新たな年を祝う

新年の挨拶は、もう一ヶ月前に終わったでしょう?
いまさら新年を祝う?
それは旧正月のこと?
節分を越えれば確かに新年という認識だけれど...。
と、矢継ぎ早に頭の中で言葉が走り回ったかもしれません。
暦は確かに重要な道具であって蔑ろにはできません。
けれども、この地の時計とカレンダーは大変流動的であることを体感したならば、もはや10Nineや15Nine(小数点以下の桁数)だとか語られる極限にまで精度を高めた原子原器時計が何の価値も持たないことを知ります。
この地においてはこの地に生きる生命・生物が持つ時計が最も正確であること。疑いがないものと思われます。
尤も、彼らもここ数年の大転換期のエネルギー変移によりかなり混乱している様子が見て取れます。
しかし、
これとて、過去の定規でしか観察しない(できない思考の)人間の驕りであることを理解するならば、やはり彼らの時計こそが最高の暦であることが判ります。
すでに人間を除く大多数の生命が、旧いレイヤーを卒業していると伝えられています。
世の中の悪事を知れ!某大統領こそ救世主だ!などと、いつまでもVRゲームセンターで騒ぎ続ける人間には目もくれず、着々と新年の生活を進めていることを知る必要があるでしょう。
節分を越え新たに年を刻みます。
日々新たな風を感じながら春に向かいます。
こうした大自然とそこに息づく生命との一体感を感じられる「この国ネイティブの人間」だからこそ、その感覚を大切にし、心からその稀有な体験に感謝を奉ることができるはずです。
この感覚とこの心の波動こそが、新しい年(=次の世)に相応しいエネルギーであると理解できているのなら、取るに足りないノイズに塗れた映画を上映する映画館に居残りし続ける愚を重ねませんよう。
現界・現文明最後のタイミングを狙ってこの国に転生した魂である以上、その波動を生み出す役目が一人ひとりに課せられていると理解しています。
2025/02/04(Tue) 11:57:09 | photo blog