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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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外側と内側・答えとは在り方そのもの

紅梅が披露する歌に響き合う photo 宮本章光

依存する心。
答えは外側ではなく内側に。と語り続けられています。


外側とは何なのか?
多くの場合、人は自分が一番正しい。と信じ込んでいます。
けれども、仮にそれが間違いかもしれない、とインプットされたなら、その瞬間から「正しいとされる答え」を探し回ります。
探す先・探す対象こそが「外側」ということでしょう。


善か悪か、の次には二元化二極化を認識し、精神性を磨き上げてきました。
そして、暦や節目の持つ重要性に氣がつくところまで、ようやく辿り着いたのではないでしょうか。
しかし、
暦や節分だ、と言っているうちはまだまだだ!覚醒の本質はそのレベルじゃない!もっともっと高尚なところにしか悟りは存在しないんだ!
といったように語る人たちも、まだまだ多いように見えます。
これ、その道のビジネスですからもう騙されませんように。まさしく依存ビジネス。まさに外側に答えを求める人がターゲット。


さまざまな意見があり考え方があります。それぞれひとつひとつにフォーカスを合わせていると永遠にピントが定まりません。

この状態そのものが「外側に答えを求めている」と氣がつかずに彷徨います。
そして明確な回答を得られぬまま疲弊し迷宮入り。結果として負の周波数に汚染されただけで終わってしまう。
往々にしてこの経路を経ることが大半ではないでしょうか。


---答えを得ようとしない。
---そもそも答えなど存在していない。
その地点へ到達するために、静けさと平穏の周波数を意図的に選ぶのです。

そうすればこそ、ノイズに汚染されない静寂性の中に「勝手に・自動的に」答えが降りてきます。
これこそが、答えは内にある。とされる状況を語っていることに氣がつきます。


もうそんなことは耳タコかもしれません。
でも、すでに知っている・知識として得ているのなら「それ以上に」答えや情報を加え続ける必要がありません。
このあるがままの状態を、いまここ・いまこの瞬間の「在り方」というのではありませんか。
それなのに、
わたしたちは毎日のように新しい情報だ、何だ。と探し回ります。触れ続けます。
ええ、自分はノイズを選別し排除し見極めることができるから大丈夫だ、などと。
触れれば・意識すれば、その瞬間にその周波数のエネルギーに共振し拡大・拡散していること。

それが「外部に答えを探し回っている」ことかもしれない。と氣がつかないのです。

ここにある在り方、その姿勢を・在り方を整える。
それだけ。それ以外に答えはどこにもありません。


暦や節、冬至や節分・満月だ...と踊っているうちはまだまだなのでしょうか。
確かにそうかもしれません。ある意味では核心を突いています。
けれど、
それはこの国の先人が築き上げた貴重な遺産だと本心から理解できているのなら、もっと高尚なところに悟りがある、などと語ること自体が「暦も節も」何らその本質を理解できていない証でしょう。
そして、
有名な人が語るから・インフルエンサーだから。というある種の崇拝意識そのものが「依存」であり「外側に答えを探し求めている」姿そのものだった。と、この6年間で嫌というほど学び得たのではなかったのでしょうか。


いつになっても、何回落とし穴に落ちても落ちても、何度も何度も学習効果が得られない。
いつになっても、何度失敗しても誤っても、何度も何度も救世主を待ち、不足と欠乏の波動を生み出してばかり。

これを「外側」に答えを求めているのだと。
内側という自分自身の心にしか答えはありませんし、その心からしか望ましい世は顕現化することはないのです。




旬を待つ・準備する・熟成させる

春を待つ photo 宮本章光

旬とは。

企業に在籍していた時期には、売上に関わる区切りの期間、成績の算定区分、そういった感覚が強烈でした。
発音は「いちじゅん・にじゅん・さんじゅん」であり、一ヶ月を10日ごとに区切った成績達成のための3つのブロックでした。
2月の1旬の計画は、2旬の利益確保予想は、3旬の最終売上金額は...、といったような。

当然、現在でもやっているのだろうな、と思います。
わざわざ、数字に追いかけられるように組み込まれ、そこには不足と欠乏の周波数しか存在しないために永久にその負の現実を生み出し続けます。もちろん計画を大きく上回ることもあります。けれど総じて「追われる」ベクトルであることは、それが世の中全体に蔓延した隷属化の仕組みだったからでしょう。
離れてよかった。と心の底からそのように思います。


