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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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芽吹くまで

芽吹く朝を望み photo 宮本章光

もうまもなく芽吹く。
あと少しで花開く。

単なる待ち時間を流すのではなく。
単なる空白の時間を消費するのではなく。


流れに身を任せる。
それは、
旧いエネルギーに翻弄され流されてしまうことではなく。

現実とは、
描き出した心の波動が顕現化したもの。
現実とは、
抱いた心の波長に合致したものが結晶化したもの。


もうまもなく花開く。
あと少しで美しく謳歌する時を迎える。

エネルギーの転換点は「不安定になる」とされます。
「留」の状態。
その瞬間まで、静かに在り方を整えて。

ありがとうございます。



[やり方]ではなく[在り方]

川の淵に臨む photo 宮本章光

先般、
Link[何が起きるか]ではなく[今どう在るか]
でも触れていました。

「どう在るか。」
究極の心の使いこなしだと感じます。

そして、どうしても「やり方」に固執してしまう長年の教育洗脳による思考のクセ。
---それならどうすればいいのか?
---それなら何をやればいいのか?

やり方へフォーカスしてしまう。まさにクセそのもの。
モノが形をとって存在しているこの地だから当然と言えば当然ではあります。

何かを変える。
それはモノでなくても、意識でも。
でも、やっぱりそれは「やり方」に対して持っている意識なのだと。


「やり方」ではなくて「在り方」。
あり方とは、
どういった周波数の状態でいま自分が存在しているか。
どのような周波数に合致しているか。

冬至だから...春分だから...。

そして、何かあるごとに「やり方」を探し回る。
次には、夏至だから・秋分だから...。でしょうか。
まるで永遠のスパイラル。

やり方に腐心し、やり方を探し求め、やり方に対して試行錯誤している限り、永遠に答えが導き出せないはずです。
やり方を探す限り、
やり方に対して理解できていない「不足と欠乏」の周波数に合致しているからです。

そして、
その答えそのものさえも、導く必要がないことにまで理解が至った瞬間に、あり方の本質に到達できるはずです。
それがあり方。


[やり方]ではなく[在り方]。

伝わるでしょうか。この感覚。
同じ感覚を共有できる方々はいらっしゃるでしょうか。



追いかけず感性を磨く

ボケが花開く photo 宮本章光

春分のニュートラルポイントを超えました。
それは客観指標である宇宙カレンダーの重要な転換点でした。

明暗・善悪・表裏が完全に均衡した、プラスでもなくマイナスでもない「ゼロの状態=白紙の状態」を越えたことを示しています。
わかりやすい言葉で語るのなら、
昼と夜の長さが同じ瞬間(=完全均衡状態)を越えたこの先は、昼の長さが増えてゆく期間。
春分を超えたから、この先は昼の時間が長くなる状態へ移行する。
そういった方向性を持った「絵が描き始められた」ことを示しています。

その本質は、
自らの心が何を選んだかによって、その周波数に合致したものが顕現化する。とも言い換えることができるでしょう。
何を描くのか。どちらを選ぶのか。
まさに、選んだ通りに現実となってゆきます。


小学生の頃まで、実家には木瓜(ぼけ)の木が植えられていました。
このような白色が混ざった種ではなく、真紅一色の深い赤色の花を毎年披露してくれました。

植物の姿からは、常に何かを選択して結果を導くことを学び得ます。
最適な時期・瞬間(旬)を選び美しく花開く。それも選択の一つであることを。
花を咲かせない選択もあるはずですから。


情報という名のノイズを追いかけず、季節を感じ・美しさに共鳴できる感性を磨いてゆきます。
それがこの先の大きな流れの波長だからです。
まさに昼の長さが長くなるフェーズに移行したと同じように、その周波数に抗わずに。

