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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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伝えるから「伝わる」

伝えるから伝わる photo 宮本章光

伝えるから伝わる。
伝えようとしなければ、伝わらない。

当たり前のことを忘れ去った地球人。
至極当然のことを忘れ去った日本人。
氣がついたのなら、
それを取り戻し、再度活性化することに注力すればよいだけ。


数を追い、数を最大化することだけに意識と思考がバグってしまったこの国の人間は、
眠り続ける者へも、目覚めよと大音響のアラームを鳴らし続け、覚醒者の数を増やすことだけが正解だと間違いを冒し続ける。

数を増やすことで世の中を変えるのではないと、自分そのものが目を覚ましていない。
世を変えるのは、自分の意識から生み出した望ましいエネルギーがスタート地点であることを。
この先の風景を変えるのは、自分の心から生み出す望ましい周波数によって顕現化させる仕組みを使いこなすことを。


ここに到達した人たちが飛躍的に増大していると肌で感じられるようになりました。
ここまで、ようやく手が届きました。やっとここまで来ました。
すでに自らの心を「どこにシンクロすればよいか」をしっかりと理解しているでしょう。
そして、能動的に行動するとは、
「どのような周波数に合わせてゆけばよいか」を実践することだと理解できているでしょう。


心から「伝えるから伝わる」。
美しいと伝えるから伝わる。
この伝播と拡散によって、この地を望ましく心地よいエネルギーで満たしてゆきます。
その閾値となる臨界点をもうすぐ超えるはずです。

伝えようとする。
それが行動。
それが実践。
伝えようとするから伝わります。




選択は二つだけしかない

IMG_9651_2025.webp

--何かを言うと、意図的にその反対意見を申し立てる。
--何かを書くと、意識的にそれを否定する。

そんな人たち。
でも、もう消えてゆきつつあります。

これらの人たちとの接点から学んだこと。
それは、
自分の選択は「たった二つだけ」だということ。


賛同するか否定するか。
もちろん、細分化すれば一部分だけは賛同、一部分は否定、といったような形・状況はあるかもしれません。
それをどちらでもない、と言うのでしょう。
しかしそれとて、もはやどうでもよいこと。すでに関係ない古い過去の周波数になりました。

宗教など最たるものだったと判ります。
従うのか・そうでないのか。
教義が定められている以上は、一部分だけ従うなんて形は存在しないわけで。
いかにも、隷属化を目論む支配者たちが捏造し、それを利用した意味がここにあることが理解できます。

それらを全て超越したところにあるのが「悟り」だと語られます。
「差」を「取り除いて」一律同質化する境地にまで至るから、「差を取って」さとりなのだと。
正しい解説に違いありません。ええ賛同します。

しかし究極の境地に至ってさえ、それらに賛同するかそうでないか。その選択は存在し続けるはずです。
ここで真っ先に反論が届きます。だがそれは悟りではない、その境地に至っていない未熟者だ、と言い訳されます。
ですが、選択が存在するかどうか、それは究極の境地に至ったかどうか、とは直接の因果関係はないと感じます。


この地・この世・この物理物質次元に、物理実体として存在している限りは、選択は消滅しないのです。
両極のエネルギーがセットでなければ存在し得ないのと同じでしょう。
何をどう突き詰めてみたところで、ここ物理次元では、選択はあらゆる場面において不可避だと知り得ます。

もちろん、量子重ね合わせで示されるように、すべての選択肢が同時に存在している限り、あらゆる選択が無数にあることが判ります。「選択肢そのもの」は二つだけではありません。
ただ、
上記のように、あらゆる選択肢があるかないか、と、どれを「選ぶか選ばないか」とは論点が異なっていると感じます。
数が無数にあることを論点にするのと、選ぶ・選ばない、に焦点を合わせていることと。
ここにも関連性はありません。
そして、突き詰めたからこそ、究極は賛同するか否定するか。その二択になることを体得してゆきます。


この地では、選択は二つしかありません。
ならば、選ぶのか選ばないのか。どちらに向いて道を創り上げるのか・やらないのか。




エネルギーの本質は「向こう側」にある

まだこれからの果実 photo 宮本章光

目に見えないものを蔑ろにする人たちからは離れて。
ともに未来を創り上げる仲間ではないのですから。

それを悪平等のもと、だれでもみんな一緒に仲良く。
と、間違って教育段階から刷り込まれてしまったために誤った解釈がこびり付いて取れないようです。


仮に、何らかの料理が目の前にあるとします。
そこに、砂糖も塩も、醤油もソースもラー油もタバスコも、すべてを注ぎかけたらどうなりますか。
ええ、みんな大切な調味料ですから、みんな仲良く。それぞれを尊重して大切にしましょう。きっと美味しくなりますよ。ですか?

