不要なものと必要なもの

この先に必要ないものを手放す。
これまでに物理的にモノを処分し掃除してきました。
でも、
心が一向に綺麗になっていないのではありませんか。
なぜなら、捨てるはずのゴミに波長が合致したままだから。
心とはそういう性質のもの。
心とは自らの存在エネルギーそのものだと、理解できていない時点で無理でしょう。
定例・定置でここの生命に挨拶します。
満足に陽が当たらない環境と思われるものの、その場所でしっかりと命を繋いでいます。
前回は昨2024年の9月。
いまの季節、葉振りも夏らしく。
【参考】
「何を想う・果たすべき責任」2024/09/03[Link]
定置定例観察は、生き物の成長や生きざまがストレートに見えるので欠かさず続けたいと思っています。
相変わらず、通り過ぎる人たちは目もくれず。
心に合致しないものは、その人にとっては存在していないのと同じ。
周波数が異なれば、そこには決して顕現化しない。量子力学そのもの。
他方、見て・聞いて、感じるものは、そのまま心にシンクロしその周波数そのエネルギーを拡大します。
いつになったら分かるんだ!
と思えば・言えば、
そのエネルギーを自分自身が生み出し続ける仕組み。
だから離れる。
だから意識を合わせない。
これを見て見ぬ振りをしている。と解釈するのさえも自由。
それが身魂相応。
自分の維持する波長以外のものは理解できないわけですから。
心の中が一向に綺麗に掃除できないのは、掃除しようとしていないから。
でも、当人にとっては掃除しようとしていない、のではなく、モノを捨てただけで終わってしまっているのでしょう。それで終わり。
心が合致しているエネルギーの波長・波動こそが、無限に生み出し続ける根源であることに理解が及ばないのです。
これが身魂相応。
自分に必要ない周波数を「維持し続ける人」は、この先には「自分にとっては不要」だということ。
それは同じ周波数は響き合い、異なる周波数は共振・共鳴しないという単純な物理法則そのもの。
不要なものと必要なものと。
ひとそれぞれ。
それぞれの地に相応しい周波数しかこの先には残らない仕組み。
不要な波長は自然と消滅してゆきます。
美しい生命には美しいと伝え、この先もともに歩みますと伝えます。
しっかりと自分らしく生きる存在へ。
ノイズに触れ続け踊らされることなく。
感謝とともに。
2025/07/21(Mon) 12:11:57 | photo blog



