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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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夏を見送る・ことの葉を大切に

夏を見送る photo 宮本章光

過ぎゆく流れに。
流れゆく時に。
夏を見送ります。

この国の、この言葉だからこそ表現できる「寂(さび)」を大切に。
この国に生き、この国の言葉を母国語として話す者だから実現できる役割を果たします。

骨抜きにされ、思考することさえ忘れ去り、自分軸が著しくブレまくるこの国の人々。
最後の砦(とりで)は、
言霊に宿る生命力によって、より高みに引き上げてもらうこと。

「ことの葉」をもっともっと大切に。
汚い言葉を控えるとともに、負の因果を生み出す意識を抱かないこと。

見渡せば、自然に囲まれた恵まれた環境に、そのありがたみを感じます。
あらためて感謝を捧げます。

ことの葉を大切に。





その人の持つ周波数より上は認識できない

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同じ周波数は響き合う大原則。

これがすべての存在に当てはまること。
相当数の方々の意識に浸透しているかと感じます。
物理実体の生命であろうとなかろうと、物質実体を持ち存在しているものは、机や椅子さえ、固有の振動周波数を持っているという事実。

残念ながら、唯物主義と旧い物質社会を選択する人たちの心には「決して響くこと」がありません。
これこそが、異なる周波数であり、絶対にシンクロできない証明でもあります。
不協和音・ノイズにしかならない。それが響き合わない異なる波長。
人の心の暖かさ、心の触れ合う感触。こうしたものをすべて否定し、物質至上・右肩上がりの成長をいつまでも崇拝し続ける道は、早晩崩壊し消滅することが確定しています。


そして、この段階まで上がって来たなら、さらに次のフェーズに入ります。
実体の有無を問わずエネルギー存在は特定の周波数を持ちながら、成長と進化・成熟によってより高い波長へと上昇するのが標準仕様であることを。
意識の拡大、心の成長成熟を目指すのは、まさにこの部分が語られています。


この段階では新たな学びを得ます。
「下は見えても上は見えない」ことについて。

階段の事例を例えとしてこの場にも何度も記しました。
【参考】
・「階段の上からは良く見える」2022/06/29[ Link ]
・「先に上がった人は多くを語らず」2023/11/04[ Link ]
等々。

ここで大きな落とし穴に落ち込みます。
「下が見えるから上も見えるはずだと勘違い」する。
「上が見えないから何もそこには無い」と思い込む。という罠。

上は見えないのです。
自分がその周波数に合致しない限り決して...。
では、なぜ下は見えるのか?

下は「すでに経験してきた波長でありそこに合わせる方法を知っている」からだと。
自分の足で上がってきた階段は「後ろを振り向けば見える」わけで。
しかし、
この先に上がってゆこうとする階段の上は、「まだ視界に入らないから見えない」という、至極単純な理屈。
だから、自分で「磨き上げて」波長をあげてゆく必要があると語られている通りでしょう。


ここをごちゃ混ぜにしてしまう、その感覚・その悪いクセは早く卒業したいものです。
何やらよくわからないものは、すべて否定する。
目に見えないものを、何でもかんでもフワフワしたその道のビジネスと一緒にして否定する。
挙句の果てには、
自分がその器でないにもかかわらず棚にあげて、よくわからないものはすべて宗教だ邪宗だ。ツボを買うなよ。と高いところから人を見下す、蔑む。
この態度を続ける限り、その人の人生には永遠に負のエネルギーしか生まれません。

いま求められているのは、
より高みを目指そうとする意識と、それを実践しこの地に顕現化させる行動。
もちろん、その前には、望み描くことにより、まずエネルギーを生み出すこと。
この一点かと感じます。


What is required now?
The consciousness to aim higher and the actions to put it into practice and manifest it in this land.
Of course, before that, we must first generate energy by what we desire and envision.
I feel that this is the only way to achieve this.




