人が変わるのを待つことなく

人を変えようとせず。
人が変わるのを待つことなく。
人にアピールすることばかり意識し、
人に認められることだけを意識し、
数を追い、数を拡大するだけの世を生きてきました。
いまを生きる。
とは、
いまここで、このまま生きること。
至極当然のことに氣づかぬまま。
氣の遠くなるような長い年月、幾度となく繰り返す転生を通してこの世に生きてきました。
この先には、もうそのような世界はありません。
自分らしく生きる。
とは、
いまここで、自分そのものを表現すること。
同じ周波数で響き合う表現をすること。
人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。
この延長線上に、意識と思考が顕現化する世が生み出されてゆきます。
旧いレイヤーに取り残されたかもしれない

旧いレイヤーに取り残されたかもしれない。
そのように感じることがあります。
もし仮にそうであるならば、腹を括るだけ。
7年半の大患難期を迎え入れ、踏み絵の結果で炎に放り込まれ焼かれようとも。
映画レフトビハインドのラストに語られる名句。
「まるでこの世の終わりのようだ。」と語る父に、娘:クローイは「まだ始まったばかりよ」と。
いえ、ここで宗教の話をする意図は一切ありません。
それに、もはやその意識レベルは卒業済みのはずです。
「一人は取られ、一人は残される。」
有名すぎる一文ではあります。
実際のところ「取り残されたかも...」と肌で感じる瞬間には、背筋が凍りつき絶望感がすべての視界を遮ります。
しかし、
後世の支配者が隷属化のために手を加え捏造したものにどれだけの価値があるのかをよく考える必要があります。
今日までに、思考が現実を創造することを学んだ限りは、
現実創造の能力を使うまでだ、と一歩下がって俯瞰するのみです。
はて。ここで「ホンモノの現実創造のスキルが身に付いているかどうか」。
それを試験されているんだな、と理解が届きます。
この世もあの世も、そしてすべての宇宙も。
何もかもが実験場だと氣がつきます。
実験により結果を得て、その選択が生み出した結果を検証する。
そして、
蓄積されたものをこの先に生かしてゆく。それが進化に結びついてゆくのだと。
選択とは壮大な実験のための仮説のひとつだったことに氣がつきます。
意志がある限り、その周波数のエネルギーは必ず花開きます。
意志がない以上は、決して花咲くことはありません。
水は心を転写する

水に大きな変化を感じられるようになってきました。
単に思い過ごしだ。
そういった意見もあってよいでしょう。自由です。人それぞれ。
個々人の維持する周波数はひとそれぞれ、その人の波長とは決定的に異なるからです。
ともに同じ地で生きることができない人は、いずれ消滅します。
ごちゃ混ぜの実験は終了しました。
振り分け。篩にかけられるという本質そのものですから。
水の存在が、もっとも早く的確に「心の波動を転写」しているように感じます。
先般より、川の流れや際立つ泡に「きめ細かさを感じる」という変化が現れています。
それは、こちら側の周波数に変化が起きたことを示しているのでしょう。
イヤイヤ水撒きをする人の庭からは、荒く汚く・よくない印象の音が響きます。
嫌々やっている心の波動は、放たれた水が砂や土を削り・巻き上げ、周囲へ無造作に飛び散らせている激しい音として伝わってきます。
他方、
植物へ丁寧に水を与え、暑さを避け温度を下げるべく作業する庭からは、落ち着いた細かく柔らかい音が響きわたります。
至って普通の河川。
こどもは魚を探しているのか、あるいは別の生きものを探しているのでしょうか。
そこにある流れに心地よさを感じるからこそ、その中に身を置いているのだとよく判ります。
確かに。
川面に自分の姿が反射するのと同じく、そこに意識の波動・周波数が転写されていたことに氣がつきます。
水は、最も的確に心を映し出すことを。
大空へ向かう・大空から受け取る

セミの合唱はピークの時期を終え、クマゼミもひぐらしもアリたちに運ばれ大地へ還ります。
まだまだ暑い周囲の空氣は、ふと吹き抜ける風にその感触を書き換えられ、
人の居ない月曜日の山は、鳥のさえずりと夏を惜しむ遅鳴きのセミ達の声に満ちています。
意識を大空へ向けてみます。
大空から大きな力が注がれる感覚を楽しみます。
コミュニケーションとはエネルギーの共鳴と交換であり、そこに言葉は必ずしも必要がなかったことを思い出します。
シンクロ体験が、この先の世を生み出し、
合致した周波数が、この先の道を切り拓いてゆきます。
ありがとうございます。