体調不良と生命としての振動周波数

体調不良を訴える人たちが急増している様子を感じます。
それは、もしかすると「生命としての自分の周波数」に対して違和感を感じているのかもしれません。
(今日の記事では、4年前に自分から体に毒を取り込んだことによる不具合に関しては横に置き考慮せず進めます。)
---具合が悪いから医者へ。
---調子がよくないから病院へ。
などと安易に走ってしまう姿があります。人それぞれ、その人の自由です。
当然、放置して状況が悪化することもあるでしょうが、それはその人の選択なので誰も口を挟む余地はありません。
けれど、
「有料屠殺場」とさえ揶揄される現代の医療業界に、自分から飛び込んで、尚且つ少なくない費用を投じて、さらには石油利権の塊である魔法の粉(錠剤や液体もあるでしょう)を、何の疑いもなく自らの体に放り込む。
この数年の間に世の裏側で行われてきたことを、なぁ〜にも知らない。いえ、正確には「知ろうとしない」。
それもその人たちの選択なので、もはや触れる必要もなく放置するのみです。
ここで氣がつくこと。
それは、
自分の波動が落ちると不快感を感じるケースが極めて多いという事実。
反対に、その波動が上がれば心地よさと安堵感、満足感が高まるという体感。誰しも経験しているはずです。
まさに心のセンサーとともに、肉体の振動周波数に対しても、同じように極めてデリケートな波動の違いを感じ取るセンサーがあることが判ります。
ところが、
ここでまたまた大きな過ちを繰り返します。
わたしを狙ってネガティブ存在が攻撃しているんだ、などと。
はい、もちろんそれはあるかもしれません。いえ実際にあるでしょう。経験もあります。
でも、
この場合には、極端に強い負の念に囚われるので、逃げられない:まるで手足を含め五感すべてを塞がれたかのような苦しみがあります。
怨念といったような言葉で表現されるものでしょうか。詳しくないのでいい加減なことは言えませんが、生き霊ともされる「他の人・生命から放たれた負の念」は、初めに記した「周波数が異なることによる違和感」とは、まったく異なる感覚だということが理解できます。
同じ不快感・負のエネルギーであっても、まだマシな負なのか、極限まで真っ黒な負なのか。
例えるなら、それほどの差があることがわかります。
これらをごちゃ混ぜにして、よくない存在に狙われている・襲われている...等々、これはどうなのか、と感じる事例が意外と多いように見えます。
多くの場合、自らの波動が大きく下がっていることによる不快感に過ぎないケース。かもしれません。
もちろん、この地で体を持つ人間ですので、さまざまな要因で周波数が低下することなど日常茶飯事だと理解できていれば恐れることはないはず。
喜ぶべきことかもしれません。
そうした不快感を感じられるところにまで精神面の成長が実現したのだと。
寝食を惜しんで馬車馬のごとく走り続けることで、病床に伏すまでその違和感をスルーし続けた、あるいは感じられなかった時代がありました。
しかし、いまならば、激しく大きな違和感がシグナルを発し、緊急停止するであろうことが予想できるからです。
すべての生命そして物質さえも、固有の振動周波数により生存・存在している。
その周波数の乱れにより、病にもなり不具合も生じる。
逆に言えば、その周波数をうまく採り入れ活用するのなら、そうした災いとは無縁になるのだと。
その言葉の本質を知る時代に入りました。
2025/03/25(Tue) 20:06:03 | photo blog