良きも悪しきも顔に出る

人の顔。
その人の歴史が刻まれていることが判ります。
そして、現在のその人の魂レベルや精神性さえも表現されているのだと語られます。
年齢とともに変化するのは容易に理解できるでしょう。
けれども、それが醜いほどにまで劣化・悪化するのは、その人の内面が現れている証。
他方、
細胞レベルの変化ではなく、内面から滲み出す美しさを感じる「顔」があるのも、これまた事実です。
見た目で判断してはなりません。
と、これまでの世では教育されてきました。
しかし、見事なまでに「その人の精神性」がそこに描かれていることを知るにつけ、見た目・第一印象として強烈に伝わってくる、その人の「心すべて・人すべて」が判ります。
ここからは、一般論から外れますので、お断りしたうえで続けます。
「顔」。
瞬時に伝わるのは、精神性・内面だと理解できたのであれば、そこに「激しく違和感」を感じる場合は、どう解釈すればよいのでしょう?
ひとつは、自分のその時点での周波数と限りなく「乖離」している場合。
もう一つは、人間ではない存在だろうと感じる「勘」そのものが示す事実です。
前者は説明の必要はないはず。
では、後者はどういうことなのか。
単刀直入に。
これまでは、この場に文字として残すのは極力控えてきました。
けれども、ここまで覚醒が進み、諸外国を初めとする公の場での開示が進んでくれば、もういいでしょう。
人間とされる存在は、多くのクローン(アンドロイド:スマホOSのことではない)がその中に混じっているとされること。むしろその数のほうが多いかもしれないとさえ語られていること。著名人や支配者層は、ほぼ間違いなくその存在があること。
この国でも過去から示されてきた言葉があります。「影武者」。
この言葉なら少しは精神的抵抗感は和らぎますでしょうか。
ええ、もう思考が拒否している様子が想像できます。
そんなものがあるわけない。あり得ない。きみの頭は狂ってる。あんたアホちゃうか。と。
この5,6年間で、どれほどそうした展開・どんでん返しを余儀なくされる体験をしてきたでしょうか。
ことあるごとに、それは「覆され」既存の知識や思考を完全撤回する機会を味わったはずです。
まして、自ら毒を自分の体に入れ、この世での借り物の体を失ってしまう、あるいは取り返しのつかない状態に陥ってしまった人々を目の当たりにして、何も学ばなかったとは言わせません。
(あまりにも失礼がすぎるでしょう、亡くなった人たちに対して。彼らは自分自身の学びでありましたが、この地に残った人たちにも劇的なメッセージを与えてくれたことを忘れてはならないように感じます。)
この事例についても、同様にこれまでの自分の知識と思考回路を完全に逆転させる必要があると思われます。
まだ言い続けますか。
「これだけは違う」「それとこれとは別の問題や」などと...激しく聞き飽きました。もういい。
逆説的な証明になるかもしれません。
見事なまでに内面を表現する顔。その顔に「生命としての鋭氣」が皆無で、且つあり得ないほどに「違和感」が強烈に伝わるのは、まさに人間ではない証明でもあるかと。
今日はここで止めておきます。
まだ免疫ができていない人たちには完全に逆効果だとされる内容を掲げ、ここに自己顕示欲を押し出す意図はありません。
(学生時代から、君の言うことは大体5年から10年早すぎる。早ければええってもんやないんや、と言われ続けてきたことを思い出しています...。
その度に、あぁ自分はこの星由来の存在ではないんやな、と感じたものでした。)
御神木よりも絢爛豪華な祠を選んだ人たち。
こうした人たちにより、この樹木としての生命はこの地から消滅しました。
切り倒されたあと、材木として次のお役を果たしていることを願うばかりです。
もうここに参ることもありません。
ありし日の顔を、ここに残します。
2025/10/10(Fri) 10:22:06 | photo blog




