それを表現というのでは

自分にできること。
自分ができること。
叫ぶこと?でしょうか。
隊列に加わって行進すること?
語ること?でしょうか。
あるいは、書き綴ることでしょうか。
言論統制が現実になった、この国は狂ってる!
と叫ぶことが役目でしょうか。
それは、その周波数を維持する人たちが作り出した現実という名の結晶物、マトリックスに表出した物質次元。
時間差を経て、想念・思念が顕現化するのです。
自分で作ったのだから文句は言えないでしょう。いつになれば大人へと成長できるのでしょうか。
その周波数を維持する限り、永遠にその現実を作り続けます。ご自身が、です。
因果応報。
しかも、同一の周波数はシンクロし共振する物理法則まで。
それが仕組み。
で、キミもこの国の人間やろがぁ!
と返す人は、もうこの場でご縁のある方々の中には存在しないはずです。
この国の人間かどうか。
その観点は、この先に創り上げる自分が望み選ぶ道と、何ら関連はありません。
国民・所属という旧いレイヤーの隷属化の枠組みでしかありません。
自分でその牢屋の中に居続ける必要などまったくありません。ここはVRゲームセンターだと理解したのではなかったのですか。
ひとそれぞれ、一人づつのオーダーメイドな近未来。
これを「自分自身で創り出せる」のです。いつになれば学び体得するのでしょう。
ここまで精神性を拡大し、学び、辿り着いたのであれば、
何も憂う必要などまったくありませんし、もっと言えば、そんなプラットフォームに頼らずとも自己表現は如何様にも可能でしょう。
近視眼的な視野しか持たず、負のエネルギーをいつまでも焚き続けるのは幼稚性丸出しだ、と知ることです。
こうして「望ましい・願う」道を創り出すエネルギーを維持し拡大する。
これこそを「表現」と言うのではないでしょうか。
美しく表現する仲間の姿を見て、恥ずかしいと思いませんか。
2025/03/15(Sat) 11:03:08 | photo blog