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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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舞台はいつもそこにある

舞台はいつもそこにある photo 宮本章光

舞台はいつもそこにある。
けれども、
そこに行かなければ目にすることは叶わない。
そして、
その役者にフォーカスしない限りは絶対に会うことはできない。


これを論理的な観点から語れば科学になるのかもしれません。
そして、物理実体ありきの意識にとどまっている限りは、行動することこそが世を変える秘訣である!と繋がって行きます。

もちろんこの論法の中に間違いは何もありません。
しかし、
観点を変えてみますと、別の語り口になることがわかります。

そこにある舞台の中から、特定波長に合致した意識により観測をすることで、量子重ね合わせとして存在していたあらゆるシーンの中のひとつの選択肢が選ばれ顕現化するのだと。
二つめの観点による語りです。

またもうひとつ違った語り口にしてみましょうか。
三つめとなる観点です。
そこにある存在に心の波長が合った瞬間に、その美しさと存在感・一期一会の出会いを齎すのは、心の周波数であり意識したものが具現化する実体験そのものだ。と。


どれもどこにも間違いがないと思われます。
切り口が異なっているだけで、これほどまでに感触の違ったものになる実例でしょうか。


ここしばらく何度も繰り返し記しています。
人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。
この延長線上に、意識と思考が顕現化する世が生み出されてゆきます。と。

まさに自分が信仰する宗教を「押し付ける」かのごとく、これが唯一無二の真実だ。
と、やっていることそのものが、二元化多極化・分離のエネルギーであることに氣がつきます。
もちろん、
それを体験するためにこの地にやってきたのですから存分に味わえばよいのですが、すでに味わい尽くしたのなら「卒業します」と意志表示する必要があります。


ここが抜け落ちていないでしょうか。
正しい宗教はこれだ。だとか、真実はひとつしかない。科学的思考からはこれが絶対であり間違いはありえない。(自分もこれらの落とし穴に見事にハマりました)
などと、いつまでも続けないことです。
それを続けること=まだまだ味わい足りないため分離と二元化・二極化の体験を続け、苦しみと怒りと恐怖のエネルギーを自分も生み出してハマり続けます。それがわたしの楽しみであり趣味ですから。
とやってしまいます。

重ねて書きますが、それを希望されるのであればどうぞどうぞ。納得がゆくまで続けていただければ。


しかし、わたしはもう味わい尽くしました。
よって、この先に望むエネルギーだけを選択したく感じています。

---選んだらそれを実践・実行する。
ひとつめの観点からの語りです。

---観測によって選択されたものが顕現化する。
これは二つめの観点でしょうか。

---心地よく望ましいエネルギーを抱くからその周波数にシンクロするものが目の前の風景になる。
これが三つめの観点による語りでしょう。


どれも正しく、どれも間違いではないように思われます。
旧来のレイヤーから卒業の意志表示をする限り、この先には、その先のエネルギーにシンクロしたものが現実として顕現化してゆきます。

すでにこの地のロードマップには「旧来のエネルギーはこの地で存在できない」と明確に記されている以上、自分自身も意識・精神性の拡大を果たし、新たな地に相応しい周波数にチューニングしてゆきたいと思うわけです。


そこにフォーカスする・シンクロできるかどうか。
それは、自分自身で自分の心を「然るべき波長」に合わせる必要があります。

人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。

舞台はいつでもそこにあるのですから。




夏の思い出:2

目まぐるしく過ぎゆく2025の夏 photo 宮本章光

この夏の思い出。
目一杯。

素晴らしい存在と素晴らしい出会いと。
奥にあるもの・コトが見えるようになった夏。

この調子で感覚を取り戻してゆきます。
人を変えるのではなく。
人が変わるのを待つのでもなく。




お花畑という言葉で蔑んだ過去を撤回したい

サンゴジュへ photo 宮本章光

仕組まれた分断。
高いところから見下す感覚。

もっと頭を使え。
もっと意識せよ。

すべて何もかも負のエネルギーを増幅するように故意に仕組まれていた世の中でした。
自分は、これだけよい子ちゃんだぞ。そのようにアピールし優越感に浸る。

終わりました。
そんな世の中。
崩壊することが確定している牢屋からさっさと飛び出ることです。
いえ、居残って共に滅亡したいとの意志表示は本人次第・尊重されるべきものですが。


お花畑思考。
そんな言葉。最たるものでしょう。
まさに、自分は「そうではなくもっと賢い」「そんなレベルでなくもっと意識高い」。

この感覚そのものが仕組まれた洗脳教育が生み出した分離意識。
しかしながら、
みんなお手て繋いで一等賞、ってな対極にある感覚も同時セットで用意されてきましたから、反対側に正解があるわけではありません。
どちらも対になった巧妙な仕組みでした。
分離はよくない。と、そうやって、結果として「どちら側についても」結局は支配者層の思惑とおりになるオチでした。


このレイヤーから綺麗さっぱり脱出してください。
わたしも同じ過ちを繰り返してきました。
そんな浮ついたことに心を持ってゆくのではなく、世界情勢も経済社会の不合理も、もっともっと探求しろよ!
などと。

ええ、失敗をしたから今があります。
ですので、いつまでもお花畑ではダメだ、などと叫ぶ人もその人自身が学ばない限り永遠に続くことでしょう。


数日前に書き記しました。
人を変えることをせず。
人が変わるのを待つことなく。
この延長線上に、意識と思考が顕現化する世が生み出されてゆきます。と。

まずは、お花畑思考ということばを通して見下した意識を生み出したこと。その過去を詫びるところから。
そして、
本当は美しい植物たちに感謝を捧げてください。

そうすれば、彼らとともに歩む道が創り出されてゆきます。
意識するものが現実となります。
思考は顕現化してゆきます。
それが仕組みだからです。




僅かに遠出するだけで異なる生態系に

異なる生態系に photo 宮本章光

徒歩で僅かに遠出するだけで異なる生態系に触れることができます。

見慣れない昆虫、獣道。
樹々の輝き、土の色。
水の響きに、その匂いまで。


新しい道に入れば、新しい波長に触れることができます。
同じように、
望ましく新しい世は、新しい波動によって心から創り出すことができます。

大自然は、いつも新たな発見と体験を生み出し続けます。
そこに身を置けばこそ。




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