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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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水の流れから力をいただく

飯舘村はやま渓谷 photo 宮本章光

心の中を、常に最高の状態、常に最も望ましい波長に維持できればそれに越したことはありません。
しかし、ノイズは取り入れようとしなくても、見えてしまい感じてしまうことも多いです。
それを、懸命に取り除こうとすると、さらに深みにハマるケースを数多く重ねてきました。

今日もお越しくださいましてありがとうございます。


負の方向に触れた力を無理に除こうとせず、良いも悪いもすべて受け取り受け入れる。
それは、なかなか高いハードルだったかもしれません。
そもそも、
どちらも存在しない、無になれ。だとか、現実に体を持ってまだ生きている以上、何が真実なのかは別として目の前の現実の肉体が揺れ動く以上、反対側に触れた振り子は自動的に解放されません。


この絵、さまざまな場所で使ってきました。それは大変強力な力がここに込められているためです。
いわゆるヘアピンカーブ式にうねりながら、そこそこの落差があるので、この場で姿勢をかがめると非常に強力なエネルギーを感じる場所でした。音もかなり響きますし、飛沫も肌で感じます。

この撮影をした翌年には、奥の護岸が豪雨災害で崩壊したと聞きました。
今はもう改修されているはずですが。

すべてを覆すだけのパワーを手に入れるには、やはり大自然の力を借りるのが近道ではないかと感じます。
そんなパワーも要らないのが本当の覚醒だ...、フォーカス地点が誤りだ...等々、禅問答を繰り返しても仕方ないので。もういいでしょう。
そのように頭で捏ねくり回すことが、この地の体験だったので。


水の流れ、そしてその大自然の力を受け取り、片側に触れた振り子を戻してゆきます。
単なる画像データに過ぎない写真でありながら、ここまで大きな力を伝えることができる。
やはり自然は偉大である。そう感じずにはいられません。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

やりたいことはすべて叶う

飯舘村村民の森 photo 宮本章光

今朝の未明のアドバイス。
「やりたいことは、すべて叶う。」でした。
毎晩、明け方までの時間に目が覚めますと、何らかの導きが流れてきます。
常に記録を残しているわけではないので、忘れてしまっていることも多いと思います。

本日もお越しいただきありがとうございます。


なかなか難しい声(実際には声は聞こえません)であることも多く、心での受け取り・感性を磨く訓練をさせてもらっているのでしょう。
こちらでご縁のあります皆さまには、いつもの妄想シリーズか...。と、軽く流していただければ。


「やりたいことは全部できる。」
初めはそのように聞こえたかもしれません。メモを取っていないので定かではありません。
「やりたいこと?」
はて、いま一番やりたいことは何でしょう。
このVRグラスを外して卒業すること?
いや、もう卒業してたはずだよな?
この時点で、現実と夢と、そしてこの上から流れてくる啓示が混在し、その境界線は見えなくなっています。

ここしばらくは消滅していますが数年前には何度も繰り返して見る夢がありました。それは、卒業単位が足りずに卒業式の前日に慌てる...といった内容でした。
実際には、三十数年前に、問題なく単位は揃えて卒業済みですけれど。
いえ、実際だとか現実だというこの世界そのものがVRゲームの世界、もう何が何だかわからなくなっています。布団の中では、何もかもすべてが混沌としてきます。

起床後に思い返してみますと、
「やりたいことは、すべて叶う。」だったような感じです。


はい、やりたいと本心から願う限りすべて叶います。
そう信じています。
これは、おまじないだとか、何だか怪しい世界だとか、そういった類のものではなく、心の底から100パーセント信じる科学だと感じています。
そう思えば、そう思う人にとってそれが現実になるのですから、それで良いではないですか。
理論的には違う、だとか、思考の分類が間違いだとか...。
人に対してあれこれ評論する時代は、もう終わりを迎えていますでしょう。
誤りか正解か、それは本人が判断すること。「流派」が異なるという部分もあるかもしれません。
ですが、
そのように思い・考え・行動している限り心の中から力が湧き上がり、実際に望ましい時間を過ごせるのですからそれでいいのではないでしょうか。想いが現実になるという部分は実際に体験を積んできたのですから。

これまでの人生でも、そのように信用し切ったモノ・コトだけが実現しています。
わたしはそれを人体実験と呼んで、自らの勘を信じる拠り所、証拠・実績として重んじてきました。
数ヶ月前のwebラジオ(音声配信番組)でもそれをお話しさせていただいています。お聴きいただいた方も多いはずです。

かくして、やりたいことはすべて叶います。
そう思う限り。
そのように信じる限り。
再度思い出す機会を与えてくれた今朝のダウンロードでした。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分のエネルギーのシンクロ対象を知る人は強い

何気ない草花に惹かれる photo 宮本章光

同じ周波数は共振します。
電波とスマホの関係と同じですね。

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


自分自身がフォーカスしているエネルギーが、どのような対象に対して共振するのか。
ここを知っている、あるいは理解している人は本当に少ないように感じます。
言葉が少々難しいかもしれません。別の言葉と例えに置き換えてみます。