まず口に含むことさえできないはず。
この感覚と同じでしょう。

それぞれれ役目があり、それぞれが「活躍する場所とタイミング」は決まっています。
これを、
美しくない言葉ですが、味噌もクソも同じに語ってはなりません。山の生き物と海の生き物は一緒には生きて行けませんよ。
と、説明・語られているわけでして。


この地は、生きる多様な自然観察園として実験されてきたとも伝えられています。
ですが、そもそも周波数が異なりすぎる存在はともに成長することは叶わず、最終的に破壊と滅亡に至ること、何度も繰り返し証明されてきました。
まして、途中で激しく紆余曲折、他星系からの侵略や略奪、支配を目論む存在の流入により、それはさらに激化したといいます。

すでに多くの論議が尽くされ、数多くの痕跡による歴史的証明もなされている昨今、地球に住む人間だけが大宇宙で唯一無二の存在であり、最も優れた存在である。などと思い込んでいる人たち。
そして、目に見えないものなどあるわけがない。と蔑む姿は哀れでさえあります。

然るに、そうした周波数の違いすぎる存在と仲良く、という論法そのものが破綻していることを知ったなら、そして学びを得るためにその接点が与えられていたことを知るならば、ただ単に「多くの体験・学習のために出現してくれてありがとう」と感謝を手向け、離れ、それで終わりです。


ここに、目を覚めせよ悪事を知れよ!と、叫び続ける愚を重ねないことです。
起床後、極めて慌ただしい朝に、いつまでも繰り返し目覚まし時計やスマホアラームが鳴り止まない、そんな状況は要りません。やかましいだけ。もう多くのひとたちは起きているのですから。
止めても止めても、スヌーズが止まらない。
故障していますその時計。電池を抜くしかありません。

同じでしょう。目を覚ませと叫ぶ人そのものが「故障」している証でもあります。
故障具合によっては修理もできましょう。けれど致命的に、彼ら自身の周波数も「違いすぎる」わけですから、同様に離れるだけ。


ここでさらに学びを得ます。
エネルギーは、表出している接点となる「表の部分だけ」を観察するのではなく、そのエネルギーを発する根源を見極める必要があるのだと。
壊れた目覚まし時計のように、叫び続けるひとたち。
彼らは、本当はもっと深い想いがあるのかもしれない。もっと違うところに心の叫びがあるのかもしれない。

ここを知ろうと努力してみるのは、一度は必要だと感じます。
そして、そのエネルギーは表には出て来ず、彼らの心の底にあるはず。それを捉えてみたいと。

そのためには、その周波数に「一度だけ」合わせてみるのです。
ですが、
深い想いや心に秘めた思いなど「皆無」な人たちは、やはり著しく波動が落ちるだけで、そこには何もなかったことが判ります。
ただ単に、救世主気取りで声のデカい自己顕示欲の塊だったのかな、と。
ここまでの作業をした上で、
やはりこの先には不要であり仲間ではない存在は離れるのみ、となります。

この国の言靈に置き換えるなら、
「悪縁を断ち良(善)縁を育む」そのものだと理解できます。
差別するという意味ではなく、本質を見極めるということ。
ここを洗脳によって誤って認識させられてきたのです。


この作業で得ることは、
エネルギー波動さえ、表面だけではなく向こう側にあること。
まさに、味の「向こう側」にそのエネルギーの本質があることを学びます。

食べ物のエネルギーは、味として表出するだけでなく向こう側にあり、まして目に見ない、その存在が持つエネルギーがあります。
すべて、こうした仕様・構造であるかどうかは不明です。けれど、その「向こう側」を知ろうとしてみることに価値があることを知ります。

このようにして、目に見えない向こう側にある力を「なんとなく感じる」練習を重ね、その本質を受け取ることができるようになります。
次は、こちらからも感謝のエネルギーをお返しするワークですよ、と、ロードマップはすでに見えています。




弱音を吐いても現実は変わりません

いつもそこに photo 宮本章光

限界です。
もうボロボロです。
ひたすら耐えています...。
早く救世主を...。
そう仰るのなら、言葉を発するだけの力がまだ残っている証明でもあります。

その力を、新しい道を創るために使ってみてはどうでしょう。


道は大きな重機がないと造れないから自分の仕事ではない?
土木の許認可が必要だとか、土地所有権が何だ、巨額の費用がどうだとか。
それはフォーカスする対象が完全に間違っているのです。
この論議をしている時点で、学習教材の「残り・学び残し」を大量に放置していることに氣づきましょう、ということです。