待ち続けず。
流れに逆らわず。
自ら描き、生み出してゆきます。
そのために必要な感性を磨くことを忘れず。



この街で生きる理由

この街で生きる photo 宮本章光

この街で
いまここに
存在する理由。

このまちで
今ここに
生きる理由。


どの方向にどのように歩むのか。
魔法のような奇跡を待つことなく。

いま、旧い舞台に幕を降ろします。
そして
春分点:2026年3月20日23時46分の転換点を迎え、新しい幕開けを迎えます。


何も描かれていない白紙には、
何でも描ける自由度があることを。
どのようにも描ける余白があることを。

流れに抗わず
流れに逆らわず。
ニュートラル・ゼロポイントを。

この街に生きる理由。
この街で生きる理由を。
いまの在り方を。



[何が起きるか]ではなく[今どう在るか]

輝く photo 宮本章光

在り方(ありかた)。

整っている状態。
流れに逆らっていない状態。


春分には、何々をどうするのが良い。
区切りの日は、何々をどう考えるのが良い。
と、
節目がやってくるごとに、まるで小手先の「やり方」マニュアルのような情報が溢れます。

少し前にも過ごしてきました。
---冬至には◯◯をしなければならない。
---冬土用だから◯◯は避けなければならない。と。

それは、先人が蓄積したナレッジであり大変有用な言葉に違いありません。
正しいか正しくないか、という観点では正しいに違いありません。
けれど、
その貴重な財産を「受け取る現代人の受け取り方」が誤っている可能性があることに氣づいているでしょうか。


上記の言葉を再度重ねるならば、
「やり方」マニュアルのように、あるいは入試に出る極秘情報だとか、ゲームの必勝法だとかの感覚に近いように見えます。

--こうすれば、こうなる。
--これさえ避ければ、決して悪くならない。
といったような、本質を欠いたうわべだけをトレースする姿になっている可能性に氣づきたいわけです。


「在り方」とは、この本質を突いているのです。
春分は宇宙元日だから...春分には新たなサイクルが始まるから...。
と、
同じ過ち・同じ落とし穴に次々にハマってゆきます。


2026年の年明けに「今年はこんな自分になる」「今年はこんな目標を実現する」と、小学校で習った間違った教育洗脳そのままに抱負を掲げた人たち。
いま3ヶ月と半分が流れ、その通りに僅かでも実現できているでしょうか。完遂できる道筋が出来上がっていますか。

ええ、当然立派に実現なさっている方もあるでしょう。すばらしいことだと思います。
でも、
多くの人たちは、毎年毎年同じように実現しないままこの先10ヶ月を流し、2026年も「未達」で終わる可能性が高いはずです。

それは、
先人が残した貴重な財産を「受け取る現代人の受け取り方」が誤っている可能性があるから。


何をすれば何が起きる。
何をどうすればどのように結果が得られる。
と、
How to本のように小手先のテクニックとして捉えているからではありませんか。


「本質はやり方ではない:本質は在り方である」
と、この重要ポイントに氣づかない限り永遠に同じスパイラルから抜け出すことが叶いません。

今「できていない:実現していない」から「努力して力技で手にいれる」といった、旧来の発想そのままの延長線上であるからです。
「今、実現していない」周波数を大前提に構え、その波長に強烈に合致している以上、そのエネルギーが顕現化し続けます。
=決して未来永劫実現しない。となるわけで。


この世もあの世も、全てがエネルギーの振動である仕組みを知ったのであれば、
同じ周波数に合わせない限り、絶対に共振・共鳴は起きることがありません。物理法則は安易な願いで揺らぎません。


春分だから世の中が大きく変わる。
のではなくて、
春分には特別なエネルギー波動の状態である客観的事実を知って、「思い描く波動が顕現化しやすい」という特質を活用するという感覚です。
昼と夜の長さが同じになる。という説明そのものをみても、二極化のエネルギーが均衡しニュートラルに戻る。
すなわち、その時点で願い描くものがこの先に顕現化するために願ってもない白紙の状態だ、と容易に理解できるでしょう。


偽った心の波動は、その偽りのままに現実になります。
よい子ちゃんであろうと偽りの自己顕示欲をアピールすれば、そのまま盛大に裸の王様である状態がバレます。
偽物はきっちりとバレます。

