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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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この街で生きる理由

この街で生きる photo 宮本章光

この街で
いまここに
存在する理由。

このまちで
今ここに
生きる理由。


どの方向にどのように歩むのか。
魔法のような奇跡を待つことなく。

いま、旧い舞台に幕を降ろします。
そして
春分点:2026年3月20日23時46分の転換点を迎え、新しい幕開けを迎えます。


何も描かれていない白紙には、
何でも描ける自由度があることを。
どのようにも描ける余白があることを。

流れに抗わず
流れに逆らわず。
ニュートラル・ゼロポイントを。

この街に生きる理由。
この街で生きる理由を。
いまの在り方を。



[何が起きるか]ではなく[今どう在るか]

輝く photo 宮本章光

在り方(ありかた)。

整っている状態。
流れに逆らっていない状態。


春分には、何々をどうするのが良い。
区切りの日は、何々をどう考えるのが良い。
と、
節目がやってくるごとに、まるで小手先の「やり方」マニュアルのような情報が溢れます。

少し前にも過ごしてきました。
---冬至には◯◯をしなければならない。
---冬土用だから◯◯は避けなければならない。と。

それは、先人が蓄積したナレッジであり大変有用な言葉に違いありません。
正しいか正しくないか、という観点では正しいに違いありません。
けれど、
その貴重な財産を「受け取る現代人の受け取り方」が誤っている可能性があることに氣づいているでしょうか。


上記の言葉を再度重ねるならば、
「やり方」マニュアルのように、あるいは入試に出る極秘情報だとか、ゲームの必勝法だとかの感覚に近いように見えます。

--こうすれば、こうなる。
--これさえ避ければ、決して悪くならない。
といったような、本質を欠いたうわべだけをトレースする姿になっている可能性に氣づきたいわけです。


「在り方」とは、この本質を突いているのです。
春分は宇宙元日だから...春分には新たなサイクルが始まるから...。
と、
同じ過ち・同じ落とし穴に次々にハマってゆきます。


2026年の年明けに「今年はこんな自分になる」「今年はこんな目標を実現する」と、小学校で習った間違った教育洗脳そのままに抱負を掲げた人たち。
いま3ヶ月と半分が流れ、その通りに僅かでも実現できているでしょうか。完遂できる道筋が出来上がっていますか。

ええ、当然立派に実現なさっている方もあるでしょう。すばらしいことだと思います。
でも、
多くの人たちは、毎年毎年同じように実現しないままこの先10ヶ月を流し、2026年も「未達」で終わる可能性が高いはずです。

それは、
先人が残した貴重な財産を「受け取る現代人の受け取り方」が誤っている可能性があるから。


何をすれば何が起きる。
何をどうすればどのように結果が得られる。
と、
How to本のように小手先のテクニックとして捉えているからではありませんか。


「本質はやり方ではない:本質は在り方である」
と、この重要ポイントに氣づかない限り永遠に同じスパイラルから抜け出すことが叶いません。

今「できていない:実現していない」から「努力して力技で手にいれる」といった、旧来の発想そのままの延長線上であるからです。
「今、実現していない」周波数を大前提に構え、その波長に強烈に合致している以上、そのエネルギーが顕現化し続けます。
=決して未来永劫実現しない。となるわけで。


この世もあの世も、全てがエネルギーの振動である仕組みを知ったのであれば、
同じ周波数に合わせない限り、絶対に共振・共鳴は起きることがありません。物理法則は安易な願いで揺らぎません。


春分だから世の中が大きく変わる。
のではなくて、
春分には特別なエネルギー波動の状態である客観的事実を知って、「思い描く波動が顕現化しやすい」という特質を活用するという感覚です。
昼と夜の長さが同じになる。という説明そのものをみても、二極化のエネルギーが均衡しニュートラルに戻る。
すなわち、その時点で願い描くものがこの先に顕現化するために願ってもない白紙の状態だ、と容易に理解できるでしょう。


偽った心の波動は、その偽りのままに現実になります。
よい子ちゃんであろうと偽りの自己顕示欲をアピールすれば、そのまま盛大に裸の王様である状態がバレます。
偽物はきっちりとバレます。

すでにこういう世の中に変わってきているのですよ。と、氣づくことが求められています。
それは、
春分だから「何が起きる」のか、ではなくて、化けの皮が見事に剥がれ落ちるほど、心に描くエネルギーが現実になるそのパワーが強大な状態ですよ。と教えてくれていること。


世界中で春分・秋分を国民の祝日として掲げている国は、日本以外にあるでしょうか?
(他国では、宗教的に結びついた行事はあるようですが。)

「自然をたたえ、生物をいつくしむ(春分)」
「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ(秋分)」
この感覚を持って、現代人が受け取る必要がありましょう。


「何が起きるか」ではなく「いまどう在るか」

その本質が試されるゲート正面に立っています。
ウソ偽りなく、こんにちまで自分の精神性・靈性を磨き上げてきた人たちにとっては、待ってました!という瞬間でもあります。
そうではなく、偽りと他人軸で生きてきた人にとっては、すべての仮面が剥がれ落ち、恥ずかしく苦しい未来を歩み始める第一歩かもしれません。

それもこれも、全ては自分自身の選択の結果。
いままでずっと、どのように生きてきたのか。何を想い何を抱き何を描いてきたかということでしょう。



自分で練り上げる・待つのをやめる

芽吹きまであと少し photo 宮本章光

「待ち続ける。」

待ち続ける限り、待ち続ける現実を自分自身で創り出し、それを永遠に維持していることに氣づきましょう。ということです。

見た目には固い蕾のまま。
でも、
内側では、花開く瞬間に向けてしっかりと熟成を続けています。
まるで手のようにも見え、そこに生命の息吹を感じます。


いまだに今日も今日とて、
救世主が...、あと少しだ...、きっと大きなことが起きる...。
と、やっていると、その波長にフォーカスしている自分自身が「永遠に現実にならない」エネルギーを焚き続けています。
不足と欠乏・未実現の周波数にシンクロしているからです。

