選択の意味を間違えない

選択。
その言葉、聞き飽きましたでしょうか。
そこに何かが元から存在し、どれか一つを選ぶ。
そんなイメージだとすると、旧いレイヤーの上で燻っているだけかもしれません。
あくまでも私見とお断りした上で続けます。
選択の前には「何も存在していない」。
では、
何もないのにどうやって選ぶんだ?となるでしょう。
選ぶものを自分で創り出す。
これが答えでしょうか。
で、
何も「無い」状態が、身の回りを見渡しても、こころの中も頭の中も、どこにも「無い」のです。
溢れまくっています。まったく必要ないノイズが。
現在もこの先にも一切必要のないもの、それがノイズではないかと。
ですので、結論から言えば「多くのノイズの中から別のノイズ」を選ばされる。
いえ、自分の意思で選んでしまうのです。これが現状かと。
言い換えれば、ノイズ「ではないもの」を選べないようになってしまっている。
そして、それがノイズであることも認識できないほどに「感覚:センサー」を麻痺させられてきた歴史。
もういいでしょう。
昨日の記事のように、もういい、だとか言うのはダメな発想だ。もっと苦しんで学べ!それが精神的に成長するためのプロセスだ!などと仰るのはその道のビジネス。完全スルーするだけです。
そうやって、いつまでも奇妙な宗教に足を掬われてしまうのです。
学び終えたものは、もういい。
中学校に行くのに、小学校の掛け算や割り算の教科書をやり直す必要はありません。
ええ、もう一度やりたいのならそれはご自身の自由です。でもそれは自己顕示欲でしょ。俺はスゲーぞ。何でも知ってるんだぜ。これをやりたいだけ。
脱線しまくるので戻します。
何もないところ。これをまず作る必要があります。ノイズのない土台を、です。
だからオールドメディアから離れましたでしょう。だからオールドインフルエンサーから離れたはずです。
そして静かに穏やかに空間を感じる間を持つように努力してきたはず。
ここに来てようやく望ましいもの=ノイズではないものが初めて生み出せるようになります。
描きます。そして抱きます。
この先の風景を、です。
その中に「選択肢」があることに、ここでやっと氣づきます。
その選択肢の中から、より望ましいもの・コトを選んでゆきます。
これが本来の選択。
自ら生み出すものの中から、より望ましいものを選ぶ。
それが選択。
そして、さらに望ましいものを描き続け、抱き続け、生み出し続け、その度に選択を繰り返す。
これが成長の原動力。
記事の総括段階に及んでぶち壊す意図はありませんが、
ゴミとして捨てたものの中から、どれが必要かな...などと再び選びなおすのは選択ではありません。
不要なものは不要。それがノイズ。一旦捨てたのでしょ?
ノイズの中からノイズを選んでも、ゴミ漁りをしているだけだと氣づくことが必要でしょう。
(ここで言うゴミとは、隠されてきた悪事や黒幕歴史を知れと、いつまでもその手放すべきエネルギーを焚き続ける行為を指します。)
選択は、望ましいもの・望ましいエネルギーの中から選ぶ。
もちろん目の前にはノイズしか見えないので、前段階・前処理段階でノイズをゴミ箱に放り込むことは必要です。
そのあと。そこからが本番。
ゴミ漁りをすることは選択ではないのだと。
選択の意味を間違えない。
いつまで、知れよ!目覚めよ!と叫び続けますか?
いつまで、悪よ滅べ”と罵りますか?
いつまで、ノイズの中で踊り騒ぎ続けますか?
2025/06/04(Wed) 11:12:57 | photo blog