決意は固まったか

これまでの世では、覚悟という言葉によって負の方向に向かうエネルギーに対し心算をする・予め困難に備えるといった意味合いでの必要性が語られてきました。
もちろん、これから先に困難が無い・発生しないとは言えません。この地に生を受け存在している限りは。
しかしながら、
自らの生み出す周波数によって、その困難を変えることができる(できそうだ)と知り得たのが現在地だと思われます。
実際に体感し、現実創造の能力(=使いこなし方法)を取り戻しつつあります。
困難でさえ、自ら生み出していたことを知るならば、もうこの先に生み出さないようにすればよい。のだと。
これこそが、すべて満ち足りている。と伝えられる真実につながってゆきます。
元々が満ち足りてニュートラルなところへ、自分自身で困難を生み出しそれを体験し、乗り越えることによって成長するプロセスを目的としていたためだと伝えられている通りです。
よって、その学びとして決められていた「期間」を終了した時点で、
学習習熟・到達度合いにより、その先の「学校・クラス・レベル」が決定するのは至極当然の理屈でしょう。
すでに決定し、お借りした体をお返しした後に、その地へ向かうとされます。
これらを総括して俯瞰できるところにまで学びを得たのなら、
この先には不足と欠乏や不測の事態・リスクへ備える「覚悟」を決めるのではなく、望ましい波長を心から生み出す「決意」を固める段階へと入ったこと、容易に理解できるはずです。
望ましいエネルギー波動を生み出す。
それが役目。
御神木の大楠は、言葉ではなくなんとなくそのような印象のエネルギーとして、「決意は固まったか」と伝えてきます。
自信を持って、決意は固まりました。ともに歩む決意を持って臨みます。
と返します。
2025/06/20(Fri) 11:36:08 | photo blog



