流れとエネルギー・先人の知恵と意識

自然との調和という形で、この国の先人は水の流れを観察し、そこからエネルギーの流れや生命の原理を知り得ていました。
水が滞る場所には腐敗が起き、新しい水が流れることで生命が活性化されることを知っていたはずです。
水の循環は、生命の循環とも密接に関連することは否定できない事実でしょう。
科学という名の「間違った宗教」でさえ、これは証明し尽くされてきました。
水の流れに存在するエネルギー波動を「龍の姿」に例え、水の流れを自在に操る大きな力を神として共通認識とし、変化に柔軟に対応する重要性を理解してきたのでした。
水は、陰陽五行の中において重要な要素のひとつです。
水の流れ方が環境のエネルギーさえも左右し、人体、そしてコミュニティーまで拡大した人々の生活に影響を与えるとされます。
かつて、身近にある川へ台所ゴミ(茶殻や卵の殻、それに生ゴミそのものさえ)を無造作に捨てていた時期、それは昭和の高度成長期では珍しくない風景でした。
この川の分かれとなる場所でも、土手に付着した生ゴミが悪臭を放っていたものです。
しかし、時を同じくして公害問題が表面化し、土壌汚染、工場排水・水質汚濁、それに排ガスなどが人体に激しく悪影響を及ぼしていることが認識され、そして対策が講じられてきたのでした。
令和の現在、ようやくこの状態の流れを眺めるまでに復活を果たせました。
けれども、
モノとココロの「両輪」でセットとなるこの地・この物理物質次元では、放置されたままになっている「精神性」の成長が急務であることは明らかです。
旧いレイヤーの意識。
それは、隷属化のために誤って刷り込まれた洗脳だったのですから、とっととその枠組みから飛び出すことです。
いつまでも「人の目を氣にし」て、横並び意識で生きている限り、悪臭を放っていたかつてのドブ川と同じ状態に「ココロの中が荒んでいる」こと。
それを「自ら望んで」心の底まで悪臭を放つゴミを溢れ返らせていることだと。
さっさとやめることです。
くだらない人目にどう映るか、といった意識を持つことを。
そして、
他人に対して「これほどまでに自分はよい子ちゃん」だぞ、とアピールするような自己顕示欲をきっぱりと捨て去ることです。
それは、言葉を変えるなら、
これまで正しいと教育されてきた常識を、すっかり完全に捨て去ることでもあります。
ここをしっかりと理解しない限りは、「自分は旧い世界とともに滅亡を選びます」という意志表示をしているのです。
公害に汚染されていた川が、ようやく美しい響きを取り戻しここまで復活したように、
自らの「心の中」を、完璧に浄化する。
もうそんな取り組みをすべき時間は、とっくの昔に過ぎ去っています。
でも、それをやらない限り、永遠に石ころからやり直し人生を続けるだけ。
もちろん、個々人の自由ではあります。
けれど、
モノを捨てて断捨離したから...。いつもわくわくして生きているから...。
せっかく覚醒し始めたはずの成長がこのレベルで止まってしまい、いつまでも過ちを続けている人が心を入れ替え、この国の先人が持ち得た穏やかで暖かい心に変化してゆく勢いを加速するために、ここに綴ります。
美しい川の流れとその響きを。
龍のエネルギーのように。
2025/11/03(Mon) 12:21:01 | photo blog