すでにこういう世の中に変わってきているのですよ。と、氣づくことが求められています。
それは、
春分だから「何が起きる」のか、ではなくて、化けの皮が見事に剥がれ落ちるほど、心に描くエネルギーが現実になるそのパワーが強大な状態ですよ。と教えてくれていること。


世界中で春分・秋分を国民の祝日として掲げている国は、日本以外にあるでしょうか?
(他国では、宗教的に結びついた行事はあるようですが。)

「自然をたたえ、生物をいつくしむ(春分)」
「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ(秋分)」
この感覚を持って、現代人が受け取る必要がありましょう。


「何が起きるか」ではなく「いまどう在るか」

その本質が試されるゲート正面に立っています。
ウソ偽りなく、こんにちまで自分の精神性・靈性を磨き上げてきた人たちにとっては、待ってました!という瞬間でもあります。
そうではなく、偽りと他人軸で生きてきた人にとっては、すべての仮面が剥がれ落ち、恥ずかしく苦しい未来を歩み始める第一歩かもしれません。

それもこれも、全ては自分自身の選択の結果。
いままでずっと、どのように生きてきたのか。何を想い何を抱き何を描いてきたかということでしょう。



自分で練り上げる・待つのをやめる

芽吹きまであと少し photo 宮本章光

「待ち続ける。」

待ち続ける限り、待ち続ける現実を自分自身で創り出し、それを永遠に維持していることに氣づきましょう。ということです。

見た目には固い蕾のまま。
でも、
内側では、花開く瞬間に向けてしっかりと熟成を続けています。
まるで手のようにも見え、そこに生命の息吹を感じます。


いまだに今日も今日とて、
救世主が...、あと少しだ...、きっと大きなことが起きる...。
と、やっていると、その波長にフォーカスしている自分自身が「永遠に現実にならない」エネルギーを焚き続けています。
不足と欠乏・未実現の周波数にシンクロしているからです。

当然それは個々人の自由です。
が、観点・論点は人の勝手かどうか、そこではありません。
そうした人々が「減らない限り」「成長と成熟を果たせない限り」は、この地の現実という名の風景は変わりようがありません。
いえ、
そのように認識する「わたし自身」も、その現実を作り上げてしまうことはしっかりと理解できているつもりです。
ですので、この事項にフォーカスする限り、今度はわたし自身も「そこに燃料を焚べてしまう」ということまで判ってはいるのですが。

ただ、トリガーとなる波動としての「水面に一滴の水」を滴らせない限りは、静まり返ったその水面はいつまでも凍結したままであることは否定できないでしょう。
どうすれば氷結したままの池は春を迎えられるのか。

大変悩ましく、再度・繰り返し負のスパイラルに落ち込むリスクと向き合うだけの繰り返し。


放っておけばいい。人のことなど。
触らず離れればいい、他人の自由だ勝手だ。

放っておけば、凍結したままの水面は凍てついたままで終わるでしょう。
そして、
過去と同じように地球がグィッと体を捻った瞬間に、6度目だか7度目とされる大掃除で大海に沈むだけでしょう。


自分自身の世界は、自分自身の波動によって形成される。その大法則は多く知られるところとなりました。
ならば、自分で・自分ひとりで望ましい風景を望み、その原動力となる波動を生み出し続ける。
結果として、自分自身の世界は望む通りに顕現化する。...はず。


自分で練り上げる。そのことだけ一点集中。
少なくとも、外側に変化が起きるのを待ち続けるのだけはやめましょう。と。

伝わるでしょうか。
このエネルギーに響き合える人々は存在するのでしょうか。



バチが当たる・冥利に尽きる

美しく咲き誇る photo 宮本章光

目の前の風景は過去の想念の結果物。
目の前の風景は過去に生み出した波動の結晶物。

タイムラグがあるのです。この地では。

しかしながら、
その時差はみるみる短縮されていると伝えられています。
実際、それを体感しているはずです。


この国の貴重な言靈。
「悪いことをすればバチが当たる」と、おばあちゃんの知恵袋の筆頭に掲げられるような言葉があります。
起源は、仏罰(ぶつばち)を示していたものだとされ、道理に反し理性を無くした行動に対する戒めを説いたものでしょう。

