「優秀」だとか「上等」の持つ言靈

この国の言葉には言靈が宿る。
聞き飽きたかもしれません。
このところ大きな違和感を感じる言葉が増えました。
それは、
その言靈との波長が合っていない証明でもあります。
まず前提として、波長が合うか合わないかは、正しいか正しくないかではないこと。
良いかよくないか、もまったく関係がないことを大前提として理解しておく必要があります。
「優秀」というワード。
「上等」というワード。
周囲でよく耳にする機会が増えています。
けれど、そのワードからは、あまり「心地よい感覚」を感じることがありません。
これが違和感。
もちろん個人的感覚に過ぎない、とお断りをして続けます。
優秀。上等。
どちらも、いかにも教師・教職立場(洗脳のための媒介人)からの視点だと感じること。
優秀、と語るのは、一見褒め言葉のように見えますが、優秀ではないものとの比較論がそこにあるように感じます。
上等、と口にするのも、同じように称賛の言葉のように聞こえますが、上等ではないものとの比較によって差別化することで褒める手法になっていることを感じます。
ここに違和感を生じるのは、
教職的立場から人を評価する感触が、ストレートに伝わってくる点であろうかと思われます。
いずれも、人を優劣によって選別する判定人という立場そのものに対する違和感だと思っています。
ある意味では、そうしたムズムズ感としての違和感が判別できるようになったのは喜ばしいことでもあります。
繰り返します。個人的感覚に過ぎません。
けれど、
同じように褒めるのならば、
優秀ではなく「素晴らしい」だとか、上等ではなく「立派」だとか。
たとえば、そのように別のワードもいくらでもあるように感じることが多い状況です。
まさに言靈。
ひとつ一つの言葉がエネルギー存在そのものだと学びました。
であるならば、より望ましくより心地よい性質を持った周波数を維持したいもの。
これが選択。
これこそが意志表示だと感じます。
2025/06/14(Sat) 12:18:47 | photo blog



