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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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最適解は自動的に降りてくる

そこにある輝き photo 宮本章光

こういう言葉に対し瞬時に拒絶してしまう世でした。
ようやく抜け出せたかと感じます。


あぁそっち系のことね...。
と、鼻で笑う人たちとは、もう周波数が合致しないので触れることはなくなりました。
先般の記事で例えた「浸水する船の排水に忙殺される人たち」は、その瞬間の仕事に真摯に従事しているので、台本を横から書き換えたりしないことです。

でも、いずれは同じところ・ここに来なければなりません。
それが原理・それが法則ですから。
25,800年だとか「激しく遠回り」したいとの意志表示されているだけなので、最長でも50億年ほどやり直せばいいだけのこと。はい、短いですね^^。ええ、苦しみも楽しいですね^^。
わたしは「同じ教科書を何度もやり続ける」のはもういい。


もういいので、次の教材をやりましょう。
と、自分で選択したのなら、
それは、自動運転について学ぶことではないかと感じます。

自動運転とはTeslaのクルマのことではなくて、完全に信頼し任せ切る「感覚」「選択と意志表示」。

静かに過ごせば、静かな現実が生まれること。
穏やかに心地よく居れば、穏やかな目の前が出現すること。
当然、激しく苛立てば、その通りの現実が起きてきます。


この国の言靈は、エネルギー波動そのものだと理解できたのですから、不要なノイズから離れ、ピュアな周波数へと整えてゆけばよいのだ。と。
言靈を意識し慎重に選択するならば、その通りに顕現化してゆきます。

これが自動運転の極意。
眠っていてもスマホ操作していても、事故もせずに目的地に到着するクルマ。ではありません。
この感覚こそが、勘違いの最たるものだと氣づきましょう。


周波数を整える。
とは、
ゴミをそこに紛れ込ませない、というスタート地点から、
望み必要とするものを的確に選択し、それを宣言する。
自分が自分で必ず実現させる、と誓い宣言することこそが「祈り」だという仕組みも学べたはず。
祈りは、我欲を満たすために願うのではなく。

祈りの次は、その「周波数が示す音」を増幅・拡大し昇華させてゆきます。
無限に広がる感覚。それが悦びへと変化し、そのありがたさに感謝が湧き上がります。
そして、
自分ひとりだけでなく、ともに存在しともに生きているすべての生命との共鳴を感じてゆきます。

こうして、周波数は整えられ、拡大上昇してゆきます。
上昇した意識は、さらに望ましい波動へと強化され、必要な導きとして降りてきます。
この繰り返しが、成長・上昇螺旋の姿だと語られます。

そもそも、ここに記しているこれらの文言そのものさえ、わたしが頭を捻って書いているのではなく勝手に降りてきます。
自動運転の実例・人体実験そのものです。

このようにネガスパイラルとは真逆の、拡大螺旋階段をのぼり続ける意志表示と、自動運転で降りてくるエネルギー波長がバランスし、対(つい)になり平衡状態を保ちながら、永遠の成長拡大が叶う。
とんでもなく大きな、そして決して間違いを犯さない仕組みであることを知り得ます。

仕組みそのものが神であり、その力たるエネルギー波動こそが神であることを。
最適解は、必ず自動的に降りてくる。
その本質を学び続けます。




そこにあるから

そこにある photo 宮本章光

ここに松ぼっくりが転がっていたから。
そこにあったから。

だから撮ったのだと。
ただそれだけ。

これでいい。
その意味を感覚的に捉えることができたように感じます。
そのまま。

そこにあるから。



モノとココロは両輪・悪宗教を脱するために

御神木へ詣でる photo 宮本章光

沈みゆく泥舟・小型船。
浸水し続ける状況対応に追われ、いずれは海の藻屑と化す運命。
これは、どう足掻いても変えることができません。


10回掻き出す排水動作を15回にせよ。
別のポンプを稼働させて最大限に排水せよ。
船室閉鎖区画を狭めよ。
と、あらゆる手を尽くします。
その瞬間には、自分たちが助かることしか視野にありません。

他方、
沈む結果を生み出した原因に意識を巡らせ、その結果を因果の法則として受け入れる。
その覚悟を決めた数名の乗務員。

皆揃って歌おうではないか。と演奏を始めます。
しかしそこには罵声が飛び交います。排水が最優先!氣が狂ったか!馬鹿どもよ。
ところが、そんな周囲の声をもろともせず、彼らは極めて穏やかに心地よくその場を楽しむことに徹したのです。


するとどうでしょう。
遥か遠方に救助のヘリが見えたかと思いきや、瞬く間にライフジャケットや救命具が降下され、また遠方には大型船の姿も見えはじめました。

助かった!
安堵の心は、さらにポジティブな波動を拡大拡散させ、命懸けの残る乗務員を救うべく彼らへ意識を向けます。
しかしながら、
目の前の作業に忙殺される彼らには、救助のヘリも救命具も一切のものが「見えません」。
あろうことか、先ほどまで共に乗船し、覚悟を決めた後には歌いはじめた仲間の姿さえも見えなくなっていました。

救助のロープに引き上げられる数名。
最後のひとりが船を去り、その数分後、排水に忙殺され続ける残りの乗務員は沈みゆく船が生み出す渦に飲まれ水面下に消滅してゆきました。


これはあくまでも想像上の作り話です。
でも、これを現実の企業組織に置き換えてみるととうでしょう?

