続ける・やめるその判断

人間は、居心地のよい場所(こと)から動きたくない。
それは、この先いずれ生命の危険に晒される場所(こと)であっても。
まさにコンフォートゾーン。
そして、危険が迫ったその瞬間に至ってから逃げることを考える。
しかし、その時点ではことすでに遅し。
卒業後、企業に在籍した瞬間に「この激しい違和感」を感じたものです。
寝かせる、だとか熟成させる、という言葉に包んで問題を先送りする。もちろんそのメリットを感じたことも幾度となくありますが。
居心地のよいほうを選択する悪しき癖。
そりゃ電卓片手に(昭和はそうでした)PC画面と睨めっこ(平成初期からこのように変化)残業するよりは、冷たいビールや熱燗とアテを口にするほうが、何倍も心地よいこと、否定できないでしょう。
さらには、立場がそう語らせるのか「やるべきことはきっちりやるのが平社員の役目」だと上司は宣う。
毎晩、残業時間になれば電話で呼び出される部下は、いつ山積した作業をやればよい?のか。
結局、明け方まで作業をするので、日中は事故多発。
結果、体が音を上げる。
違和感を感じ取るはずの心のセンサーも、毒に近いよろしくない食べ物を口にし続けるので、まずもってその貴重なアドバイザーの声が届かなくなります。
わたしの場合には、鉄の胃袋も鋼の大腸も持ち合わせいなかったのが幸いでした。
逃げ出す、という判断へのショートカットが作成され、それを数回選択することを繰り返しました。
最後は、危ない一線を超える寸前だったこと、幾度となくこの場にも綴りました通りです。
見事に嵌められています。
いえ、それは就業時間のあとに電話で飲み屋へ呼び出す上司のことではなく、よくないものを口にするように世を仕組み、心のセンサーが麻痺するように過剰な労働を強いる社会を作り、支配者層への富の一極集中を実現する資本主義という名の監獄。
まさに松果体が腐ってしまって、直感も勘も一切利かなくなります。
こうして隷属化の世の中が作られてきたこと。
しかし、
そこに「まんまと乗っかってゆく」のは、自分の判断と自分の選択であることを忘れてはなりません。
誇らしく虹色の丸いバッジを胸に掲げたグローバル企業の社員。無知とはいえ恥ずかしげもなく、よくまぁやり続けられること。
さようなら。これまでお世話になりました。
知らなかった。
ええ、それが身魂相応。
けれども、それを選択しない道があることを学びました。この地のこのサイクルが終わる寸前、滑り込みセーフだったでしょうか。
続けるのかやめるのか。
それは自分だけにしかできない選択。
そして今、悪しき世が終わります。
新たな世を創り上げるのは自らの心の波動によって。
ここまで学べば、あとは実践のみ。
コンフォートゾーンに居続けますか、それともやめて新しい世を生み出して行きますか。
誰に教えられずとも、誰に指導されずとも、常に美しくその姿を披露し、次への世代をつなぐ。
美しい生命とともに歩む道を。
2025/02/06(Thu) 11:58:22 | photo blog