まやかしの「わくわく」を放り出せ
それ、まやかしではありませんか。
それ、思い込んでいるだけかもしれませんね。
無理にわくわくなんてしなくていいんですよ。
心の中に腐敗したゴミを大量に溜め込んだまま、わくわくして待ちましょう。だとか。
一つ残らず、チリひとつない仙人のような心持ちの人間なんて、絶対存在しないでしょう。
持論・私見ですから押し付ける意図は皆無です。
無理にそんな氣持ちになろうとせずとも、その周波数になれば必然的に、もっと言えば勝手に・自動的にその境地に達します。
いえ、わたしだけではなくて、多くの方々がそうだと思います。
もしその心境にならない(その波長に到達していない)状態であれば、わくわくなんてするはずがありません。
これこそが、いつも記しています「心のセンサー」であって、そこに違和感があれば軌道修正しましょうね。と、アドバイスしてくれるわけです。
いつも、ずっと、わくわくして。ワクワクして!わくわく止まりません〜。
と叫び続ける人。その先には、貨幣経済の悪しき匂いが、まだまだ、いえ強烈に残っているように見えます。
なるほど、そちら側の負の力を焚き続ける「係」なのでしょう。
化けの皮が剥がれてきている、メッキが剥げてきている、そんな様子が露呈しているのではないでしょうか。
あるいは、
根源につながる、高次につながる、チャネリングしている!とおっしゃる方も、すべてとは言いませんが、その方のオーラに「その波動が周囲へ拡散している様子」がまったく見えない(感じない)ことが大半で...。
これも、負の力を維持し続けたい存在と繋がってるのだろうな、と容易に想像できます。
こうした様子がわかる(感じられる・なんとなく)ようになった人たちが増えているはずです。
すごい時代に突入しました。
多くの人たちが、こうした「まやかし」のわくわくを見抜けるようになったのでしょう。
嫌なことは、いつまでも消滅しませんし、負の力に苛まれることもあるでしょう。
なにせ両方セットでなければ存在できない地で、物質的肉体まで纏って生きているのですから。
耳タコと思われますが、わくわくは、そうした心地よさや高波動の心で居ることによって、より本質的な部分に繋がり易い、いえそうでなければつながることはできませんよ、と教えてくれているのであって、ゴミを溜め込んだままの心で「うわべだけ」わくわくしても意味がありません。
これ、「感謝」も同じでしょう。
毎日10個、感謝を書き連ねる。確かに形から入るのは意味があります。そして効果もあるはずです。ここを否定しているわけではありません。
けれど、
そこには「モノ基準の感謝」と「心基準の感謝」があること。そうしたワークの人たちの文言を見れば一瞬で見破られてしまいます。
今日も素敵な服が着れる、ありがとう。
だなんて、衣服というモノの世界そのままです。
心から湧き上がる感謝であるなら、素晴らしい衣(肉体のこと)をお借りできたことに、そしてさらに美しくドレスアップさせていただけるその環境と体験に感謝。でしょう。そう感じます。
「モノ基準」か「心基準」なのか。瞬時に判ります。ものの見事に伝わります。モノを手放せていないことがバレています。
そして、
その心が、その人のオーラとなって周囲に拡散するのだと思われます。
それを「感じられる」から、本物だと理解できるわけでして。
色が見えるかどうかなど、どうでもよいのです。
その昔、幼稚園児の頃には、周囲に居る人のオーラを「色として」認識できていました。わたしの幼少期です。
けれど、いつのまにか見えなくなっていることさえも意識から消滅してしまいました。
そして、
いま再び、こうした精神性の拡大とともに、昔の感覚を少しづつ取り戻していることを感じます。
過去、写真展を継続開催していた時期があります。
その会場に、目を輝かせて極端にレアな話題を(一方的に)話しかけてくる人が僅少ながら必ず存在していました。
パッと見では、そして第一印象では「あぁ変な奴が来たな・ちょっと困りものかも。」などと、大変失礼ながら感じたものです。
けれども、
彼らは本当に純粋に、その話題その項目が好きで好きでたまらない。そして寝ても覚めてもその話題に触れているときこそ、最高に「わくわく」していることが強烈に伝わってきたものです。
ホンモノや!彼は。と思ったのでした。
見た目は、ちょっと変わった子。もしかすると、学校の教室はみんなと一緒ではないのかもしれません。
でも、その異端児ぶりと、心に抱いているパワーこそが、ホンモノの「わくわくの力」なのだと判ります。
極めて強いパワーで押して来る。その感覚は忘れることはありません。
他方、わくわくして待ちましょう。大きなお金が手に入るのを待ちましょう。
と。ここにはエネルギー感・押してくる強い力をまったく感じない上、薄汚れた膜に覆われたように感じるのは、わたしだけではないはずです。
わくわく「して」...などと、意図的に無理矢理に「する」ものではないでしょう。
わくわく「感じる状況に自動的になる」のです。然るべき波動(状態)となれば。
まやかしの、見てくれだけ・うわべだけのわくわくなんて放り出してはいかがですか。楽になってみてはどうでしょう。
きっと、身軽で心も晴れ晴れ。
その時にこそ、初めて「本心からわくわく」するはずです。
はい、その波長に合致すれば、勝手にわくわくした心持ちになるものです。それが物理法則、同じ周波数が響き合い共鳴する。多いなる大法則であるはずです。
2025/01/08(Wed) 19:43:12 | New Age