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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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頭脳思考と心のバランスを取る

葉の上で輝く水滴 photo 宮本章光

業務サイクルの思考に意識が切り替わって、植物をはじめとする自然環境から離れていることを感じています。

現在、
「業務思考や頭脳・聴覚/視覚を使う物理的感覚に関してはキレがある」
他方、
「心の満足度のような部分のエネルギーには枯渇感がある」
こうした感覚があります。

この片方だけに偏った状況を、ともに満足できる状況にまで、うまくバランスしてゆくことで、アウトプットの完成度が高まって行くと考えています。昨日の記事のように、両者のウエイトを調整する感覚が、最終納品物のクオリティを決める。そんな感覚でしょうか。(個人的感覚)


もちろん人それぞれ。如何なる環境においてもフルパワーを注いだアウトプットが可能な方もあるでしょう。わたしの場合は、このバランスが上手く取れないと結果がバラつく。そんな自覚があります。

雨上がりの水滴からエネルギーを感じてみます。
感じようとしなければ感じられない。
でも、確実にそれを受け取ることが可能でしょう。

この「水という極めて稀だ」とされる存在、そして数限りない多くの植物に、いとも簡単に触れることができるこの国、この地球。
ここに心の周波数が合致した瞬間に、エネルギーを受け取る感覚。
これこそが、感謝の氣持ちなのだと。
何も望む必要などなく、何も求めることもなく。
ただ、恵まれていること・満ち足りていることを感じます。

ようやく、その感覚を文字にすることが可能になったような氣がします。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

体を使わせていただいて学ぶもの

Iitate2020_img_0344P.jpg

今日は昨日とは異なり、ザルで流水を掬うかのような感覚は消滅しました。
代わって、会話をする向こう側の人が発する「色」のようなものを感じた日でした。
明るい色、あるいは別の人からは、どちらかと言えば重い感覚の色。
それは、色彩感としてのオレンジだとかグレイだとか、そういったイメージではなく、漠然とした何らかの印象として。

そして、ハッと氣がついたことがあります。
「色のようなもの」を感じるのですが、それは上記のような「色ではなく印象」にしか過ぎないもの。
あぁ、まさにこれが人の発するエネルギーなんだな。と。

重ねて理解が進みます。
色は「この世この地で、特定エネルギーの周波数帯域を可視光線として認識」しているという既知の事項。
他方、
「色のように感じるけれども色ではなく=感覚としてイメージする」ものは、可視光線帯域ではないエネルギー(これこそがオーラ?)を捉えたものではないだろうかと。

わたしたち人間が、この「お借りしている体」を使って体験しているもの。
その一つが、この物質次元に存在する「色」の認識なのではないかな、と極めてストレートに伝わってきます。
これをさらに拡大してゆきますと、まさに「体を借りているからこそ体験できる」ものばかりであると氣がつきます。

--可視光線帯域の振動として「色」を認識します。
--可聴帯域の振動として「音」を認識します。
もっともっと広げてゆきます。
--熱い・冷たい、という触覚。
--口にする食べ物から感じる味覚。
--美しい植物から香る嗅覚。

こうして、五感とされる感覚を通して、体験を積んでいるのだなと理解できます。
これらを土台として、複合的な体験が無限に存在していることが判ります。

皮膚が細胞組織を保てる範囲を超えた温度の物質に触れると「やけど」します。
この例をはじめとして、体が備える組織の限界を超えることによる「損傷」を学びます。
この次には、その生体維持の条件を超えたところで発生する「病」を体験してゆきます。

ここまで来て、さらに氣がつくこと。
これこそ、まさに幼少期の子供時代から成長を重ね、人生経験を積むことそのものだったことに。

そして、それは、体験をし学ぶ必要があったからこそ「目の前に出現しているのだと」いうこの世の仕組みに理解が至ります。いま、ここまで到達して、その具現化は「自分の意識・心の振動周波数」によって変化を生じ、因果の法則と絡み合って現実となる事実(自分の意識が自分の現実を創る)に、ようやく手が届いたのではないでしょうか。


素晴らしい仕組みだと、驚嘆することしかり。
素晴らしい仕組みを体験させていただけることに、感謝するばかりです。
卒業式は、もう目の前だと語られているその深い意味。
平伏して頭を下げ、礼を心から捧げざるを得ない素晴らしい現実に。
言葉がありません。

この借り物の体を使って学ばせていただけること。
体を使わせていただくからこそ、学べるもの。
だからこそ、
「口にする(食べ物)には十分すぎるほどに意識をし」、
「口にする(言葉)にも十分すぎることなどない配慮」が必要なことに。