発音を「しゅん」としたのなら、この旬という言葉は、
生命存在が最もよい結果を生み出す時期を語る言葉になるでしょうか。

その言靈を感じその言靈に含まれるエネルギー波動に合わせてみます。
旬の食材といった例を見ますと、最もおいしく最も収穫量が多く、最も栄養価が高い時期を示しています。まさに最高の状態・状況を指し示していることがわかります。
最高・最大の結果は、そこ(時期)に合致させることでその結果を得られることが容易に理解できます。


同じように、ものごとすべてにおいて「旬」があることを頭の中では理解していても、それを積極的に意識することは稀かもしれません。

このところ触れ続けている暦や節、そういった古くから語り継がれる「機会・タイミング」としての旬は、意識してその旬に周波数を合わせてゆくことでその波動が持つエネルギーを得られることを伝えてきたのでした。

当然、この地この世では具現化には時差があるため、そのために準備し熟成し晴れ舞台を待つことになります。
準備の段階で、いきなり結果は出ません。当たり前の感覚でしょう。
蕾の時期に、どうして花が開かないんだ!と叫んでも絶対に花は咲きません。

行動とは一分一秒を惜しんで走り回ることだ。一円でも売上を上げ利益確保を追求することだ。
そして、
結果とは努力なしには決して手に入らないんだ。体を壊してこそ一人前だ。それが企業人の勲章だ。
そんな悪しき過去。
そんな狂った世の中。
固い蕾の状態の芽を、力でねじ伏せて花を開かせるような感覚ではないかと強烈に違和感を感じます。

しかしそれさえも、その時代の流れそのものだったこと。それさえも悠久の時の流れの中における「その一つの旬」であったことに理解が及びます。


こうして体験し学習しそして俯瞰できるところにまで到達したことで、いわゆる統合が完了するはずです。
次の教材は、
望ましい結果を得るために、旬を意識し旬の波動に合わせてゆきましょう、という部分だと思っています。それが流れに抗わないということだと。
そのためには、蕾の段階・蕾の時期には、静かに整える。
それが土用という緩衝期間・準備期間であり、まもなくその区切りの終わりを迎えます。


足元を近視眼的に見るだけ、ひたすら追われて走り回ったのではなく、整え・準備し熟成してきた者には、次のステップが明確に示されていることがわかるでしょう。

それこそが「旬」が指し示す意義であり、ものごとすべてにはタイミングがあることを再認識するきっかけでもあります。




初午(はつうま)2026年2月1日

IMG_0131_2026.webp

初午(はつうま)。
丙午(ひのえうま)の初午。
2026年は、本日2月1日。


暦という区切りには意味があり、その意図に心の波動が合致すれば、同じ振動数としてその意図が顕現化します。
この国の先人は、こうした物理法則・量子力学が証明してみせるよりも遥か以前から、その本質を理解していたことを知ります。

初午祭において奉る祝詞には、深い言靈(ことだま)と奏上する音靈(おとだま)が響き合い、同様に合致した振動数としてその深遠な世界と繋がります。
後に生まれた宗教という名の洗脳と支配・隷属化のための仕組みにも、同じように「それに似せた」文言を並べてはいるものの、その中には言靈と音靈という有史以前から培われ蓄積されてきたこの国の精神世界を通して無限のエネルギーに繋がる波動、一千年を超えて語り継がれてきた深い波動が皆無であることは明白かと思われます。


いま、極めて重要な宇宙規模での大転換期。
そして、その地球の進化を牽引する非常に重要な役目を果たすとされるこの国、日本。

物質至上・物理次元オンリーの世が崩壊する中、精神性を磨き・高めようと行動をはじめた人々。
もう大丈夫だとは感じますが、のちの者が支配と隷属化・洗脳のためにつくり出した宗教と、この国の先人が築き上げた森羅万象・八百万の神への畏敬の念とを、ごちゃ混ぜにして「なんとなく宗教っぽい」と、一括りにして語ることのありませんように。


わずか5,6年前ほどでさえ、その時点で精神世界を語る者に対し、狂った宗教だスピった狂った輩だ。ツボを買わされるなよ!◯カな奴。と蔑んでいた人たちが大多数であったこと。
ええ、幸いなことに今となれば大きく進化・成長し、もはやその時点とは比較できないほどに成熟を果たした(はず)のこの国の人々。