企業は成長し続けることが大命題。株主へ利益を還元することが資本主義の大前提。
そのためには、
売上を右肩上がりに維持し続け、利益最大化のためにコストダウンを徹底、同時に新規開拓を鋭意進めよ。と。

そのためのマーケティング戦略。
その昔は、口コミでした。
そして時代の流れとともに、web活用、SNS活用。情報発信という名のコミュニティ創造と活性化。
昨今は、AI活用に活路を見出し、そのためのインフルエンサー開拓...と、綿々と歴史は繰り返します。
しかしながら、
これらは、ビッグテックとその裏に隠された支配者層に牛耳られ「リスの回転車」の中でひたすら走り続けさせられているだけの惨めな人間に落ちぶれているのかもしれません。

これは、もしかすると、浸水対応・排水に忙殺される乗組員の姿と同じではないのか?と感じるのです。


原因と結果を真摯に受け止め腹を括り、そのあとは歌を唄い心を一つにし、穏やかに望む未来を心から描き出した数名は、自らの現実を自分たちの「心」から生み出し、そこにヘリが具現化したとも言えるのではありませんか。

AI活用はもちろん必要でしょう。いえこの先には必須であることは疑いようがありません。
しかし、
それを「事業拡大と存続・利益の最大化のための資本主義という旧い枠組み」の中、その古いレイヤー上で追求している限り、いずれは限界に達します。
過去、2度のバブル経済:接待交際費=月間300万円オーバーなどという時代を会社員として実地に体験した一人として、永遠に成長し続ける世は存在しないことを身を持って学びました。


この先も生きながらえるためには、
歌を歌う、というのはあくまでも例え話であって、歌っているだけでは道は開けません。当たり前です。
そうではなくて、
既存のフィールドとは完全に異なる・思考の180度転換が求められていることに氣づく必要があるように思えます。
それは、乗組員たちが歌を歌うといった、穏やかでポジティブな心がそのまま現実を顕現化させる大法則を実践していたのだ、と理解することでもあります。


科学的検証に基づいた思考。
資本主義経済という永遠に拡大を求め続ける仕組み。
といった、まさに「科学という名・資本主義という看板の悪宗教」に侵されてしまった心は、自らの意志によって「それを排除」しない限り永遠に蝕まれ続けます。

では、いま、何をどうすればよいでしょう?
AI活用。これは否定できないはずだと考えられます。
ならば、
AIに関することにフォーカス(それはまるで砂糖に群がるアリの姿のように)する「だけではなく」、この世で隠され捏造されてきた「心のつかいこなし」「精神性の向上と拡大」が、モノとココロとして、車の両輪のように相互作用し総合的に発展・成長をもたらすのだと。
ここに意識を持ってゆく必要がありましょう。


両輪。ここがポイントかと感じます。
然るに、精神世界を大切にし、その波動が現実を生み出すことを学び、それを実践・活用してゆくこと。
これをコミュニティ化しその輪を広げること。

猫も杓子もAI・AIと叫ぶのはわかります。でも、その対極でバランスするシーソーの反対側にこそ、極めて重要な要素が隠れていることを。

そしてそのために、
この国で生まれこの国で育った者だけにしか理解できない、すべての生命と共存する意識。すべての存在と心を合わせモノを大切にし、すべての存在と和してゆく姿。
ここにしか、この先に開かれる道がないことをしっかりと認識するタイミングを迎えています。


正月に神社へ詣り、お盆にはご先祖への感謝を捧げることができる人たち。
だからこそ、その心を資本主義という名の悪宗教を改組し、望ましいエネルギー波動へと変えるために役立てるよう求められていると感じます。

氣がついた人は、もうそのための役目を果たし始めています。
御神木は、その長大な歴史を通してこの地の人々を見守り、そしていま、堂々たる姿を持って何を大切にすべきかを教えてくれます。




時代とともに時候の挨拶は変化するでしょう

ビルの谷間に photo 宮本章光

暑いね。寒いね。いい天氣やね。日が短くなったね。
時候の挨拶に込めた定番ワードの数々。

この国が大切にしてきた貴重な言靈です。

時候の挨拶は単なる気候についての会話ではなく、相手への思いやりと、自然への敬意を示すコミュニケーション方法として大切にされてきました。
まさに文化そのものではないかと感じます。


しかし、時代は移り変わってゆくもの。
いま、個を尊重し重要視する期を迎えるとともに、多様性を重んじる時代に入ったことは否定できないでしょう。

暑いか寒いか。ましていい天氣かどうか、どう感じるのかは個々人に差があって当然。
また、
その瞬間に、その場の空氣感を肌で感じ味わおうとしている空間に割り込み、過去から当たり前だから・挨拶だから・昔からそう言うに決まっている。
こうした理由を掲げ、個人的肌感覚を「押し付けてしまう」のは避けたいと感じます。

暑いか寒いか、それはどうでもいい。
その場を感じ・その場の空氣感を味わっている状況では、おはようございます。こんにちは。こんばんは。挨拶ひとことだけで終えてしまっても何も問題ないでしょう。
(もちろん、何かひとこと付け加えねばならない。との意見もあってしかるべき・これを否定するものではありません。=多様性その本質ですから)


過去からそれが挨拶として当たり前だから。
その理由だけで何の疑いもなく...、

- 個人の感覚の多様性への配慮不足
- 形式主義的なコミュニケーション
- 強制的な共感の押し付け

といった感覚を、時代が大きく変化している中で貫き通すのはかなり息苦しく感じます。
時代とともに、コミュニケーションスタイルも進化する必要があるはずです。
伝統を尊重しながらも、個人の感覚と多様性を大切にする新しいアプローチが求められているのではないでしょうか。

文化は固定的なものではなく、常に変化し、適応していくものだと考えています。
もちろん、残すべきは残し、新たな世に相応しいものへと。



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