尤も、神も仏も罰を与えることはありませんので、それは自らが生み出し放った波動が返って来ただけ。
因果応報の仕組みが具現化したものに過ぎない、という物理法則の顕現化でもあります。
であるならば、
バチが当たらないように善行を積み上げ幸運を手に入れる。それは、
「冥利(みょうり)」だとされます。
これも同じく因果応報。自分が放った周波数に等しいものが「時と形を変えて」自分に戻るだけのことであると。


ここで氣付き学ぶこと。それは、
「バチが当たる」という言葉は、厳しい戒めのように見えて、実は「自分自身を大切にする(清く正しく生きる)」ための知恵でもあったということです。
そして、
すべてが、その法則に従って例外なく顕現化するという唯一無二の仕組みについてだと。


美しい存在に出会えるのは、
その前に、自らが同じ周波数を生み出すという因果の法則に従っていたことを証明してくれます。
いえ、
そんな大それたことはしていません。

しかしながら、ここがもう一つの重要ポイントでもあります。これまでも何度も書き綴ってきました。
---自分なんてまだまだ...。
---自分なんて大したことはない...。
この、美徳とされる、あるいは謙遜する姿勢そのものが正しい生き方だ、と教えられてきたこと。

その姿勢は間違いではないものと思われます。
けれども、
周波数の仕組み・物理法則観点からは、まだまだ...自分なんて...と語る限り、永遠にまだまだ...で、自分なんて(その願いに相応しい存在ではない)と、いう波動を強烈に固着し続け、具現化し続けます。


ここをクリアして次のステップに進めたいのです。
美しい姿、だと教育されてきた「自分なんてまだまだ...」「自分なんてとるに足りない存在...」と、語ることを一切やめること。決して心に抱かない・描かないことです。

実際、わたしたちはすべて完全な存在だった、と語られ伝えられてきた「その本質・その本意」がようやく理解され始めたところかと思います。
それなのに、
ここで逆噴射しない。絶対に。


いつまでも世の中が変わらない(ように見える)のは、自分がいつまでも「まだまだ...」と抱き、いつまでも自分は「まだまだ...で、取るに足りない」存在だと言い続けるからです。
この、一人ひとりが生み出すエネルギーの総和が、集合意識・あるいは集合無意識として現実という名の目の前を作り続けるのです。

流れに逆らって生きない。
これも何度も何度も書き続けています。

世の中良くなって欲しいのです。ここに違いはありませんでしょう?
ですから、一緒に自分自身も、もっともっと成長してゆきます。と宣言すれば良いだけのことです。

いつまでも逆噴射するな、の言葉の本質は、
世の中の裏側に隠された悪事を語り顕示欲を満たす姿勢をやめることだとか、その話題から離れることではありません。
自分が美徳だと思ってやっている、心に描いている、その姿そのものを改めることです。


