええ、否定しませんしできません。
わたしもそれを望みたい。
でも、
現実は「思考によって顕現化」することを忘れてはなりません。

待ち続けるから、永遠に待ち続ける現実を「自分で具現化」させ続ける。
物理法則なのですね。これこそが。
そうした表側に見えることだけを追うのではなく、自らの心から望ましい周波数を生み出すことこそが大切だと感じます。

別の立ち位置ではあると思われますが、まさしくこれも「依存」のエネルギー。
依存する限り、いつまでも依存し続けなければならないエネルギーを生み出したままです。


ではどうするのか?

道と方向を決めましたでしょう?
心を整えましたでしょう?
次には、それを実践するための基礎を固めます。

必要なペンを購入することでしょうか。より望ましい業務環境を構築するためのweb環境を整えることでしょうか。新たなアプリケーションを導入することかもしれません。
(で、年末の記事・過去ログを8投稿分吹っ飛ばしてしまいましたが...。)
あるいは、
新しい食のための苗を手にいれることかも知れませんし、大地のエネルギーに触れるための行動・訪問の行程を練ることかもしれません。


依存から離れる。
その深い意味を噛み締めながら、静かに穏やかに、しかし着実に道を切り拓きます。




2026年-新年ご挨拶

御神木前にて photo 宮本章光

2026年、新春のお慶びを申し上げます。
冬至の区切りを超えた時点で新しい年を迎えているとされますが、現行の暦での節目を感じながら徒然...。


「あり方」と「周波数」そして「巡り」。
次に必要な感覚を整え、新たな起点に記します。


わたし自身もずっと続けてきました。
新年だから目標を。
新年だから決意を。と。
(過去の学校教育の汚点であったと感じます)

在り方(ありかた)の本質を学んだ以上、もうそれが必要ないことを知ります。
目標を掲げ心機一転、そのものに意味がないとはいいません。
しかし、
目標とする到達点に「現時点では達していない」から、そこへ向かって努力をする。
同じく、
「現時点では実現できていないから」決意を明確にし、そこへ向かって努力する。


この図式。
もはや旧いレイヤーの思考であり、その思考こそが「いつまでも実現しない原因であった」ことに氣がつきます。
---現時点で実現できていない。
---現時点では到達できていない。
その「不足と欠乏」の周波数が、そのまま継続し顕現化し続けるのだと。

然るに、
到達した時点・実現した時点での高い周波数を「逆再生」して、いまここに持ってくる。
そうすることで、その到達地点の周波数が、現状・現時点から顕現化し始めゴールに達するという仕組み。

本来、引き寄せというのはこの部分が語られていたはずでした。
しかし、その根底には「現在・現時点では実現していない」だから引き寄せましょうね。とスタートしているため、不足と欠乏の波動を維持し続け、いつまでも引き寄せられない。
という大きなトラップを知らぬままその道のビジネスに足を掬われてしまったのではないでしょうか。
わくわく、も、本来はこの根幹の仕組みを伝えていたはずです。
しかし、怒りと妬み、不足と欠乏の波長を維持したまま、それに蓋をしてみて見ぬふり。うわべだけわくわく。
これが過ちだったということかと。


周波数を選ぶ。
それがこの根幹にあるとともに、周波数をゴール地点の高い波長に合致させない限りは何も変化しませんよ。と教えてくれています。
そして、周波数を選ぶ。これこそが意志表示としての選択であり、その判断と選択そのものが「在り方(ありかた)」だと。


究極のメソッドは、まさにここにありました。
望む周波数を「選択・意志表示」し、それを顕現化させる。
それは狂ったスピでも何でもなく量子力学が証明する大いなる法則。そして、その周波数を選ぶという行為が、いま求められる「在り方」。
「在り方」とは、ここを語り伝えています。


更には、波長を合致させ顕現化への道が創造され始めると、そこに時差を経て物質化・結晶化したこの世の「結果」が生まれてゆきます。
ところが、その結果を握りしめたままでは、次の新たな周波数を生み出せない(新たな結果を手に入れられない)のだと。

だから、手にした恵みは「次の世のために循環」させてゆくことが必要になります。
これが「巡り・循環」の極意。
そして、
巡りは、まだ手にしていない人たちへと送り続けるのだと。

これこそが「愛」だと語られる本質でしょう。
うわべだけ、言葉の上っ面だけをトレースして「愛だ・光だ」と語っている人たちが本当に多いように見えます。

愛とは、そんなふわふわしたものではないでしょう。
厳しいことも多々あるはずです。
眠り続ける人を叩き起こす。世の中を変えるため?
それは愛ではありません。その人の学びの機会を奪うわけですから、それは害悪にしかならないと理解できていない。ここに深い洞察を持って成長を見守ることこそが愛でしょう。
あるいは、
ワルもの、こんな悪事ばかりを働いてたんだぞ!見よ知れよ!といつまでもやっていること自体が、よろしくない「在り方」だと氣づく人が増えて欲しいもの。
そうして叫ぶことこそ、愛に反し光とは完全に逆噴射していることを知りましょう、ということです。
やるべきは、行動すべきは、
この先に望む高い周波数を、ゴール地点から逆再生していまここで顕現化のタネを植え、そしてそれを力強く育て続けることです。


もうこの期に及んで言葉を隠す必要もないでしょう。
何度も何度も夢の中で示され受け取ったこと。常に天から降りてくる啓示。
まさにこの大転換機に、この地に光を灯すための、100万人に1人とされる狭き門を突破し日本人として、ともにいまここに生きる以上、その役目を全うすべきです。


迎えた2026年。
もはや旧い感覚を卒業した限りは、「周波数と在り方」の深い、けれども至って明快な仕組みを知り、「巡り」というエネルギーの流れを体現してゆく。
ようやくこの段階に到達したことを喜び、さらに成長と拡大を求めてゆきたく感じます。

2026年1月1日。




105734257
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories