飼育係の小学生
わたしの小学生時代の姿は、何度もここに記してきましたのでご存知の方々も多いでしょう。
学級委員・委員長、代表委員会、学年代表...と、それも体験したからこそ語れる学びだったかと。
その6年間の中で、とりわけ「毛色の異なる」経験をしたこと。
個人的感覚に過ぎませんが、わたしにとっては、図書係と飼育係が別格の存在でした。
ああ、代表だとか学級委員だとかは宮本にさせておけ。
そんな雰囲気が知らぬ間に出来上がっていたことに加え、自分もそのよいこちゃん路線を突っ走って、アタマ撫で撫で...な、成績優秀生を作り上げることが正しい道だと、大きな過ちを重ねた時代です。
その時代・その当事者時期には、決してそれを客観視できないこと。
後に時間を経てから、その意味が理解できることを知ります。
いわゆる「係」を決める機会に。
飼育係に取り組もうと考えたことがありました。
なぜか、それは成績優秀路線とはまったく異なる存在感を放っていたのでした。
自分が取り組む係ではない?そのように感じた瞬間さえもありました。
けれど、この感覚が天から導かれている感覚だと知るのは、42歳の病床で横になるまで一切氣がつかない鈍りまくった半生を流してしまったことも無駄ではなかったのだろうと。いまにして思えば。
動物って生き物だぞ。
その大前提さえも忘れ去るような「成績優秀路線」を突っ走る当時の自分には、新鮮かつ大きな氣づきを与えてくれたその飼育係でした。
真冬の北風が通り抜ける金網の中で。
寒さに震えるうさぎの姿を、それまで「一度たりとも意識したことがなかった」こと。
飼育係って、糞尿の掃除や餌やりをするんだろ?ってな感覚しか持っていなかった自分の心に突然大きな穴が開き、そこに冷たい北風が通り抜ける感覚を受けたように記憶しています。
高架下(鉄道路線の高架化が進むにつれ、高架下が商店街になる時代でした。)の豆腐店に行き、味のついていない「おから」を貰うようになりました。定期的になるに従い、お店の人たちも好意的に取り分けして準備していただくようになりました。
別の食べ物がいいのでは?と考え、野菜・八百屋では葉野菜の剥いだ部分を貰って、うさぎ小屋に持ち込んだり。
一学期間の任期終了後も、暇を見つけては、食べ物を運んだことを覚えています。
物質至上主義・唯物主義。
そして貨幣経済をいつまでも追求し、数の最大化と右肩上がりの成長を追いかける世が「支配と隷属化のために故意に仕組まれていた」ことに氣がつかない。
UBIくるくる詐欺、わくわくして待ちましょう。などと、結局はカネカネカネ。幸せはカネを手に入れること?
それは支配者層によるNWOのもう片方の枠組みであることに氣づくことなく見事に騙されたまま。
ここを卒業しなければ永遠にやり直し・学び直しなのに。
脱出するには、この世界を一氣に瞬間的に大きく跳躍する必要があります。
そうした唯物主義的感覚と、この飼育係に実際に携わる心の感覚と。
まさしく、世の中のふたつのエレメント:モノとココロの両輪であること。
この本質を本当の意味で理解できたのは、大変お恥ずかしながらこの5年間を通しての時間を経験するまでは、そのレベルに至らなかったこと。
十干十二支がひと巡りするほどの長きにわたり、腐ったセンサーと鈍った心で過ごしてきた生き方を俯瞰するにつけ、あまりにも無駄が多く遠回りしかしていなかったこと。
この記事にシンクロできる方が、仮にひとりだけだとしても存在するのなら、それがお役に立てた証だと。
飼育係を体験したその意味を知るために、わたしは50年以上もの年月を要してしまいました。
ですが、このモノゴトの両輪をうまく組み合わせながらこの先の道を描き続けたく思います。
2024/11/22(Fri) 10:42:38 | New Age