いまの仕事が自分の天職だ。と感じその職に携わっている人がどれだけいらっしゃるでしょうか。
いえ、近年はここに氣がついて転職や起業なさる方も増えているに違いありません。

自分自身の過去を振り返ってみますと、何度も何度も繰り返し失敗を重ねてきました。
失敗した「道」は、常に他人の判断を優先した結果でした。
ここで過去をトレースする意図はありませんので、必要に応じてアーカイブをご参照いただければ嬉しい(いえ、正しくは恥ずかしい。)です。
例えば、
コミュニケーションこそが楽しみでありそのスキルもある。そんな方が接客業に携わる。
植物と触れ合うことが生きがいで、その接点も長く知識や経験も豊富。だから生花業や花卉栽培に携わる。
食文化に触れ、そこにクリエイティブなオリジナリティを加えて行きたいから和食料理人・あるいは洋菓子職人。といったように。


これは職業という括りで見た場合ですが、いまわたしが感じていますのは、
もっともっと大きな枠組みでの視点で、そしてその瞬間瞬間ごとに移り変わるエネルギーに最適な対象で、という観点です。
さらに例えてみるなら、このような感じです。
いま現時点の自分のハートの波長は、お花にフォーカスしている。だから植物に触れている・植物の写真を撮っている。
いま、この瞬間の心のエネルギーは、海に向いている。だから海岸線が臨める砂浜に佇んでいる。

このように、自分が感じているその目に見えない何か、それこそが心がシンクロしている対象だと思うのですが、それを直感で捉えてそのエネルギーに共振する「対象・媒体」に触れる・会う・接する。
この瞬間こそが必要な体験ではないかと感じるのです。ここを追求したいのです。

ところが「現実と言う名の外枠」がまずありきなので、そこに自分のエネルギーを合わせてしまう。
これが実際のところではないでしょうか。
さらに例えを書いてみます。
(例えです)自分は手作り洋菓子のブログを運営している。だから洋菓子のことを「書かなければならない」。
でも和菓子も作るし、時には裁縫や刺繍、服作りの話題もあるんだけどな。でもテーマと違うしね。それに別に新たにアカウントを立てるだけの余裕もないし...。

こういう場面があるのかないのか?それは判りません。
ですが、その瞬間には、洋菓子という外枠から外れるために切り捨てられ、裁縫や刺繍の話題にフォーカスするエネルギーが散逸・消滅してしまうのではないかと感じるのです。


「自分のエネルギーのシンクロ対象を知る人は強い」
その意味は、その時々に刻々と移り変わるエネルギーの種類や周波数の違いを乗り越えて、ズバリシンクロする対象を見極める。
しかもそこには理論的な裏付けといったような、煩い・難しいこととは一切関係なく、直感・勘に響くものをストレートに選択する。
テニスラケットや野球のバットに存在する「スイートスポット」のようなところで捉えた感覚でしょうか。
これを本能的にチョイスする感覚のことだ、と言えるかもしれません。

この能力を発揮している人、その瞬間こそ、もっとも強いと感じるのです。
そして、
そのシンクロしている「様子」が、一つの力として伝わってきます。それはブログ記事でもSNSでも。
この「自分の抱く・描くエネルギーが何に向けられていて何にシンクロしているのか」。
これを知っている人、使いこなしている人には、目に見えないエネルギーが溢れかえっています。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「黄色い色」に氣をつけなさい

黄色い花に意識を馳せる photo 宮本章光

一昨日の未明のアドバイス。
「黄色い色に氣をつけなさい。」でした。
毎晩、明け方までの時間に目が覚めますと、何らかの導きが流れてきます。
常に記録を残しているわけではないので、忘れてしまっていることも多いと思います。

本日もお越しいただきありがとうございます。

なかなか難しい声(実際には声は聞こえませんが)であることも多く、受け取り・受け入れのための感性の訓練をさせてもらっているのでしょう。
こちらでご縁のあります皆さまには、ああ、また妄想シリーズか...。で流していただければと思います。


今回はっきりと覚えていたのは、黄色い「色」という表現がとても印象的だったためです。
モノではなく色。
そして、
どちらの方向にエネルギーが向いているのかも感じることはなく、ただ「色」という言葉と「氣をつける」の二点が強く残りました。
氣をつける。ですから、何か意識してリスクに備えるような意味合いを含んでいるのかもしれません。

色から連想するものは、明るさや派手さでしょうか。富のイメージかもしれません。
あるいは負の印象では、webで引っ張ると、裏切りだとか妬みだとかもあるようです。
これらを纏めますと、
「自分が意識していない部分で、人の反感を買うような目立ち方はしないように。」
こうしたアドバイスだったのだと解釈しました。

画像データ(写真や映像)の観点からは、黄色は飽和しやすい難しい諧調表現の色でもあります。
このお花のイメージも、相当触らないとこの全体バランスにはなりません。
その昔、カメラの露出では黄色はアンダーになる傾向があった時期もあり、感性との調整が難しい色であったことを思い出しています。

ということで、今日は啓示に従って静かに穏やかにこの記事を閉じることにいたします。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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