当然それは個々人の自由です。
が、観点・論点は人の勝手かどうか、そこではありません。
そうした人々が「減らない限り」「成長と成熟を果たせない限り」は、この地の現実という名の風景は変わりようがありません。
いえ、
そのように認識する「わたし自身」も、その現実を作り上げてしまうことはしっかりと理解できているつもりです。
ですので、この事項にフォーカスする限り、今度はわたし自身も「そこに燃料を焚べてしまう」ということまで判ってはいるのですが。

ただ、トリガーとなる波動としての「水面に一滴の水」を滴らせない限りは、静まり返ったその水面はいつまでも凍結したままであることは否定できないでしょう。
どうすれば氷結したままの池は春を迎えられるのか。

大変悩ましく、再度・繰り返し負のスパイラルに落ち込むリスクと向き合うだけの繰り返し。


放っておけばいい。人のことなど。
触らず離れればいい、他人の自由だ勝手だ。

放っておけば、凍結したままの水面は凍てついたままで終わるでしょう。
そして、
過去と同じように地球がグィッと体を捻った瞬間に、6度目だか7度目とされる大掃除で大海に沈むだけでしょう。


自分自身の世界は、自分自身の波動によって形成される。その大法則は多く知られるところとなりました。
ならば、自分で・自分ひとりで望ましい風景を望み、その原動力となる波動を生み出し続ける。
結果として、自分自身の世界は望む通りに顕現化する。...はず。


自分で練り上げる。そのことだけ一点集中。
少なくとも、外側に変化が起きるのを待ち続けるのだけはやめましょう。と。

伝わるでしょうか。
このエネルギーに響き合える人々は存在するのでしょうか。



バチが当たる・冥利に尽きる

美しく咲き誇る photo 宮本章光

目の前の風景は過去の想念の結果物。
目の前の風景は過去に生み出した波動の結晶物。

タイムラグがあるのです。この地では。

しかしながら、
その時差はみるみる短縮されていると伝えられています。
実際、それを体感しているはずです。


この国の貴重な言靈。
「悪いことをすればバチが当たる」と、おばあちゃんの知恵袋の筆頭に掲げられるような言葉があります。
起源は、仏罰(ぶつばち)を示していたものだとされ、道理に反し理性を無くした行動に対する戒めを説いたものでしょう。

尤も、神も仏も罰を与えることはありませんので、それは自らが生み出し放った波動が返って来ただけ。
因果応報の仕組みが具現化したものに過ぎない、という物理法則の顕現化でもあります。
であるならば、
バチが当たらないように善行を積み上げ幸運を手に入れる。それは、
「冥利(みょうり)」だとされます。
これも同じく因果応報。自分が放った周波数に等しいものが「時と形を変えて」自分に戻るだけのことであると。


ここで氣付き学ぶこと。それは、
「バチが当たる」という言葉は、厳しい戒めのように見えて、実は「自分自身を大切にする(清く正しく生きる)」ための知恵でもあったということです。
そして、
すべてが、その法則に従って例外なく顕現化するという唯一無二の仕組みについてだと。


美しい存在に出会えるのは、
その前に、自らが同じ周波数を生み出すという因果の法則に従っていたことを証明してくれます。
いえ、
そんな大それたことはしていません。

しかしながら、ここがもう一つの重要ポイントでもあります。これまでも何度も書き綴ってきました。
---自分なんてまだまだ...。
---自分なんて大したことはない...。
この、美徳とされる、あるいは謙遜する姿勢そのものが正しい生き方だ、と教えられてきたこと。

その姿勢は間違いではないものと思われます。
けれども、
周波数の仕組み・物理法則観点からは、まだまだ...自分なんて...と語る限り、永遠にまだまだ...で、自分なんて(その願いに相応しい存在ではない)と、いう波動を強烈に固着し続け、具現化し続けます。


ここをクリアして次のステップに進めたいのです。
美しい姿、だと教育されてきた「自分なんてまだまだ...」「自分なんてとるに足りない存在...」と、語ることを一切やめること。決して心に抱かない・描かないことです。

実際、わたしたちはすべて完全な存在だった、と語られ伝えられてきた「その本質・その本意」がようやく理解され始めたところかと思います。
それなのに、
ここで逆噴射しない。絶対に。


いつまでも世の中が変わらない(ように見える)のは、自分がいつまでも「まだまだ...」と抱き、いつまでも自分は「まだまだ...で、取るに足りない」存在だと言い続けるからです。
この、一人ひとりが生み出すエネルギーの総和が、集合意識・あるいは集合無意識として現実という名の目の前を作り続けるのです。

流れに逆らって生きない。
これも何度も何度も書き続けています。

世の中良くなって欲しいのです。ここに違いはありませんでしょう?
ですから、一緒に自分自身も、もっともっと成長してゆきます。と宣言すれば良いだけのことです。

いつまでも逆噴射するな、の言葉の本質は、
世の中の裏側に隠された悪事を語り顕示欲を満たす姿勢をやめることだとか、その話題から離れることではありません。
自分が美徳だと思ってやっている、心に描いている、その姿そのものを改めることです。


その結果として、
冥利に尽きる世が目の前に展開するはずです。

それが「冥利」という言靈が示す波動だと理解する必要があります。




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