夏の思い出:4

この夏の思い出。
目一杯。
思えばこの夏から、
色の「向こう側」を感じるようになったこと。
味の「向こう側」が感じられるようになったこと。
陽の色が違って見えるようになったこと。
その昔、周囲の人たちが身に纏う繭のように独特の色を持ったオーラフィールドを発していたこと。
知らぬ間にそうした感覚を忘れ去り、60年もの年月を越え、嘗てその感覚を「感じていた」ことを思い出します。
色も味も、その向こう側という曖昧な表現でしか例えられないところにもどかしさがあるのは否めませんが、何か、なんとなくそういう感覚。
ええ、はっきりと表現できなくてもよいのだと、それさえもなんとなく。
人を変えるのではなく。
人が変わるのを待つのでもなく。
いまここで感じる感覚が変われば、周囲の風景が変わること。
この場に来れば思い出すこと。
大きな波を天から授かりながら。
共鳴とは共同創造

同じ周波数がともに振動すると共振します。
異なる周波数がともに振動すると、共振・共鳴する整数倍のような関係にある場合、美しくハーモニーを奏でます。
これを心の中の意識の状態に置き換えたらどうなるでしょうか。
ともに共鳴し美しく響き合う現象が、新しいエネルギーの束となり拡大してゆきます。
これこそが「共同創造」ではないでしょうか。
わたしたちの役目は、
この地を、心地よく望ましい共鳴の場として創造することだと確信できるフェーズに入りました。
この作業・実践の積み重ねによって、目の前の風景は時差を経て顕現化してゆきます。
崩壊する旧いエネルギーから脱し、望ましい周波数を選択・維持拡大することによってのみ、それは実現します。
創り上げるのは、一人ひとりの心の波動によって。
生み出すのは、一人ひとりの望ましい意識によって。
心に描くものが現実となってゆきます。
それが仕組みだからです。
夏の思い出:3

この夏の思い出。
目一杯。
強力な日差しに、強力なエネルギー。
受け取るか、受け取らないか。
それは自分で決めたこと。
人を変えるのではなく。
人が変わるのを待つのでもなく。
言葉に託した言靈が、時差を経て顕現化してゆきます。
「奇を衒う」必要のない世へ

「奇を衒う」
わざと普通と違う行動をして、他人の注意を引こうとすること。
こうした奇を衒う行動・行為に対しては、違和感が特に激しくなってきました。
違和感に対する感度が極端に高まった感覚でしょうか。
これまでにも違和感を感じる場面は数多くありました。けれども、その感覚に対する感じ方はあまり激しくなかったように思われます。
これは良いことなのかそうでないのか。
ひとつだけはっきりしているのは、
大きすぎる違和感に接点を持ち続けると、そのエネルギーが巨大化し手に負えなくなること。
自分でなんとかしよう、だとか、それを乗り越えよう。などとやってしまうと泥沼に落ち込んで抜け出せなくなります。
答えは、離れるのみでしょう。
それは、過去の世では敵前逃亡だとか。そういった感覚だったかもしれません。
しかし、
そもそも敵を生み出して戦う必要がなかったこと。
それは、その体験をしたかったからそこに身を置いていただけだったこと。
必要なくなったものから離れます。
「奇を衒う」必要のない世へ。そのままあるがまま。
これが意志表示。
これが選択。
これが顕現化の元の元。
思考は現実化してゆきます。