クセをなくすことではなくて

美しい百合の花へありがとう photo 宮本章光

何を見て、
何を思い、
何を生み出しますか。

この思考回路は、多くの場合「ノイズ耐性」が低い場合が多く、瞬時にブレてしまいます。
このような感じでしょうか。

百合の花を見て、
綺麗な色ですね。でも、シワが多くシミっぽく土地の栄養が足りないかもしれません。それとも日光が当たらないのかも。
かくして、不足と欠乏の負のエネルギーを「自分自身で生み出して」しまいます。


フワっている教えも同じ道をトレースすることが極めて多いように見えます。

わくわくして幸せを掴みましょうね。
楽しいことだけを考えてお金を引き寄せましょう。
でも、
戦争は絶対反対だしこれは外せないよね、それにお米がなくなって困ってるし...。
こうして、
不安と恐怖のエネルギーを「自分自身で生み出して」しまいます。
何を言わんや。です。

これはクセなのです。
この地この地球では、そんな負の力に同期すれば「どんな味がするか」を体験するためにやってきたわたしたちです。
ですから、そのクセが抜けません。どんなに努力しても。
仕方ありません、力んでクセをなくすぞ!”なんて無理でしょう。力む行動・思考そのものが負の力となって高いハードルを作ってしまいます。

よって、力を抜きましょう。と。
永きにわたり語り尽くされている言葉ではありませんか。

当たり前すぎて、ありがたみを感じないかもしれません。
その発想自体が「クセ」なのです。
何か良く効く特効薬は絶対苦いに決まってる。大きなブレイクスルーには、びっくりするような知らなかった仕組みがあるに違いない。などと。


美しい百合の花さん、今日はお会いできて幸せです。
目の覚める冴えた色彩感を楽しませてくれてありがとう。
こうして撮影された一枚をここにアーカイブできること、それ自体が恵まれていることだと理解し感謝を捧げます。


その場所・その瞬間の空気感・温度・香りを脳内いっぱいにイメージで満たします。
そこに「すきま」や「余白」を残すから、負のエネルギーに入り込まれてしまいます。
入りこうもうとしたならば、
「いまここで、わたしには負の波長は不要です。跳ね返します。」と宣言するだけ。


行動するとはどういうことか?をよく考える時期を迎えています。と書きました。何度も何度も。
そして、直前の記事
【思念・想念使いこなしの本質】2024/09/14(Sat) [ Link ]
では、それならばどうしますか。と。

目を閉じてイメージするだけでは、おそらく「この物理次元:地球」では、顕現化は難しいわけで、だからこそ「物理実体」を使いこなして、そのココロとモノの両輪で願うものを具現化・成就させるのです。


物理実体たるこのお借りしている体(自ら動き自ら体を動かして)を使って、物理実体を持つ生命(植物たち)と、撮影というアクションを通してエネルギー的にコミュニケーションする。

これこそが、行動する。ということに他なりません。
何か難しいような思考をしなければならない。だとか、苦行や修行を積まなければならないとか、悟りの境地に至るにはまだまだ遠いだとか。
それが間違いだとは言いません。けれど、自分から、その「行動」を、どんどん難しく難しくしてしまっていませんでしょうか。


こうして、アストラルフィールドに目に見えない「望ましいエネルギー」を生み出すことができます。
考えず、まず動け。(もちろんその対極に「考えず、感じよ。」も両輪としてセットで存在しています。)
というその本質は、繰り返しになりますが「隷属化され仕組まれた世界で馬車馬のようにがむしゃらに走ること」ではありません。
クセをゼロになるまで力一杯努力して消し去ることでもありません。

すべてはバランス感覚が求められていること。この重要ポイントに一刻も早く氣づくことです。



It is probably difficult to manifest something just by closing one's eyes and imagining it in “this physical dimension: the Earth.” That is why we use “physical entities” to materialize and fulfill what we wish with both our mind and our body.


Using this borrowed body, which is a physical entity, we communicate energetically with life (plants) that have physical entities through the action of photographing them.

This is what it means to act. This is what it means to act.
We must think in a way that is difficult. Or, that we have to go through hardship and practice, or that we are still far from enlightenment.
I am not saying that these things are wrong. However, are you not making your “action” more and more difficult and difficult?

Don't think, move first.
The essence of this phrase is not, I repeat, “to run like a cart horse in an enslaved and structured world.
of course,It is not about striving with all one's might until one's habits are reduced to zero,too.

Everything requires a sense of balance. We must realize this important point as soon as possible.