その結果として、
冥利に尽きる世が目の前に展開するはずです。

それが「冥利」という言靈が示す波動だと理解する必要があります。




ここに在る姿・花開く

2026早咲きの歌に触れる photo 宮本章光

2026年、花開きます。
ここの樹、毎年常に先魁となって美しく披露してくれます。

沿道の仲間たちが根こそぎ切り倒され根元の株だけの姿になりながらも、ここでは自分らしさを忘れずいち早く歌い始める。

年に一度だから。
この瞬間に美しさすべてを披露する出(いで)たち。


今年も芽吹き花開きます。
ですが、それは昨年の花とは違います。
それが、ここに在る姿。

盛大に人目を引かなくてよい。
盛大に広告媒体に載りアピールする必要もない。

大きな声で自分の存在を誇示することなく。
人と比較し、人より抜きん出ることを望まず。
自分らしく在る。
まさに「在り方」そのものを体現していることがわかります。

ここに在る姿。春・花開く。



それは偶然ではありません

遠き山に photo 宮本章光

エネルギーは循環する。
エネルギーは巡りゆく。

小さなこと・ものを見逃さずに。
少しだけ丁寧に。
少しだけ視点を変えて。

いつもと違うこと。
いつもと違うところにキーワードが隠れているはずです。


それは偶然ではありません。
それが望むエネルギー・願う波長との接点なのだと。

そこにあるサインを受け取ります。
それは偶然ではありません。



輝く光に意識を馳せる

水仙に波長を合わせる photo 宮本章光

煌めく光に意識を馳せ。
輝く光に波長を合わせ。



共存・共生が示す極めて大切なもの

新宿花園神社より仰ぐ photo 宮本章光

そこは、まるで異国の地のように感じたことのない波動があり。
そこには、寒さを極めた身に刻み込むような冷たさを感じ。

でも、
そこでは、多くの種類の波動が満ちている。


まさに、種々数多くの種族を一つ所に集め、それぞれがどのように成長・進化するのかを実験してきたこの地=地球のような。

尤も、地球のその実験は失敗であったことが確定しており、過去5回も6回もそれまでの文明を大海に沈め、白紙からやり直してきたにも関わらず、今回もまた失敗だったのだと。

異なる波動をごちゃ混ぜにして一つ所に集めると、それは単にカオス化し破壊と破滅に至る。
その結論を得られたことだけは成果だったのでしょう。
結局、
物理法則通りに、同じ周波数だけが共振・共鳴し響き合う。その結論に至ることを学びました。

ただし、
異なる周波数が、それぞれの持ち味を活かしてハーモニーを形作るという、その新しい展開もあり得るわけで、そのための前提条件として「何が求められるのか」をより深い部分で知り・成長の糧とする必要があります。

この部分が抜け落ちていた、と氣づくことです。
ただ単に、違う波長だから・異なる周波数だから、と排斥するのではなくて。
その「抜け落ちていた重要パーツ」とは何だったのでしょう?

それはまさしく、
共存と共生と、他者への思いやり。だったのではないでしょうか。

この場で、違いすぎる・異なりすぎる波動に触れた意味にあらためて思い至ります。
そして、
毎回、天から自動的に降りてくるシリウス由来かと想像される魂に刻まれた周波数にシンクロする感覚を。




「頑張る・頑張らない」の落とし穴

南天の古壁 photo 宮本章光

歯を食いしばって頑張る。
そんな時代は終わったのですよ。と語られています。
そして、
もう頑張らない。頑張らなくていい。のだと。

これは意識改革を喚起するきっかけにはなるでしょう。でも副作用も大きい可能性を知る必要があるでしょう。


ここ、大きな落とし穴になっているかもしれません。
フォーカスした周波数に共振する大法則です。

頑張ろうと、頑張らないであろうと、頑張る。という言葉によって永年にわたって刷り込まれてきた意識が生み出す周波数、そのエネルギーを無視できないからです。

過去には、頑張る。とは、
頑張らなければ「答え・結果は出せない」という洗脳でした。

近年の精神的進化・靈的成長を果たせたならば、
そうではなくてすでに満たされ満ち足りていることを意識しましょう。
と変化してきていることは説明の必要がありません。
けれど、
頑張る。と発した時点で、そこには「頑張らなければ結果は手に入らない」といった「不足と欠乏の周波数」を自ら生み出していることに氣がついていない可能性が高いのです。

いえ、間違いなく、頑張って...と言葉を表現した段階で「不足と欠乏」の波動が生み出されてしまいます。
現時点で実現していないから頑張る。
現時点で不足と欠乏の状態だから頑張るのだと。

少し前にずっと検証してきていましたように、まさしく「流れに逆らって逆噴射」する、抗うエネルギーにシンクロしてしまっているようです。


これは、その言葉をどちらに捉えようとも、頑張らなければ答えは出せない・結果を得られない。との波動を固着させるばかりに作用していないでしょうか。
ですから、
「この先には、もう頑張らなくていいんですよ。」と話す時点で、それは意識改革のトリガーにはなり得るでしょうが、そのメリットよりも、現時点で不足と欠乏を強固に具現化させるエネルギーを生み出してしまうデメリットの方がはるかに大きいリスクがあるかもしれません。


