この圧倒的な氣を浴びる

森林浴、という言葉があります。
近年は聞く機会が減ったようでもありますが。
その言葉が表現するように、まさに「氣」を浴びる。
そこにあるエネルギーを受け取る。
言葉そのものがこの波動を体現していることに氣がつきます。
昨今は、そんな根っこの感覚・根幹の思想そのものが注目されなくなったのでしょうか。
山道をどれだけ短時間で踏破したか。どれだけ数多くのルートをアーカイブしたか。
スマホアプリに数を蓄積しそれをwebに公開する。
そんなアクションばかりが注目されているようにみえます。
同じ感覚を持つ人たちと繋がることそのものは素晴らしいでしょう。
でも、そこに「数を追い求め数を誇る」ような深層心理がないとは言えないように感じるのです。
あくまでも個人的感覚に過ぎませんが、そもそも、公開・共有しなくていいのでは。
ここにある氣を受け取る。
ここに存在する生命の根源から生み出された膨大なパワーを感じる。
それ自体・その体験こそに価値があるはずだと、わたしは考えています。
繰り返します、個人的感覚に過ぎません。
圧倒的な氣を感じると、そこにはとめどなく湧き上がる感謝のエネルギーが生み出されます。
これを「畏敬の念という言靈」で表現する。この国の先人が遺した大きな財産です。
素晴らしい生命存在と、そこに発せられる圧倒的な氣と、それを感じ受け取るこちら側と。
三位一体となった瞬間に、ここに響き合う膨大なエネルギー波動が生み出されます。
この国の宝物に違いない。と確信する瞬間です。
2025/09/23(Tue) 11:39:01 | photo blog



