客観的視点の欠如がもたらす道の選択誤り
客観的視点とは何でしょうか?
インフルエンサーが言うから間違いない?
SNSで支持されているから正しい?
テレビが言うから正しいに決まっている。といった洗脳の歴史がありました。いま、ようやくそのレベルだけは何とか卒業できた人たち。
けれど、テレビから次の媒体であるwebやSNSに置き換わっただけ。
いつまでも同じ過ちを繰り返します。
---次期米国大統領が決まったから世の中良くなるに決まっている。
---x.comでgrayのバッジがついているからホンモノの発言に決まっている。
---聖書はこれまで100パーセント正しかったのだから必ずその通りに起きるに決まっている。
同じ構図ではないでしょうか。
これらに共通するのは「客観的視点の欠如」と「自らの勘を信じるためのセンサー磨きの怠り」です。
grayのバッジ表示などプラットフォーム側でコントロールするのは朝飯前でしょう。
5年前のtwitter時代にヘッダー画像が黒いから処刑された、だとかブルーだから逮捕された。だとか。
同じレベルかと。
この数年間、まったく成長できなかったのですね。
よくまぁ恥ずかしげもなく、いまだに叫び続ける人の多いこと。それをネタに商売をするひとたち。
結局のところ、カネを握りしめて手放せないことを自ら露呈しています。
いま、目の前に展開する姿。これは個々人の精神性・成熟性レベルが如実に現れるリトマス試験紙。
もちろん、わたし自身も。
過去アーカイブは、もはや自分で見ることができないレベルの未熟さ・恥ずかしさでありながら、すべてを残してあります。
同じ階段を歩みはじめた人にお役に立てるなら。
そして、そこから現在に至るまでの成長過程の記録でもあるから。
勘を信じるためには、そのセンサーが間違いなく働くためのメンテを怠らないことが必要です。
それは、口にするものふたつがキーポイントでした。もう語る必要はないものと思います。
そして、
勘に響くものであっても「そこに違和感がある」のなら、やはり一歩立ち止まる必要があるでしょう。
違和感こそが、天からの啓示。
巧妙に仕組まれた詐欺にひっからないようにする自衛策だと思うわけです。
この世の中、目の前に展開する詐欺電話・詐欺メッセージと同じ。
詐欺がまずありき、というと語弊がありますが、そのレベルだと認識する必要がありましょう。
子供の頃には、そんなことは習いませんでした。
むしろ「無闇に人を疑うのはダメですよ」と教えられました。
けれど、
その清い心を「逆手にとって」詐欺を働く存在が大半だと知るのは、防衛策のひとつ:処世術でもあります。
白馬の王子様も救世主も現れません。
というのは、そういった存在を待つだけの他力本願ではなく、自らの心から望ましいエネルギーを生み出し、この世に顕現化させることを学ぶ必要があるからです。
けれど、
世の大半が特定の分厚い書物(それも偶像崇拝とカネ儲けのために改竄され重要部分を削除された洗脳媒体)を信用し切っている限りは、その元の元を記した他星系高次存在の預言(予言=当てモンではない)を、わたしたち地球人が顕現化させてゆく可能性が高いことを知る必要があります。
白馬に乗ったキリストが再臨する。ラクダに乗った数え切れないお供を携えて。
そう信じ切った地球人がこの地の大半であるならば、このわたしたちの集合意識がそれを顕現化させるであろうことにまで意識を巡らせる必要があります。ここはVR体験実験場だからです。
ただし、
ここで必要なことは、客観的視点と勘に響く感覚、そしてそこに違和感がどのように表出しているのか。という観点。
(これらを総合的に判断できる明晰さを持ち合わせているのなら、それは他星系存在との面会の場となろうことを示している点にまで理解が届くはず。)
少なくとも、その分厚い書物を信じるのなら、終末期において「反」キリストがどういう立ち回りをするのか。
如何にも巧妙に仕組まれた落とし穴があることがそこに綴られている点に、違和感を感じずスルーするのは何故なのか、です。
救世主と崇める存在こそが、その存在として、大半の者たちを惑わせる。
いずれ彼もまた硫黄の海で処刑されると記されていること。そこまで読み込んでいながら、都合の悪いことだけは見て見ぬふり。
そして、わくわくして待ちましょう。などと。ただのイタイ人。
なるほど、御霊・身魂相応という言葉はこのためにあるのかと。
ここに客観的視点と、勘という自らのセンサーが指し示す強度、加えて違和感として伝え降ろされる天からの道標(みちしるべ)。
これらを総合的に咀嚼し、自らの判断という決定事項を心に描く責任があるはずなのです。
客観的視点の欠如がもたらすものは、自らがこの先に進む道を決定的に変えてしまいます。
すでにビギナー編では過ちをしなかったはずの人たち。
最後の最後で「一瞬でスタートに戻ってしまったゲーム」と同じく、その先の展開は初めから正反対の道を選択したことになりましょう。
客観的視点の欠如は、望んでいなかったはずの真逆のゴールへと、いとも簡単に送られてしまいます。
それがご自身の選択である以上は、その通りに現実となってゆきます。
2024/11/29(Fri) 15:43:26 | New Age