樹々はともに歩む仲間ではありませんか

道に落下し踏みつけられたあと、強烈な臭氣を放ちます。
人は、その段階になってから初めて彼らの存在に氣がつくのです。
何ごともプロセスがありその過程で学ぶことが多いように感じます。
しっかりと時間をかけて熟成し、美しい果実を実らせます。
それなのに、
途中の過程を見ることなく、落下のあとになってから迷惑ものとして扱うばかり。
あるいは、すでに食用として整えられパックに入ったものを買ってきて口にするだけ。
苦いのか美味しいのか。
それは、彼らの成長過程とその役目に意識を巡らせるからこそ語れること。
忘れ去ってしまったコトの本質を見極める・原点回帰の時間になっています。
すべては生命であり、ともにこの地で生きる存在。
あろうことか、
都市部では、数え切れないほどの数に及ぶ、さまざまな樹々が切り倒されています。
この先もさらに加速してゆくでしょう。
5G電波が届きにくいからでしょうか。
それも大義名分かもしれず、監視カメラ設置が急増している状況を考えればその理由は容易に理解できましょう。
まして、私企業レベルの設置カメラに自治体から補助金を出すなど狂っているとしか思えません。カネがもらえるなら...などとそこに乗っかる企業の姿をみれば、なるほど「人の顔」をしていないはずです。
樹々はともに歩む仲間だと再認識する必要があります。
まして、
山林山谷を切り拓きソーラーパネルを設置したことで、いま何が起きているでしょうか?
表向きはCo2の削減などと綺麗ごとを並べます。けれど、Co2を取り入れ光合成サイクルを形作る植物存在が激減することで、Co2削減どころかそれを処理する彼らが居なくなります。
結果として増加傾向に転じてしまうのではないでしょうか。
小学生でも展開できる思考レベルかと感じます。もちろん物ごと一方方向からだけでは論じられないことは承知の上で。
あぁ、なるほどそれで温暖化に結びつける算段。両方セットで仕組んでくるやり方ですか。ええ、勉強しました。
「生きている。」
その言葉の意味をよく考える時を迎えています。
この国の先人が大切に培ってきた、森羅万象・自然と共生する心。
大切にしたい、と、そう思う心がその現実を生み出す原動力として見えない波動となってゆきます。
やめろ!と叫ぶ以外にできることは、
心地よく、目の前に存在する彼ら・もちろん同じ種、同じ植物だけでなくすべての生命に感謝の波動を送ることかもしれません。
それが時差を経て、望む風景を創り出してゆきます。
このようにして、旧来のレイヤーから脱出し同時に近未来を創造してゆきます。
2025/09/09(Tue) 12:20:26 | photo blog



