アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2872]

感動体験のために生きている

朽ちた抜け殻からも photo 宮本章光

先月の投稿
【そこに舞台が用意されているから】2025/08/21[Link]
の記事にても触れました。

一切手を触れることなく。
何ら仕込みすることなく。
そこに舞台があるから足を運ぶ。

それだけ。
そこに感動体験があるから。
それが選択。


わたしたちは、
喜びも悲しみも、苦痛も恐怖も、すべてをともに味わうためにこの地にやってきた、とされています。
もちろん自分から希望して。

まだ「負の感覚」を味わい足りない人たちは、この体をお返しした後は「他の星・他の地」で続けることになります。
なぜなら、この地は負のエネルギーを選択しない星になるから。もはや語り尽くされた感があります。
でも、
そこに「負の波動が存在しない」のではないこと。ここを誤解してはならないように感じます。


どの世でもどの星でも、あるいはどの次元でも、
正・負ともに両方のエネルギーが存在し、善・悪の生命いずれも存在しているはずです。
ただ「どれを選択する」のか。それだけの違い。

選択しなかった側のエネルギーはその周波数に合致し燃料を注がれることがなくなるために消滅する。
単純な、そして至って明快な仕組みです。
逆もしかり。
いま、その逆をいつまでも続けるのは、この地の崩壊とともに消滅することを希望する人たち(魂)だけです。
もう消滅・崩壊確定したエネルギーに合わせる必要など一切ありません。


よって、望ましい道を切り拓き、創り上げてゆくには、
望ましい波長を選択することによってのみ実現してゆきます。
それが法則だからです。
そして他の方法はないからです。

ここまで意識を拡大し精神性を高めた者だけが、新たな地に存在し続けることができる。
至極当然かと。

同時にはっきりと氣がつく感覚があります。
無理にわくわくして、などと自分を偽る必要が一切なくなるとともに、なんと馬鹿げたことをやってきたのかと。
然るべき波長にシンクロしたならば、自動的に湧き上がる感動が生み出されてゆきます。

目の前で崩壊してゆく混沌とした世に触れ続けていますと、それは決して叶うことがありません。
この過ちを避け、望むエネルギーを得るには、
先人がもっとも大切にしてきた自然と共生する感覚を取り戻す必要があるでしょう。


自然と触れる・そこに足を運ぶことで、何ら意図せず一氣にその周波数に引き込まれます。
自動的に湧き上がる感動は、その波長にシンクロした証です。


わたしたちは、詰まるところ「感動体験を得るため」に生きていることに氣がつきます。

そこに感動体験があるから望む世が生み出されます。
それが選択だからその世を体験することが可能になります。
その舞台を、少しでも多くこの場に残し、伝えてゆきたく思います。




「氣」そこにある見えないものを伝える

流れを眺め photo 宮本章光

流れを眺め。
流れに響き合う。


そこに響く「きめ細かく変化した」流れが生み出す感覚に浸ります。
さほど大きな音量ではないので、そよ風にたゆたう樹々の様子・葉が擦れる音、そして遠くで囀る小鳥の声に意識を合わせることができます。

澄んだ水は川底の赤みを美しく伝え、緑色の元素を含んだ岩石と亀裂は、そのいにしえの生成期へと想像を掻き立てます。


ここまで、画像を一見すれば見えてくるもの・聞こえてくるもの。
この先は、
そこにある「他の感覚」に意識を合わせてゆきます。

どんな感触でしょうか。
何色に近い印象でしょうか。
肌に触れる温度は暖かいですか。冷たいですか。
頬を撫でる風は丸い感覚でしょうか少し尖った感覚もありますか。
匂いはどうでしょう。
実際には口にせずとも、その水の深みのある味覚を感じることはできますか。
空氣の味もあるでしょう。


すでに与えられている「五感」でさえ、総動員すればここまでの多くの情報を感じることができます。
それすら麻痺してしまっていることに氣づきます。早く取り戻してください:自分の意志と選択によって。

そして、次は、
その場にある見えないエネルギーに合わせてみます。
それは、五感の延長線上にあります。特殊能力は必要ありません。

言葉に落とし込むのなら、
それは、心地よさであり温かみを感じる感触であり、あるいは涼しく爽快な感触かもしれません。
それとも、
冷ややかで、ちょっとよそよそしい疎外感にも似た感覚の場合もあるでしょう。


どちらの感触・どの感覚がお好みでしょうか。
それを選択するのが自らの意志であり、その選択の機会・回数を何度も何度も繰り返し経験しているうちに、直感・勘が戻ってきます。
同時に、その場のエネルギー波動と合っているのか、異なっているのかを理解できるようになります。

特別な教材購入やSNS繋がり、いいね!もチャネル登録も申し込みも要りません。
そういった他力本願的な、あるいは既存のメディアに頼るクセから脱しない限り、開眼は遅々として進みません。
(それもひとつの手段であり必要なことは理解できますし否定するものではありません。が、一氣に突破するには自分でハードルを上げ課題を課すチャレンジも必要だということを伝えたく思います。)

この地・この世は、必ず両極のエネルギーがセットでなければ存在できない場所です。
且つ、旧来のオールドメディアは仕組まれた負のエネルギー発生装置である限り、いつまで経っても騙され落とし穴に落ち続けます。
負のエネルギーを求める存在は、永遠に「善を装い」「善のふり」をして騙し続けます。
でも、それとて必要な体験かもしれません。
そして、
次にはもう「落ちたくない」と心に誓うのか、それとも「また落ちたい」と、まるで無理やりに水たまりを歩いた幼稚園児時代の感覚と同じことを続けるのも一つの選択肢に違いありません。


選択の練習をする機会を与えてくれる大きな仲間とその仕組み。
この国の先人が奉った大自然そのもの、その膨大な情報とエネルギーを、ここに伝えてゆきたく思います。




近未来はいま何を見ているかによって決まる

布引五本松かくれ滝 photo 宮本章光

思考とはエネルギーそのもの。
エネルギー波動は同じ周波数で共鳴し振幅を拡大してゆきます。


何を見るのか。
何を感じるか。
何を思うのか。

思考が根源となる波動を生み出し、時差を経て現実を創り出してゆきます。
よって、
いま、何を見ているかによって自分の近未来が決まります。

他人が世の中を変えるのではなく、まして政治などではなく、あるいは救世主でもなく。
だから何にフォーカスするのか。
この部分が極めて重要だと言われる所以です。

自分自身が自分の道を創り上げます。
いま、何を見ていますか。




美しく過ぎ去った時間

IMG_8344_5d2025.webp

想いはそれぞれに。

この地においては、時は一方通行とされ、その中で目一杯の体験を重ねます。
美しく過ぎ去った時間の流れから。



105768416
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories