定点・定置・定例だからこそ見極められる

決まったことしかできない。
それを批判し、流動的に・臨機応変に。と語られてきました。
ごもっとも。
けれども、決まった場所、決まった位置、決まったところから観察を続けていますと、
そこには、季節によって日によって時間によって、これほどまでに多彩かと感じるエネルギーが満ち、その変化の大きさに驚きます。
力強いだけではなく、時には緩やかにそして穏やかに。
同じことをやる・続けることそのものが良くないのではなくて、
進歩や成長が叶わないところに問題があるのであって、同じである・続ける、そのことそれ自体には害はないのだと。
この「変化」や「差」を感じる感覚は、まさしく両極に存在していることが判ります。
変わらない、いつも同じ、そう感じるのが「物質的観点」でのいわば左脳的とでもいう感覚でしょうか。
ところが、
変わらず、いつも同じ、そのシチュエーションであってもそこにあるエネルギーの差や変化を感じ取るのは「精神性」の観点で右脳的かもしれません。
何でも、一つの観点からの考察はよくない。多種多様であるべきだ、と語られます。
でも、そこに異なるエネルギーの波長を見出せるのなら、むしろ、定点だから・定置観察だからこそ定規が一定で、その差異がはっきりと認識できるのだという考え方もあります。
流動的に、とは、
この「観点に変化をつける」ことを教えてくれていたのだと知り得ます。何でも、よいかよくないか。その発想そのものが根底から覆ります。
同じような発想と認識のパラダイムシフトを、いまここで経験しています。
次の世に向けて。
次の世を切り拓くために。
2025/06/26(Thu) 16:15:16 | photo blog