目と耳をいたわる

視覚は最大の情報入力手段だとされます。
人間の場合には8割を超え、そしてその次に影響が大きいのは聴覚だと。
しかも、これらは相互作用により感情を「衝き動かす」ために、さらに多大な影響を受けていること(ほぼ乗っ取られているレベル)、体感と経験から十分に理解できるものと思われます。
何を見るのか。
何に意識を合わせるのか。
その場の空氣感を感じようとしてみるならば、周囲に響く音までも美しく共鳴します。
そよ風に揺れる樹々のさま、小鳥のさえずり。
視覚と聴覚を占有される、隷属化と洗脳目的のオールドメディアから離れたあとは、同じくSNSからも距離を取り離れます。
それは、
わたしたちが維持するエネルギー体としての波動を著しく乱すから。
結局は、言論統制があろうが無かろうが、種々メディアから離れられない時点で、立派に洗脳され囚われていること。まさに中毒症状かもしれません。
故意に仕組まれ、意図的に意識を占有する情報など無くても生きてゆけます。
いえ、むしろそれが健全で本来の姿ではないかと。
自分は情報に撹乱されるようなビギナーではない、と宣う人ほど、結果として乗っ取られていることに氣づきません。
こうして、何が必要か不要か。
何を正しいと認識するか、あるいはそうでないか。
こうした体験によって、ここ・この世が玉石混交の状況における学びの地だったことに理解が及びます。
そのための学校・地球だと認識できていれば、何も叫び騒ぐ必要など一切不要であり、百害あって一利なしだと判るはずです。
フォーカスすべきは、
より一層の成長には何が必要か。どうすれば更なる拡大が叶うのかを意識し、それを実践することでしょう。
心地よい周波数を維持すれば、
心地よい現実が顕現化してゆきます。
これ以上に何を語る必要がありましょうか。
わたしたちは、自らの心によって自らの道・現実を創造する能力を持っています。
いえ、それが本来の姿であったこと。
ここまで思い出せたのなら、ノイズから離れ、心地よい周波数に合わせてゆきます。
何を見ていますか。
何を聴いていますか。
目と耳を労れば、その先の現実が変化してゆきます。
2025/03/16(Sun) 09:37:32 | photo blog