ニセモノを見極めるための世

何が正しいか。
どれが誤りか。
その判断は、人それぞれ。
そして、その違いを論議し成長する。
そのための地。そのためのこの世の教材。
ところが、その違いを「対立へ仕立て上げる」のがこの地を征服したい支配者層の目論見。
成長のための材料、学びのための二極化世界なのですから、それを否定していては成長は叶いません。
けれど、氣づかないように逆手に取られ、落とし穴に嵌められているわけ。
何でも「対立はダメ」だ。
と、その全否定か全肯定かの構図そのものが駄目なのであって、それぞれを尊重し離れればそれでよし。
忘れてはなりません、この大原則。
周波数が異なる存在は決して響き合わないのですから、違いを認めればそれで終了。
そして、必要ない周波数に無理をして合わせようとするのはこの先に望まない結果を生むことになる法則まで知ったのなら。
---無理にでも合わせようとするから成長するんだ...。
---みんなひとつなんだ。
---否定する二元性は幼稚な発想だ。スピっている奴ほど否定する。
だとか。
結局は「おてて繋いでみんな一等賞」に行きつくように仕組まれています。
なんともお見事にハメられていますよ。ということなのですが。
で、ここでわたしがこの構図に触れるのも、結局はその波動にシンクロするのでよくないとも言えます。理解できています。
ではどうして書くのか?です。
ニセモノを見極めるための、玉石混交な世であることを、うわべだけでしか理解しない人が多数存在し、見事に落とし穴にハマり続けているさまが見えるから。
ここまで書けば、腐り切ったセンサーが少しでも回復した人ならば、自己治癒能力や免疫の強化によって本来の姿を取り戻してゆくに違いありません。
指先の切り傷が時間をかけて治ってゆくように。
これでお役は終わり。だと感じています。
何より、この地でこの体を使わせていただける期限終了までが既に射程距離に入っている以上、いつまでも「そうだねそうだね、痛いね、辛いね、一緒に悲しみましょう。」そんな波動に合わせ、最下層から一緒に再度の学び直しする時間は、今生のわたしには残されていません。
ニセモノを見極め、個々人で魂を磨き・精神的成長を実現し続ける。
それこそが、この世で体をお借りして行うミッションですから。
2025/03/13(Thu) 11:07:29 | photo blog