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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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何度でもやり直せる

ひっそりとけれどしっかりと photo 宮本章光

いまを楽しむ。

その言葉は、怠惰に無駄な時間を流すような負のイメージがあるかもしれません。
けれど、
いまこの瞬間は、ここにしかありません。
物ごとは捉え方次第である、という学びを得る機会が訪れたのでしょう。


怠惰に過ごすことさえもご自身の選択であるならば、それはそれで大変貴重な経験となってゆきます。
その瞬間に、それは「怠惰ではなく必要な時間」と価値が転換します。
それを体験することに意味があるからです。
まして自分自身で選択したのですから。

偶然は決して存在しない、とされます。
すべては必然。
その結果を生み出すのも・体験するのも、すべては「元(もと)」があり、自分で自分の現実を創り出しています。

元とは、
心に抱き描き出したもの。
思いがまず先にあり、その周波数のエネルギーが生み出され、その後に時差を経て顕現化。
この流れを知り、そして体得する。
それが体験でありそれは必然。


怠惰がよくない。と思うのなら、
それは「よくないという現実」として自分が創り上げてしまいます。
怠惰さえ意味がある貴重な機会だ、と感じるのなら、
それは「貴重な体験」として、同じく自分自身で創り上げるのです。

原因があり結果が導かれる。
あぁ時間がもったいない。もっと他にやることがある。
そのように思えば、もったいない時間としてしか得るものがないと氣がつきます。自分がそのように創造したからです。
単純に、他にやることがあるのなら、優先順位の付け方が未熟であるだけだと氣がつきます。

しかしながら(過去にわたしも陥ったように)、
どう考えても24時間では足りない。
どう考えてみても体が一つでは絶対に回らない。
ケイタイが鳴り止まない、ものを食べる時間がない、寝る時間がない。
そして、大切な借り物の体を失う寸前まで行ってしまうのです。
(あろうことか、それを勲章にするような風潮さえあった過ちの時代でした。)

当事者は、極限状態に近いこともありその現実を自分で創り上げていることにまで意識が回りません。
答えは簡単。
その環境を脱すればよいだけ。
はい、ですがそこで再び、それはできない・カネのため・生活のため。
と、自分で制限を「生み出し」ます。

わたしは、結果として職は変わり、その後も20年間この世で生きることを許されています。
できないのではなく、できないと一方的に決めつけ想念で生み出し、それを顕現化させていただけだったと。


心のエネルギーのつかい方。
これが氣の使いこなし。
氣のつかいかた。

ここまで開眼すれば、望ましい波長を選択する意味とその重要さが理解できるはず。
そして、望まないノイズや隷属化仕様の旧いエネルギーに触れ続けることがどれほど有害かさえも。


これは違う!
と感じれば、それとは「違う」ものを選び直せばよいだけです。
選択は何度でも可能であり、選択肢も無限に存在していることがわかります。
ただし、
この肉体とこの環境で味わうことが可能な条件では時間制限があります。寿命という限界が。

ここをしっかりと分離し認識しておきさえすれば、何度でもやり直せる。
そして、
異なる体と環境となれば、これはもう永久に何度でもやり直せるのです。

然るに、いまここで何を感じ何を生み出すのか。
ここを最大限に楽しめばよいのだと、結論に至ります。
それが最も望ましいタイムラインを自ら創造する方法だからです。


楽しく生きればよい。
何度でもやり直しできるのです。



けものみち

けものみち photo 宮本章光

虚無。
無心。
無人。

思考は広大無辺。
無制限、無尽蔵。

空間に同化する。
空白を創り出す。
獣道で出会う無限空間。



何を考えて生きる

光の舞台に photo 宮本章光

体とは「想念の出入り口」。

心に抱き描くものを「現実という世界に顕現化させる」ためのツールであることを。
心に生み出したエネルギーを「現実というフィールドに創り上げる」ことにより仕組みを学ぶための媒体であることを。

何を感じ、何を得ますか。
何を描き、何を創り上げますか。


いつまでも乳幼児ではないのです。

すぐ横で逞しく生き抜く存在に。
恥ずかしくないのか。
地球人よ。


騙されて然るべき魂

流れと今と photo 宮本章光

学びとは、
体験することでしか得られないのでしょう。

この大原則そのものを学ぶために、この地・この世に存在しているのだと。


騙される人は、自ら魂レベルでの成長を望まない限り永遠に騙され続けます。
それを味わうために生きています。
それを望んでここに生きています。

他人は、その「学びと成長のプロセス」を邪魔してはならないことを「他人として学び」ました。
貴重な借り物の物理実体(=体)を失ってさえ、それも当人の学びであると。
そして、
物理実体を失うことですべてが終了するのではなく、それを区切りとして更なる成長を果たす必要があることまでも。

今生・今世で何もかもが終わる。
体を失うことはすべての終わりである。
それは苦しく恐ろしいことである。

と、恐怖のエネルギーを抱くように仕組んだのは、一度しかない人生だ、と、馬車馬のごとく走らせ続け隷属化するためのものでした。
まして、
宗教というツールに紛れ込ませ、言葉巧みに「三罪を永遠に背負い続ける」と深層心理に刻み込むなど、見事な洗脳でありました。


この段階まで覚醒を進めなければ、永遠に負のエネルギーの次元を繰り返すだけです。
善意を装って近づくなど、真っ黒だと直感が指し示してくれるはず。

成長とは、こうした感覚まで含めて善悪の判断が明確にできること。
騙され続けるのは、騙されるだけのレベルでしかないと自覚をし、更なる魂磨きを続けるのみです。

それはダメなことでも恥ずべきことでもなく、
そのプロセスを通して成長・進化を達成できるという貴重な体験。
この意識がない限りは、永遠に騙されて然るべき魂レベルのままです。



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