要は、その周波数そのものから離れる大切さ、ここに落とし穴を避ける秘訣があるように感じます。
それは見て見ぬふりをすることではありません。

言葉とは・言靈とは、これほどまでに強力なエネルギーを秘めていたことを知ればこそ、一つひとつの発言に責任を持つ。
そして、発せられる前の段階で描き・抱く周波数に対しては、極めて繊細な意識を持って扱う必要があることを。

学びは永遠に続く、とはこういう意味だとさらに理解を深めます。
悪事が蔓延る、これまでの世の中に溢れかえった負の波動にシンクロしそのエネルギーを掲げ、論って叫ぶ愚を重ねませんよう。




自分の道を歩み続ける

自分の道を歩む photo 宮本章光

自分の道を歩む。

そんな言葉を発しようものなら、協調性が皆無なダメな奴・組織の一員として相応しくないダメ社員。などと怒鳴られたものです。
はい、それが昭和のサラリーマン・平成の時代を生き抜くスキル。それが会社の歯車になるということでした。


良いのかよくないのか。
それは自分が決めること。
ただし、
それを「自分で体験し味わって」こそ評価できる仕組みであること。
その仕組みそのものまでを学び終えたかどうか。

この「体験によって精神性を磨き成長する」仕組みを学ぶこと、それこそが重要キーなのであって、歯車の一つとして生きる姿が良いかよくないかの論点ではないのですよ、と知り得る地点に到達しているかどうか。です。


まるで魂の存在しないAndroidのように同じように歩を進める人たち。
そこに生氣も英氣も感じられないのは、わたしだけではないはずです。
毎日、同じ道・同じ時間・同じ姿で、同じようにトレースする。
そこに進化や進歩、精神的成長が生み出されることは極めて困難であろうと予想されます。


自分の道を歩んでください。
直感に響くみちを。
直感が指し示す道を。



地球人と共に歩む覚悟

IMG_0195_2026.webp

眠り続ける地球人と、
共存を否定し続ける地球人と、

ともに歩む道を選択した勇敢な生命。

切られても折られても、
あるいは、
並び一緒に生きてきた仲間を失っても、

ひたすらフィボナッチ定数たる美的・造形的バランス感覚を自らの体に美しく表現し、苦しみを物ともせず生き続ける。


地球人とともに歩む覚悟を体現する生命存在。
これからは・この先には、
地球人としての二元性・二極化学び舎を卒業した者が、新たな基準に基づき共に歩む覚悟を伝える役回りへと。



境目(さかいめ)

日常と非日常の境目 photo 宮本章光

境目(さかいめ)。

空と地上の境目。
個体と氣体の境目。
日常と非日常の境目。

現界と幽界・靈界。この地とあの世。

境目には、日常と非日常が同居する。



諸行無常の理

2026の春を待つ photo 宮本章光

無常の理
(むじょうのことわり)



前を向いて歩む

2026春・菜の花が開く photo 宮本章光

季節は常に一方向へ。

もちろん、寒の戻りもあるでしょう。
けれど、大局は常に一方向へと展開してゆきます。


期待を込めて迎えた前回の春。
十分に堪能した前回の夏。
味わい尽くした前回の秋を終え、このたびの冬の期間を通し過ごしてきました。
そして、
続く今年2026年の春本番へ期待を込めて。


振り返るな、とか、
後ろを見るな。だとか。
そんな旧式で陳腐なワードに「こだわって」意識を揺らすことは、もうないでしょう。
すでに、そんな揺らぎは過去のものとなったはずです。

故意にディベート(Debate)し、わざと論議に火をつけ、そこに躍り出てゆく。
そうして自己顕示欲を満たすのは、もはや旧いタイムラインの行為であったこと。
過ぎ去ってから、その意味を知ります。
流れ過ぎてから、その姿を客観視できます。


体験したのなら、学び終えたのなら、
手垢にまみれた教科書や破れるほどに使い込んだ辞書は、その経験を与えてくれたことそのものに感謝を捧げ手放します。

それが、どうでもよい理屈を掲げ論議する姿勢を卒業するということ。
それが、善悪・表裏をともに認め感謝とともに統合するということ。

それこそが「前を向いて歩む」本質ではないでしょうか。




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