物理実体として道を造るには、当然重機が必要です。
しかし、そうではなくてその前に「思考ありき」であること。
この極めて重要な仕組みに早く氣づけよ、ということです。

くるくる詐欺然り。
わくわく詐欺然り。
自らが放つエネルギーの「仕組み」を理解すればそれが現実になります。
だから、
彼らは正しいのかもしれません。ええ正しいでしょう。いずれそうなります。
思考はエネルギーだから。意識こそがすべての根源だから。
生み出されたエネルギーが時差を経て顕現化する。揺るがない法則そのものだからです。

ですが、
もう耐えられません...と宣うのなら、そのエネルギーを新しい風景を創り上げるために使ってみる。
言葉が話せ、あろうことかSNS無限スクロール泥沼に嵌って喜んでいる限り、まだまだエネルギーは十分に有り余っているはず。
本当に物理実体の限界を見たのなら、
眠っているか起きているかさえ不覚の状態(立っているだけで居眠り運転状態)になり、食べ物を口にする力さえもなくなります。鳴り止まぬケイタイに手を伸ばすことさえできません。腕を動かす力と気力が底を尽きます。

思考は負の波長で溢れ、負の念に取り憑かれ、抜け出せない惰性の行動が続きます。
最後は、体の最も弱い部分が病み破裂し冷たい床に寝かされ点滴が打たれます。
これで終わりかも、と漠然と感じる瞬間・黒と白で描かれたモノクロ映像のような目の前の風景を見ます。

わたしはこの段階で天からの啓示が降りてきたので、いまここに生かせていただくことが叶っています。
誰もこの極みまで味わう必要などありません。
けれど、
力を注ぐ対象・フォーカス先を間違っているために、この地・この世はいつまでも目に見えた変化が起きません。

それを起こし具現化するのは、
「わたしたちの意識の集合体」が望ましい道を創る、と、ひとつに束ねられたその瞬間に可能になるものです。
それは仕組みだから。


日付を指定したwebのくるくる詐欺は、ある意味では「その期待と前向きな」意識を保持し醸成する目的では意味があると思います。
でも、それを待つ限りは、待ち続ける現実が繰り返されるだけ。
地下の闇がどうだ、誰が処刑された、だとか。そんなことにフォーカスするから、いつまでもその現実が続きます。
それは、あなたが作っているだけ。
そして、それを見る人たちがさらにそこに油を注ぎ続け、その現実をいつまでも固定し継続します。
見えないところで白帽子が活躍してくれている...、わくわくして待ちましょう。などと。

ええそれは実際に、その通りなのかもしれません。
ですが、
それはどうでもよいことと氣づきましょう。です。
それはわたしたちがフォーカスする対象ではありません。
先ほどの、道を造るには重機が必要で土木許認可がどうだ、というその例えと同じです。
実地の作業はその事業者に任せればいい。


わたしたちが果たす役目は、
望ましいエネルギーを無から生み出し、それを拡大拡散すること。
この先に望む、穏やかで心地よい周波数を生み出し、それをわたしたちの集合意識としてこの世に顕現化させてゆくこと。

それ以外に、この目の前の風景を変える方法はありません。
当然、時間の経過とともに崩壊するタイムラインにある世界は消滅してゆきます。ワルものも消滅してゆきます。
ですが、
同様に、その周波数に合致した意識をキープしているひとたち=webのノイズに触れ続ける人たちも消滅してゆきます。
同じ周波数はシンクロし、同じ変遷を辿るからです。
目に見えないモノ・コトをいつまでも否定し続ける人たちも同じです。
その周波数は、この先のこの地では存在できないからです。来たるシフトの機会で消滅することは確定しています。
加えて、
ボロボロです、限界です...と、訴え続ける人たちも同様に。
ボロボロで限界である現実を、自分自身で生み出し続けているのですから。
この先には必要ありません、と自ら宣言し続ける愚行。


現実とは、先に意識として生み出されたエネルギーが時差を経てこの地に顕現化した結果を言います。
であるならば、
生み出す元の段階で、望ましいものを発生させなければ、その後には何も変わりません。
ここを学ばない限り、教育教材は大量に未履修のまま、何度でもやり直しするだけです。

【参考記事】
[Link]どうしてこんな目に遭うんだ?2025/08/04(Mon)


みんなもうボロボロです。
みんなすでに限界などとっくに超えています。
そこを抉って弱音を吐いていても、現実は一切変わることはありません。

そこに使う力は、
「望ましいこの先の世」を具現化し「望む道を描き出す」ために使うのです。
それを「心の使いこなし」と言うのではありませんか。

美しく、ひたすら美しく咲き誇る存在から学ぶことは、まだまだ数多くあります。
世は、すでに心の波動を語る時代に変わっています。




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