モノを捨てるのも確かにひとつの方法ではありますが
「浄化。」
この言葉を、多くの方々が語るようになりました。
その言葉の通り、多くの人たちが実践するようになりました。
よい方向に進んでいることがわかります。
台風を上陸させてしまうような力を自分から生み出したり、地震を自分自身で強大に増幅してしまう力を生み出してしまう、だとか。
もう、そんな負のエネルギーに同化し油を注ぐような行動(それは心に抱く恐怖に根ざした負の念を生み出す力)をする人たちが減少した証として、現実という風景がそれを証明するようになってきました。
負の念を溜め込んだモノを整理するのは一つの手段に違いありません。
断捨離はひとつの方法であることを否定するものではありません。
けれど、
それはまず取っ掛かりのステップであり、その先・その後に取り組む大切なことが残っているのだと再度確認したく。
モノを捨てたから。
不要物を手放したから。
それで終わり...ではないのです。
心の手綱(たずな)を自由自在に操ることができるように。
不要で望まない、故意に仕組まれたエネルギーにフォーカスし、強力な磁石に吸い寄せられたかの如くそのまま離れられなくなることのないように。
心の波動を上げる。
とは、どういう意味だったでしょうか?
わくわくすること?
ええ、それは客観視点では、高い波動を維持しましょうという意味で間違ってはいません。
けれど、イライラを溜め込んだまま、それを見て見ぬふりをし蓋をして、わくわくしましょう。ではないはずなのです。
ここ。間違った方向に進むと、そのエネルギーは他人にすぐ伝わります。
---嫌なことばかり起きるんだけど、わくわくして待ちましょう。
---嫌いなこと嫌なことが山積してるけど、わくわくして乗り越えましょう。
ってな波動は、見事にバレます。
ここが変だよ。というのです。盛大に違和感が伝わってきます。
モノの感覚から心の感覚への移行ができていません。
first stepを終えていないのに、second stepへゆくことはできません。
嫌なことばかりが起きるのは、それが起きるべくして起きるようなエネルギーを初めに自分が生み出したから。
あるいは、過去因果を解消するためにニュートラルに戻そうとして発生している。その仕組みを知ることが不可欠でしょう。
ここを理解したのなら、
「負のエネルギーを解消してくれてありがとう」という感謝に至るはずなのです。
嫌なことばかりあるけど、わくわく「しなければならない」から、と、蓋をしてしまい放置していては、いつまでも解消できないわけで。
心の世界を語っているかに見えて、実は、目の前に現実化、結晶化・物質化したモノに対しては放置したまま。
(物質化したモノは過去想念の生成物・結果だから放置しておけばよい、との論説もありますが、それは望ましくないエネルギーにフォーカスする愚を戒めたものであり、この地球をゴミの山にし取り返しのつかない状態に近いところまで追い込んでしまった責任はわたしたち人間にあり、わたしたち自身にしか浄化できないことを忘れてはなりません。少なくともゴミ屋敷にした限りは、その清掃の責任を取らなければなりません。)
まずは、そこから。
だから、断捨離はその第一歩であり、正しいスタートではあります。
この次には、
上記のように、負のエネルギーを解消してくれてありがとう、の感謝の心に到達できるかどうか。
そして、
幸せとは、そう感じる心の状態である。という大原則で語られるそのままに「心のありよう」を自ら高めてゆくこと。
高めてゆければ、自然とわくわくしますし、自動的に感謝が溢れ出します。
このようにして、負の念を、心の中から追い出してゆきます。
モノを捨てるだけでは次のステップへは進めないのです。
それが、浄化の本質ではないかなと感じるわけです。
2024/12/07(Sat) 20:33:16 | New Age