何も証明しなくてよい

ファクトチェックせよ、エビデンスはあるのか...。
そんなワードからキッパリと離れます。
必要ないからです。
そもそも、初めから必要ありませんでした。
そうやって、他人に疑いや不信の波動を送って分断・分離と負のエネルギーを生み出すために仕組まれていたのでしょう。
人と比べる、そのためのSNSという仕組み。故意に作り上げられていたことまで。
そこで時間の消費者に落ちぶれ、負のスパイラルにみるも無惨に足を掬われてしまう。
そうでなくても、何らかの情報に触れた瞬間にそのエネルギーに合致し、その周波数を自分が増幅し、見えないフィールドに撒き散らしていることに氣がつきません。
そこに渦巻くエネルギーが見えるようになった...というと語弊がありますが、違和感が激しく生み出されている感覚を強烈に感じます。
ええ、プラットフォームそのものよりも、そこに存在している人の念に対して。
他方、
道端で見かける美しい花には、そういった念は一切感じません。
当たり前ですが。
そして、さらに教えてくれるようです。
何も証明しなくてよいですよ。と。
何も。
黄色い色が本当に黄色かどうか証明しないでしょ。と、暖かく伝えてきます。
いえ、勝手に妄想したもの・コトであったとしても、その周波数を意識している時点で、間違いなく顕現化する前の現実の源となるエネルギーがそこに生み出されています。
それを正直に受け止めてみる。
その姿勢こそが、この先の世に必要な行動ということではありませんか。
その姿勢そのものが、自分のこの先の世界を生み出してゆきます。
それは、すでに証明された大法則・物理法則そのものだったと。
けれど、それさえも証明する必要がなかったことまで。
必要ありません。
何も証明しなくてよいのです。
2026/03/24(Tue) 11:54:00 | photo blog



