彼らにとってはそれが必要だったから

何にフォーカスするのか。
聞き飽きたことかと思われます。
写真の場合には、どこにピントがきているかによってその表現が決まります。
もちろん、正解はありません。
どこに持って来ようと、それが表現者の意図である限りは。
同じように、
この地・この世に存在する「どの周波数・どのエネルギー」に合わせるのかは、個々人の自由。そこに間違いは存在しません。
但し、それが自分にとって本当の意味で正解か、あるいはこの先に必要であるかどうか。
それは、
結果が出るまで理解できないところが、この地が極めて難易度の高い学習教室とされる所以でしょう。
その先の結果を予見する、あるいは「遠い昔・遠い地でその選択はよくない結果を導くと体験済み」の場合には、その直感が指し示す「違和感」に従い、道を変更するのが「あとで泣きを見ない」この地独特の処世術でもあります。
自らそのセンサーに蓋をし、自ら台無しにし、自ら旧いレイヤーの隷属化仕様に合わせると何が起きるのか。
この5年間で十分に理解したはず。
多くの失敗事例を目の当たりにして、何を学んだのでしょう。
お借りした体さえも失った彼らは、今になって後から後悔しても体は決して元には戻りません。
併せて、
この地で人間の立場まで与えていただいておきながら、その役目を果たせなかったマイナスポイントも山のように溜め込んで。
借金はまさに永遠に続き、苦しみ続けます。なんと変わった趣味でしょうか。
この地は、物質次元、物質世界なので、モノとして形質形状を現したものは絶対に元に戻りません。
頭で理解しても、結局は体験しないと学び得ない。
いかに地球人は...と感じるところかと。
彼らにとっては、それが必要だったから。
水戸黄門の印籠のように、その一言で「片付ける」のは簡単です。
けれども、
その波動が周囲や、あるいは他の生命・生態系など数えきれない対象へ及ぼす影響まで考えていない(考えられない)ところが、いかにも未熟な地球人らしい。
同じ地球人として恥ずかしいと感じること然り。
いつまでも勧善懲悪ドラマの主人公氣取りで浮かれている限り、永久に幼稚園児以前の再教育を受け続けるのみです。
彼らにとっては、それが必要だったから。と。
2025/06/12(Thu) 15:47:26 | photo blog