ところが、いわゆる心のブロックとされる「奇跡なんて起きるわけがない」「そんなものあるはずがない」と、これまた否定し続ける姿勢が、激しく重要なこの期における「もうすぐ目の前まで」やってきている幸運を、わたしたちの集合意識に毒として混ぜ込み、顕現化・具現化を「阻止」してしまうことになる、と氣のつかない痛すぎる人たちの存在も。

救世主を待ち続けるのではなくて、わたしたち自身一人ひとりの心から望ましい波動を生み出すのだ、と理解できた人が実践し日々行動している中、いつまでも待ち続ける不足と欠乏の周波数を産み続ける人たちの存在と同じように。


何もかも、紙一重(かみひとえ)なのです。
ものごとには両面があり、それぞれセットであること。そこまで理解したのなら、自分の立ち位置と異なるものを否定するのではなく、ともに認めともに受け入れる。
ただし、
隷属化と支配のために、これまでの世を覆い尽くしてきた膜のようなエネルギーに対しては明確に線引きをし、選択しないことが求められます。
そのためには、これまでの学習と成長のために存在してくれた役回りへの感謝を捧げ、そして手放すのだと語られている通りです。


なんとなく似ている。なんとなく同じように見える。
それだけで、正反対・真逆に存在するエネルギーをごちゃ混ぜにして否定してしまうことのありませんよう。
選択とは、
その選択の前に、両極ともに体験したからこそ学びを深められたという事実への感謝を忘れず、この先に望む波動を選ぶこと。

初午。
暦という区切り、節ごとの重要性について学び直す機会を与えられていることを知り、森羅万象すべての存在への畏敬の念と感謝の心を忘れないよう、ここに巡ってきたものと感じています。

穏やかに。静かに。心やすく。




整え・再起動を待つ

派手さはなくとも photo 宮本章光

OSでもアプリケーションソフトでも、再起動を繰り返しアップデートしてゆきます。
いま、暦は、まさに再起動がかかった状況だと感じます。

画面には何の表示も出ず、本当に進行しているのかどうかさえ不安になる状態でしょう。
でも、そこで焦ってリセットボタンや電源ボタンを押してしまうと、最悪の場合には再起不能の取り返しのつかない結果となるかもしれません。
当然、ソフトウエアの場合は、仮にそうしたリスクが発生してさえも、それを回避するような控えのルートが二重三重に走っているであろうことは予想でき、だからこそ致命的な結果となる事例は僅少・皆無なのだと思われます。


実次元、世の中は「暦」に基づいて動いていること。
それは和暦という狭い範囲の暦ではなく、すべての流れの元・源となる仕組みが稼働するための区切りを示したもの。
幸いなことにこの国の暦では、過去から蓄積された叡智がそこに数多く散りばめられており、それを踏まえて生きてゆくことで、災いから離れ、心身ともに望ましい結果を手に入れることが叶うのだと、肌感覚で感じているはずです。

冬至が示す区切りの意味、冬土用が教える準備と整えの極意。

まさにいま、再起動がかかり、画面には何も表示されていないように見えます。
アップデート最終段階で、何も見えないから...と電源ボタンを長押しするような行動を取る人は限りなく皆無に近いはずです。
同じように、
静かに整え、穏やかに準備を進めている人たちが、この先に芽を出し花開くことになるでしょう。


過去、わたしが病に伏した時期。ものの見事に新年から冬土用にかけてのタイミングだったことがわかります。
一秒を惜しんで走り回る。鳴り止まないケイタイ、読みきれず永遠に新規受信し続ける携帯メール...。
一日のうちに二度も三度もバッテリーが無くなり通信不能になる瞬間が嬉しくも胸が締め付けられる感覚。
ええ、仕方なかった。仕事だからどうにもならなかった。その瞬間には、完全に盲目状態でした。

あれから21年が経ち、ようやくそれを俯瞰し語れるようになりました。
ええ、それは大きな失敗でした。自らそのタイムラインを離脱することができないために強制リセットされたのでした。
でも、
暦とともに生きる意味。準備と整えのための時期の重要性。そういった観点からの理解のために具現化した経験であったこと。


派手さはなくとも。
鮮やかさは見えなくても。
しかし、
穏やかに・静かに。そして途切れることなく。

その波動を維持する時期、その周波数をキープすればこそ、その先には望ましい世を創り出す準備が整います。

再起動を待つ。画面は真っ黒。
慌てず・焦らず。
睦月(むづき)を無事に見送るために整えて待ちます。
それは、何もしていないのではなく。




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