そして、
すでに、満ち足りていることに理解が及びます。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

種を蒔くから芽が出てきます

CRW_7125_2016.jpg

本日もお越しくださいましてありがとうございます。
エネルギーが漏れ出ているか、どこかに吸い取られているか。
今日は、かなり枯渇氣味です。
サラッと流していただければ。

よく語られる論議の例えです。
「種を蒔いたからと言って必ずしも芽が出るとは限らない。」

こうして、否定から入る事例。
昔、企業に在籍していた時には、嫌と言うほどその手の波動に晒されました。
人の話を頭ごなしに否定する。代替え案は存在しない。
そんな世界を、昭和から平成にかけての時代に体験しました。
結局、腸に穴が開きその世界から脱出できたので結果オーライでしたけれど。


いま考えてみたいのは、
「でも、種は蒔かなければ絶対に芽は出ない。」という事実です。
はて?では、種を蒔くにはどうすれば良いのか。
これこそが、心に力強さと明るさとをチャージすべく、これまで実地に体験してきた事例を基に、この場に言葉として綴ることだと感じています。

「種を蒔いたからと言って必ずしも芽が出るとは限らない。」
でも、
「でも、種は蒔かなければ絶対に芽は出ない。」
といったような、うまく言葉が降りてくるタイミングがあります。

これからも、こうした形でアーカイブを進めてまいります。
ともに同じ波長を感じていただける方々への感謝の心を込めまして。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分で望む風景・世界を創り上げる

IMG_6797_2021.jpg

もう耳タコでしょうか。
自分で自分の望む風景を創り上げる。
あるいは、漠然とし過ぎており、実感が伴わないかもしれません。

望む風景。「新緑の季節の息吹を感じる風景を!」とイメージしてみます。
ところが、現在、2023年2月。
春の兆しを感じるものの、まだまだ周囲の樹々は葉を落とした冬の出立ちを披露してくれるだけでしょう。
新緑はおろか、新芽さえもまだ硬い蕾のままだと思われます。

ここに「過去画」として、その時期に近い画像データを持ってきて貼り付けます。
すると、ここに若葉を目にすることができます。


ちょっと難しい展開になりそうなので、結論を急ぎます。
青々とした樹々のイメージが欲しい。
それなら、その季節の(画像)データを持ってきて見れば良い。
この単純明快な展開を、心の中でやってみます。心の中で描くのです。

わたしたちの存在そのものはエネルギー体だとされていますから、ここで心に描くものは「必ず何らかのエネルギーとして生まれ、必ずそのエネルギーが作用する。」ということになりましょうか。
これほどまでに明快な「原因と結果」という仕組みがありながら、それを「思い過ごし」だと刷り込み、目に見える物質社会だけに囚われるように仕向けられてきた歴史を知ったなら、これからは「目に見えない底知れぬ潜在能力」を使いこなしたいと思うのです。

原因=「因」があるから、結果=「果」が齎される。
力を生み出したから、その作用が現れる。
因果応報。因果の法則。

何やら怪しい世界か?などという感覚を持ったのなら、まだまだ洗脳から解けていない証拠でしょう。
ここには、目に見えるかどうかは関係がないことが判ります。
もっともっと、心で感じるもの・コトに敏感にならねば、これからの世は立ち行かなくなること、もう数々の現象が現れ、そしてそれが証明されているのですから。


今日のタイトルに掲げようとして取りやめたセンテンスがあります。
「どうしていつまでも苦しむのか?」
はい。
「原因があるから結果が生まれる。」
「原因を自分が作り出しているから結果が自分にもたらされる。」
それは、
自分自身でそのエネルギーを抱き続けているから、それが現実になっている。
そして、
今生・今世という括りを超越し、前世以前の「原因」が「結果」となっている「因果の法則」が作用している事例もあるかもしれません。
過去因果を解消するために、この期でもって、それを行っているとも。


わたしは、
【おばあちゃんの知恵袋】[LINK]
での主役、大正生まれの祖母が語った「前世で悪いことをしたから今世では苦しいこともある」という言葉が、まさにその通りであると実感することが多いのです。

これ以上、書き綴る必要はないでしょう。
自分が生み出したから、回り回って自分に返ってくる。
自分が心に描いたから、回り回ってそれが目の前に現実となる。

だからこそ、
何を心に描くのか。
何を思い抱くのか。
ここが極めて重要ですよ。と語られていることを再認識したいのです。
但し、
プラスとマイナスの力は、等しくバランスする「この地」です。
「ポジティブごっご遊び」の無限ループに留まり続け、負の力を「見て見ぬふり」して押さえ込んでいる限り、いずれプラスと同じだけ「成長」し、ある日突然にコントロール不能・爆発しますので、誤った道を歩まれませんよう。
釈迦に説法で失礼申します。(自分がこのワナに陥ったので自戒を込めて。)

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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