思念・想念使いこなしの本質

虫たちに好かれる理由 photo 宮本章光

時代は変わっています。
心の時代へと。

すでに相当数の人たちがこの事実に氣づき、そして手探りでその使いこなしを模索しているはずです。


これまでは、唯物主義・物質史上主義の時代。
資産価値を増大させ、数を誇り、それを目指した時代でした。
これ以上、多くを語る必要はないでしょう。

けれども、その右肩上がりのインフレーションが限界と終焉の期を迎え、価値の最大化や数値最大化をベースにした貨幣経済の基盤が「不可逆な状態でクラッシュした」ことは誰しも認めざるを得ない状況かと思われます。


すでに、こうした唯物主義とでも言うべき「片側の車輪」と、その対照となる精神性の成長・拡大と成熟が「もう片方の車輪」として必要であったことは疑う余地がありません。
ものごとは、すべてこうして対(つい:ペア)として存在するのが、この地この世のお約束。

そして、その精神性の拡大こそが、この地で「物質へと顕現化・具現化させるための源・すべての根源」であったことを知る段階に到達しています。


美しく花開く姿に、虫たちが集まります。
甘い香り。
魅力的で甘美な色彩感。
印象的な立ち姿。
風に揺れる優雅な振幅。

いずれも、その波長に合致したもの同士が引き合います。
そして、その波長が目に見えないフィールドにエネルギーとして生み出され、それが波及・拡大してゆきます。
こうして、この地はポジティブで暖かく、大きく包容力のある望ましい現実が創造されてゆくはずでした。
正しくは、こうした万物・万葉生命環境、アクティブ生命の桃源郷、を作ろうとしたのだろうと予想できます。

ところが、そうではない正反対のエネルギーを「自家発電する人」があまりにも膨大な数であることから、真逆の「風景」が作り出されてしまったこと、これも多くを語る必要はないはずです。
その裏には、残念ながら、騙され故意に負の力に同化するよう仕組まれた世であったことも要因の一つではあります。


次のステップでは、
このように「両側の車輪を使って」進みましょう、と語られていますが、永年の癖でしょうか。残念ながらどちらかに「偏る」わけです。
一つは、
物質至上・唯物主義と貨幣経済の増大化路線を「すでに終わった過去のセオリー」にも関わらず、これからも尚、追及し続ける、という一つの道。残念ながら崩壊確定ですけれど。
もうひとつは、
精神性の重要性に氣がついたのだから「心だけですべてが生み出せる」と、それだけを極めようとする道。


このどちらかに「偏ってしまう」というところに、次の落とし穴が待ち構えているように見えます。
わたし自身も何度も繰り返し文字に記しました。
行動せよ。行動ができていない。そのように語る人が極めて多い現在。
では行動とは何なのか?を、熟考する必要があります、と。

走り回ることではありませんよ。というその本質は、隷属化路線の延長線上で寝食を惜しみ身を粉にして馬車馬をやることではないですよという意味だったはず。
けれども、
では、心がすべてを生み出すのだから、と、目を閉じて望ましい風景を描いているだけでは、物質化は極めて遅れるかあるいは顕現化しない可能性が高いでしょう。

要は、バランス感覚ではないかなと思われるのです。
一つだけの車輪にしか意識が必要とされなかったところ、二つの車輪になりますと、途端にそのバランスを取ることができなくなってしまう。
またしても、この地においては「対になる二要素を、ともに磨き続ける必要がある。」点に氣がつきます。


行動せよ行動せよ、と叫び、意味なく隷属化路線のまま空回りする愚は避けねばなりません。
しかし、
目を閉じているだけでは、やはり何も生み出せないであろうことも想像に難くありません。
だから、何をしますか?
それなら、どうしますか?


思念・想念は、それを抱き・描いたのなら、そのエネルギーを生み出すことは間違いありません。もう周知の事実となったことでしょう。ただし、それをこの地に顕現化させるためのプロセスは、もう片方の物理次元の車輪が必要ですね。というところに、次の学び・次の課題が見えています。
これこそが、思念・想念使いこなしの本質だと思われます。



There is no doubt that there was already a need for such a “wheel on one side,” which could be called materialism, and its counterpart, the growth, expansion, and maturity of spirituality, as the “wheel on the other side.
The promise of this world is that all things exist as a pair.

We must avoid the folly of shouting “act, act, act” and spinning out on the path of slavery for no good reason.
However,It is not hard to imagine that just closing our eyes will not produce anything.
So, what do we do?
Then, what will you do?

There is no doubt that a thought or idea, if you have embraced or depicted it, will generate that energy. It is probably a well-known fact by now. However, the process of making it manifest on this earth requires the wheel of the another element, doesn't it? This is where we see the next learning and the next challenge.
This is the essence of thought and thought-usage, it seems to me.



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